2014年5月17日土曜日

解釈改憲・集団的自衛権 : 主観的正義繰り返すな 保阪正康 / 問題を単純化 欺瞞感じる 香山り力 / 安倍首相の論理は、反論できない言葉が先行し、前提条件と結論がつながっていない。「美しい国」「積極的平和主義」も同じだ。

『東京新聞』2014-05-16
主観的正義繰り返すな 保阪正康 

 戦後の安全保障の大転換を図る安倍政権について、昭和史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康氏に聞いた。
集団的自衛権の必要性を説く時、「同盟国・日本のために米青年が血を流すのを黙って見てられるか」と語る。日本人なら当然そう思う。靖国参拝も「首相が戦争で亡くなった人を追悼するのは当然」と力説し、私も国民誰しも「そうだ」と思う。

 しかし、冷静に考えると、戦後六十九年そんなことは一度もなかったことへの説明がない。靖国もなぜ米、欧州連合(EU)まで反対するのか説明がない。安倍首相の論理は、反論できない言葉が先行し、前提条件と結論がつながっていない。「美しい国」「積極的平和主義」も同じだ。

 言葉だけで国民をそう思わせる「情念的感情的政治」は戦前にもあった。五・一五事件や二・二六事件後、軍事指導者たちが盛んに「非常時」という言葉を使い、議員も庶民も世の中全体が「非常時」と思うようになった。しかし、両事件も満州事変も軍が自作自演したものだ。

 「わが国を取り巻く環境が急速に悪化」との言葉もよく使われるが、今の中韓との緊張は安倍首相に責任がないとは言えない。安倍首相は「東京裁判は戦勝国の一方的裁判だ」と言う。そういう一面もあるが、欧米は反ファシズム戦争で民主主義勢力が勝利したと考えている。

 「戦後レジームからの脱却」を唱える姿は「日本は反省せず、欧米の歴史観に異議を申し立てて
いる」と疑念を抱かれている。

 日本がおかしくなっていく昭和十年代、「日本的で主観的な正義」が声高に叫ばれた。太平洋戦争の開戦前、東南アジアに南進する際も「米は怒らないだろう」と客観性を欠いた見通しがはびこった。今の日本も世界の潮流が見えず、政党も国民も、主観的判断で政策を判断してしまう岐路にある。

 しかし、議会政治を守ろうと演説した斎藤隆夫議員が帝国議会の投票で除名されるような戦前の歴史は繰り返さないだろう。自民党は「腐っても鯛」。自民党も公明党も、安倍首相の独善的空間だけで支配できる政党ではないはずだ。


問題を単純化 欺瞞感じる 精神科医の香山り力さんの話 

 集団的自衛権をめぐる記者会見での安倍晋三首相は、問題を単純化して説明しているように見えた。

 「攻撃を受け、逃げているおじいさん、おばあさんを救えない」といった例えで心情に訴える。「目の前で倒れている人を救わないのか」と、国民一人一人の善意に訴える巧妙なレトリックだ。さまざまな思惑で踏み切ったことを説明しないで、全てを善意に置き換えて納得させようとする姿勢に欺瞞を感じる。集団的自衛権の行使は、そのような生活感覚で語られる問題とは次元が違う。国民にも問題の背景や歴史を考え、反論する知的なタフさが必要だ。


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