2014年5月14日水曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(98) 「第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火-「ピノチェト・オプション」を選択したロシア-」(その6) 「ロシアの共産主義者はソ連の崩壊を決めた際、「権力と財産を交換した」」     

カキツバタ 江戸城(皇居)二の丸池 2014-05-14
*
初めチェチェンで勝利してもエリツィンの支持率は低迷
暫くは、この目論見は順調に進んでいるように見えた。
第一段階としてチェチェンの独立運動は部分的に鎮圧され、ロシア軍が首都グロズヌイの放棄された大統領官邸を占拠すると、エリツィンは勝利を宣言する。
だが、チェチェンでもモスクワでも勝利は長くは続かなかった。
再選を賭けた1996年の大統領選でもエリツィンの支持率は低迷を続け、落選確実に見えたため、顧問たちは選挙中止を考えたほど。全ての全国紙に掲載されたロシアの銀行家たちの署名入り書簡には、その可能性が強くほのめかされていた。

エリツィン政権で民営化担当大臣を務めたアナトリー・チュバイス(サックスはかつて彼を「自由の戦士」と呼んだ)は、ピノチェト・オプションを誰よりも積極的に支持した。
「社会に民主主義を根づかせるためには、独裁的権力が必要だ」とチュバイスは言う。
チリのシカゴ・ボーイズがピノチェトを擁護し、鄧小平が自由を剥奪してフリードマン主義を貫こうとしたのと、全く同じ考え方である。

エリツィンはオリガルヒ(新興財閥)の支援により選挙で再選される
結局、選挙は実施され、オリガルヒ(新興財閥)からの推定約1億ドルの資金(合法的な金額の33倍)と、オリガルヒ傘下のテレビ局で対立候補より800回も多く報道されたおかげで、エリツィンは再選される。

国営企業の売却
政権突然交代の心配がなくなったところで、ロシア版シカゴ・ボーイズは彼らの経済プログラムのなかで最も議論が分かれ、もっともカネになる部分に着手する。レーニンがかつて「管制高地」〔経済のもっとも重要な部分〕と呼んだ国営企業の売却である。

フランスのトタル社と同規模のある石油企業は、その40%が8800万ドルで売却された(トタル社の2006年度売上高は1930億ドル)。
世界のニッケル生産高の1/5を生産するノリリスク・ニッケル社は1億7000万ドルで売却され、間もなく年間収益は15億ドルに達した。
クウェートより多くの石油を生産する巨大石油企業ユコスは3億900万ドルで売却され、現在の収益は年間30億ドルを超える。
石油大手シダンコは51%が1億3000万ドルで売却され、2年後にはその株式価値が国際市場で28億ドルと評価される。
大規模な兵器工場は300万ドルで売却された(コロラド州アスペンの別荘価格にほぼ匹敵)。

「すべては政府の一部門が別の部門に金を払うという大がかりな詐欺」
言語道断なのは、ロシアの国家資産が本来の価値の何分の一という値段で競売にかけられたことだけではない。それらはまさにコーポラティズム流に、公的資金で購入された。

『モスクワ・タイムズ』紙のマット・ビヴェンズ、ジョナス・バーンスタイン両記者は書く。
「ごく少数の選ばれた者だけが、ロシアの国家が開発した油田を無料で自分のものにした」、「すべては政府の一部門が別の部門に金を払うという大がかりな詐欺」だった。

国営企業を売る政治家とそれを買う実業家との協力という大胆不敵なことが行なわれた。
エリツィン政権の閣僚数人が、国営銀行や国庫に入るはずの巨額の公的資金を、オリガルヒが急遽法人化した民間銀行に移動。
次に、国はこれらの銀行と、油田や炭鉱を民営化するための競売を行なう契約を結んだ。
競売は銀行が取りしきったが、銀行自身も入札に参加し、オリガルヒが所有する銀行が、かつての国家資産の新所有者となった。
これら国営企業の株式購入にあてた資金は、おそらくエリツィン政権の閣僚たちがかつてそこに預けた公金にほかならない。
言い換えれば、ロシア国民は自分たちの国を略奪されるための金を自ら提供したということになる。
*オリガルヒ傘下の二大銀行は、ミハイル・ホドルコフスキーの経営するメナテプ銀行とウウジーミル・ボターニンの経営するオネクシム銀行である。

ロシアの共産主義者は「権力と財産を交換した」
ロシアの「若き改革者」の一人の言葉によれば、ロシアの共産主義者はソ連の崩壊を決めた際、「権力と財産を交換した」のだという。
師ピノチェトの場合と同様、エリツィンの親族も巨万の富を手にし、彼の子どもやその配偶者は民営化された大企業の幹部のポストに就任した。

