海棠 北の丸公園 2014-04-08
*明治37年(1904)
6月17日
・大阪の第百三十銀行(松本重太郎)、突然休業・支払停止。西日本の経済が混乱。元老井上馨・桂首相・曽禰蔵相・松尾日銀総裁・坂谷大蔵次官・安田善次郎ら対応協議。
7月6日、政府、日本銀行より百三十銀行に600万円融資(2分、5年間据置き、10年返済)。
7月11日業務再開。
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6月19日
・週刊『平民新聞』第32号、発行。
英文欄で第2インターナショナル(8月14~20日)大会に対する決議、発表。
「来る八月、アムステルダムに開かれる万国社会党大会に訴えるために、日本社会主義者は次のごとき決議を通過した。
『日露戦争は両国の資本主義政府によって行なはれ、その結果、日露の労働階級に甚大な苦難をもたらすが故に、日本社会主義協会は来る八月アムステルダムに開催される万国社会党大会の会員が、彼等の各政府を督励して日露戦争を能ふ限り速かに、停止せしむる手段を講じさせる決議を通過せんことを要請する。』
右の決議をなすに当り、吾人は欧米の同志諸君が彼等の各政府をして戦争に介入するために、ある直接的手段に訴えることを意味するものではない。しかし吾人は彼等がその筆と舌を以て、間接的に彼等の影響力を用い得ることを信ずる。
もしアムステルダム大会が、この戦争を進歩と人道に反する大罪悪と糾弾する決議を通過するならば、世界の面前に社会主義者の態度を明白ならしむるのみでなく、戦争の終結に資するところ至大である。旅順口および鴨緑江における海陸の交戦は、すでに吾人に多大の蛮行を示したが、つい最近、遼東半島で戦われた戦闘はその残酷にかけて他を圧倒した。ロシア軍の死者が幾何かは不明であるが、わが軍の死傷者は四千五百を下らない。もし日本兵にして爾(しか)く剽悍無鉄砲でなかったならば、ロシア軍の要塞は少なくとも二ヵ月間は維持されたに違いない。要塞が十六時間の戦闘によって日本兵の占領する所となったのを見れば、その戦闘がいかに惨澹たるものであったか容易に想像し得られる。だが、これは更に大なる交戦の序曲に過ぎず、世界史上いまだ曽て知られなかったような恐るべき血闘は、多分両軍が奉天あるいはその附近で会戦する時に演ぜられるであろう。人道は何処にありや、文明は何処にありや。
もし文明国が平和的な手段によって国際問題を解決し得なかったならば、彼等にとって大いなる恥辱である。国際的紛争の解決のためにへーグの仲裁法廷に出ることは、列国にとって理想的でさえも無いのである。英仏は最近、仲裁法廷の援助を請うことなく彼等の植民地に関する紛争を解決した。これはランスダウンおよびデルカッセの秀抜なる政治的経綸、また英仏文明の高度を立証する。だが、もし武力に訴えることが日露両国にとって恥辱であるならば、ただの傍観者として佇立していることは列国にとって更に大きな恥辱である。今こそ文明国にとって、極東アジアに平和をもたらすために何事かをなすべき時である。故にこの瞬間において、社会主義者は彼等のみが勇敢大胆に軍国主義に抵抗し得るが故に、その責任の特別な重要性を感じなければならぬ。吾人をしてアムステルダムに会同するわれらの同志が、日露戦争に関して適正な決議を通過すべきことを望ましめよ。」
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6月20日
・天皇、満州軍総司令部編成裁可。天皇直属総司令官参謀総長大山巌元帥、総参謀長児玉源太郎、参謀総長山県有朋。
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6月20日
・堺利彦、出獄。
26日、堺利彦出獄祝園遊会。角筈十二社池畔梅林亭。出席150余。
午前5時に出獄。早朝だったが、平民社や社会主義協会の人々が20人ほど出迎え。しかし、妻の美知子は病気のため、出迎えに加わることができず、2ヶ月ぶりに会った娘の真柄は、父の顔を忘れていたという。幸徳秋水は病気で寝込んでいた。堺は自分の家に上がるより先に、秋水を見舞うために彼の家を訪ねた。
6月26日、堺の出獄歓迎を兼ねた園遊会が角筈十二社の池畔梅林亭で開かれ、150人余りの同志が集まった。発起人総代安部磯雄は、開会の挨拶で、「若し吾党の士の中に出獄者ある毎に歓迎会を開くことゝすれば、今後何百回こゝで歓迎会を開かなければならぬかも知れぬ」と述べる。
堺はのちに『新版楽天囚人』(1927)で「安部氏のこの意見は、当時としては、誠に善く見透しのついた、適切な警告であった」と書く。
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6月20日
・島田三郎(51)、横浜・尾上町の指路教会での婦人矯風会主催時局問題大演説会で「露西亜は果して基督教国たる乎」を演説。
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6月23日
・ロシア旅順艦隊(ウイトゲフト少将指揮)、旅順港脱出。
午前5時40分、哨戒中の第1駆逐隊がこれを発見し連合艦隊に通報。
午前8時20分、連合艦隊は裏長山の仮泊地を出発。
午後4時、旅順南東の遇岩南方に到達。
6時15分、旅順艦隊を発見。
6時30分、東郷司令長官は丁字戦法による決戦を企図し反転開始。
7時30分、距離1万4千m以内となる。
8時、旅順艦隊は北方に反転、旅順港に戻る。東郷は追撃するが日没近く取逃がす。
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6月23日
・清国、商標註冊試弁章程制定。
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6月24日
・天地会、清国の広西で蜂起。柳城県占領。
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6月25日
・芝浦製作所(株)設立。三井鉱山(名)芝浦製作所の分離独立。資本金100万円。東京芝浦電気(株)の前身の1つ。
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6月26日
・午前9時、駒込吉祥寺で高野房太郎納骨式。横山源之助「高野房太郎君を憶ふ」(「東洋銅鉄雑誌」)。
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6月27日
・二葉亭四迷に次男富継、誕生。昭和33年6月53歳で没。
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6月27日
・トルストイ長論文「汝等悔い改めよ」(『ロンドン・タイムズ』)。
キリスト教的、人道、博愛の立場から、日露戦争の原因をもって、個人の堕落に帰し、「汝等悔い改めよ」と叫んでこれを救わんとした。
ロシアはこのトルストイの文章の印刷を禁止したが、秘密のうちに各地に撒布された。
日本では、『東京朝日新聞』(杉村楚人感冠の訳)と『平民新聞』(幸徳・堺の訳)が全文を掲げた。
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6月28日
・ロシア・ウラジオ艦隊の第5回出撃。ベゾブラゾフ中将指揮。
30日午前5時30~6時40分、元山市内を砲撃。
午前7時20分、元山を退去。
1日、対馬海峡に侵入。午後6時35分、警戒中の第2艦隊と2万2千mで遭遇、ウラジオ艦隊は高速で逃亡。
3日ウラジオストク帰着。
次の第6回出撃からは日本の太平洋岸シーレーンを脅かすようになる。
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6月28日
・アイルランド沖、蒸気船ノルゲ号難破。スカンジナビア人移住者700人以上死亡。
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6月29日
・清国、万国赤十字会に加入。
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6月29日
・清国の山東(膠済)鉄道完成。
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6月30日
・満州軍総司令部発足。
第4軍(野津道貫大将)新編成。
第1軍(近衛・第2・12師団、朝鮮)、
第2軍(第3・4・6師団、遼東半島)、
第3軍(第1・9・11師団、旅順口)、
第4軍(第5・10師団、第1・2軍から満州中部)。
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