2014年7月18日金曜日

「戦争は自衛の暴走で始まる」 森達也 (『朝日新聞』2014/06/26)

「戦争は自衛の暴走で始まる」 森達也 (『朝日新聞』2014/06/26)

 昨年夏、ベルリン自由大学の学生たちと話す機会があったとき、1人から「8月15日は日本のメモリアルデーなのですか」と質問された。

 「終戦記念日だからメモリアルデーですね。ドイツではいつですか。確かベルリン陥落は5月ですよね」

 僕のこの問いかけに学生たちは、「その日は、ドイツにとって重要な日ではありません」と答えた。
 ならば重要な日はいつだろう。学生たちは「1月27日」と答える。でも何の日かわからない。首をかしげる僕に彼らは、「アウシュヴィッツが連合国によって解放された日です」と説明した。

 ドイツのメモリアルは加害。そして日本では(広島・長崎も含めて)被害。この違いは大きい。どちらを記憶すべきなのか。どちらを起点に考えるべきなのか。

 結果としてこの国は、自らの加害を起点に考えることを選択しなかった。戦争の終わりは戦後の始まり。新たな歴史がそれまでの歴史を上書きする。戦後復興に高度経済成長。戦争では果たせなかったアジアの盟主の座を経済で実現する。でもやがてバブルははじけ、GDPは中国に抜かれ、その翌年には原発が致命的な事故を起こす。もはや右肩上がりの経済成長は望めない。でもあきらめきれない。アジアのひとつになることを認めたくない。中国や韓国の台頭も苦々しい。

 そんな思いが飽和しかけたときに領土問題が勃発し、自民党は「日本を、取り戻す。」とのスローガンを打ち出した。強いリーダーに国民は熱狂する。メディアには「舐めるな」と街場の喧嘩のようなフレーズが躍る

 イラクに今の混乱状態を招いたそもそもの責任は、武力侵攻してフセイン政権を崩壊させたアメリカにある。このとき多くの国は、大量破壊兵器の存在を理由に先制的自衛を主張するアメリカに激しく反対した。でも侵攻は始まった。アメリカを支持する国があったからだ。特に強く賛同を示したのはイギリス、オーストラリア、そして日本だ。

 アメリカを支持することが日本の国益とこのときに訴えた識者は、今は安保法制懇の主要メンバーとなって、集団的自衛権の必要性を主張している。侵攻を支持した政府判断の検証もまったく進んでいない

 人は進化の過程で、不安や恐怖の感情を強く保持し続けてきた。だからこそ現在の繁栄がある。でも自然界に天敵がいなくなってからは、その本能は同族に向けられるようになった。こうして自衛意識が暴走して戦争が始まる。本能は消せない。でも手段を制限することはできる。

 この国はかつて武力の放棄を決意した。その後に解釈変更を重ねながら再び保持はしたけれど、過剰な自衛への抑制だけは持ちこたえてきた。でも今、その一線が崩れようとしている。集団的自衛の名のもとに。

 この流れに抵抗する人の一部は、現政権を「彼らは戦争をしたいのだ」と批判する。少し違う。彼らは彼らなりに戦争を忌避している。戦争の悲惨さをわかっている(と思いたい)。ただし戦争のメカニズムがわかっていない。多くの戦争は自衛の暴走で始まることを理解していない。

 「私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄しておらぬ証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である」『秘録東京裁判』(中央公論新社)。

 処刑直前に東条英機はこの遺書を残した。確かに自衛の意識はなくならない。でも手段を制限することはできる。この国は戦後、身をもって世界から戦争を除くための理念を掲げた。不可能に挑戦した。

 その歴史の上書きだけはしない。この先にこの国がどう変わろうと。

(もり・たつや 56年生まれ。映画監督・作家。明治大特任教授。近著に「クラウド 増殖する悪意」)

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