ロシアの主要な国家資産を支配下に置いたオリガルヒは、新しい会社を優良多国籍企業に向けて公開すると、たちまちその大半は先を争って買い上げられた。
1997年、ロイヤル・ダッチ・シェルとブリティッシュ・ペトロリアム(BP)はロシアの二大石油企業ガスプロムとシダンコと提携。これらはかなりの利益を見込める投資だったが、それでも最大の利益は外国のパートナーではなく、ロシア人の手に渡った。
のちにボリビアとアルゼンチンで国営企業が民営化され、競売に出されたときには、IMFとアメリカ財務省はこの手落ちを修正することに成功している。
侵攻後のイラクでは、アメリカはさらに進んで、大きな利益の見込める民営化取引にはいっさいイラク国内の資産家を参加させないよう、締め出しを図った。

民主主義か市場利益か
1990年~94年、モスクワのアメリカ大使館で主任政治アナリストを務めたウェイン・メリーは、ロシアにおいて民主主義か市場利益かの二者択一はきわめて厳しい選択だったことを認める。
「アメリカ政府は政治より経済を優先すべきだと考えていました。価格自由化や国営企業の民営化、何にも規制されない自由な資本主義の創出を優先し、法治国家や市民社会、議会制民主主義などはその結果として自然に発達するように望むというのが基本的なスタンスだった。(中略)でも不幸なことに、この選択によって民意を無視し、政府の政策を強引に進めることになってしまったのです」

ロシアほどテクノクラートの虚像が暴露された国はほかになかった
この時期、ロシアに創出された膨大な富を目の当たりにした「改革者」のなかには、自分もそこに一枚加わろうとする者もいた。その時点でロシアほど、テクノクラート(本来は、純然たる確信に基づいて教科書どおりのモデルを実行する、頭でっかちの自由市場経済学者であるはずだった)の虚像が暴露された国はほかにはなかった。経済的ショック療法と汚職の横行がワンセットになっていたチリや中国と同様、シカゴ学派に忠実なエリツィン政権の閣僚や次官のなかには、あからさまな汚職スキャンダルで辞職に追い込まれる者が何人もいた。

ハーバード大学ロシア・プロジェクトの教授・助手までもが市場から個人的利益を得ていた
ロシアの民営化と投資信託市場の準備を任されたハーバード大学ロシア・プロジェクトを率いる若いやり手、アンドレイ・シュレイファー同大学経済学教授と助手のジョナサン・ヘイも同じ穴のむじなだった。自分たちが創設に取り組んでいた市場から、2人は直接利益を得ていた。
シュレイファーが民営化政策に関するガイダル・チームの主任顧問を務めていたとき、彼の妻は民営化されたロシア企業に多額の投資をしていた。
ハーバード大学法科大学院卒の30歳のヘイも、民営化されたロシアの石油株に個人的に投資し、ハーバードとUSAIDとの契約に直接違反していたとされる。また、ヘイが新たな投資信託市場の創設でロシア政府に協力していた間、ヘイの恋人(のちの妻)が設立した投信会社がロシアでの認可第一号となり、創業時には米政府の資金を得て設立されたハーバードのオフィスで管理業務を行なっていた
(厳密に言えば、ロシア・プロジェクトはサックスが所長を務めていたハーバード大学国際開発研究所のプロジェクトであり、サックスは一時期シュレイファーとへイの上司だった。だが、サックスはすでにロシアの現場から離れており、疑惑行為のいずれにも関わっていない)。

こうしたごたごたが明るみに出ると、アメリカ司法省はシュレイファーとヘイの商取引は、専門的な職務から個人的利益を得ないことに合意して署名した契約に違反するとして、ハーバード大学を訴えた。
7年に及ぶ捜査と法廷闘争を経て、ボストン地裁はハーバードが契約に違反し、2人の研究者が「共謀して米国に詐欺行為を働き」、「シュレイファーは明らかな自己取引に関与し」、「ヘイは父親と恋人を通じて40万ドルの資金浄化を図った」事実を確認。ハーバード大学は設立以来最高額となる2650万ドルの和解金を支払い、シュレイファーは200万ドル、ヘイは100万~200万ドル(収益によって決定)の支払いに同意したが、2人とも法的責任は認めなかった。

*この金は不正な民営化プロセスの真の犠牲者であるロシア国民ではなく、アメリカ政府の手に戻った。イラクにおけるアメリカの請負業者の不正に対する「内部告発」による訴訟で、和解金を米政府とアメリカ人内部告発者との間で山分けするのと同じである。

これらの不正は「資本主義の持つ抗しがたい誘惑やとてつもないインセンティブ」のせいだ
ロシアでの「実験」の性質を考えれば、この種の「自己取引」は不可避だったのかもしれない。
当時ロシアで活動していた著名エコノミスト、アンダース・オスルンドは、ショック療法がうまく行くのは、「資本主義の持つ抗しがたい誘惑やとてつもないインセンティブ」のせいだと指摘する。
したがって、もし強欲がロシア再建の原動力になるのであれば、ハーバードの学者とその妻や恋人、そしてエリツィンのスタッフや親族は、自ら金儲けの熱狂に加わることによって国民に模範を示していたことになる。
*
*

0 件のコメント: