江戸城(皇居)東御苑 2015-04-16
*昭和18年(1943)
9月27日
・久野豊彦「東漸するソ連」、シベリアの分離やスターリン没落などの記事内容は外交に支障ありとして発禁
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9月28日
・コロンバンガラ第1次撤退(陸軍)、翌日までに6800名が撤収。損害は大発1隻のみ。
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9月28日
・政府、ムッソリーニ共和国を承認
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9月28日
・閣議、法文系大学・専門学校の徴兵猶予停止、決定
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9月28日
・この日の中野重治『敗戦前日記』。
「一九四三年九月二十八日 酒を一升六合持って来て組長をして四世帯へ各世帯四合ずつ測って売らせようとする如きは、間ちがいだ。一升六合の測定、四合の測定、代金勘定、十二世帯中からの四世帯の抽出、かくの如きことを組長の日常生活に組みこもうと考えること、考えざるを得ないことに問題があろう」
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9月28日
・ソ連・フランス国民委員会協定。
ソ連は「戦うフランス」をフランス市民・フランス領土の総体、国民委員会をフランスを代表する唯一資格あるものと承認
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9月28日
・ドイツ、軍需省を設置
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9月28日
・イタリア、ナポリの4日間、市民とドイツ軍交戦、ドイツ軍降伏
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9月28日
・ドイツ軍、スプリットを奪回
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9月29日
・企画院・商工省を廃止、軍需省新設決定。11月1日発足
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9月29日
・尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲら、スパイ容疑で死刑判決。
①リヒアルト・ゾルゲ:昭和19年11月7日死刑
②尾崎秀美:昭和19年11月7日死刑
③マックス・クラウゼン:終身刑、昭和20年10月9日釈放
④プランコ・ド・ヴーケリッチ:終身刑昭和20年1月13日網走にて獄死
⑤宮城与徳:判決前(昭和18年8月2日)巣鴨にて獄死
⑥小代好信:懲役15年昭和20年10月8日釈放
⑦田口右源太:懲役13年昭和20年10月6日釈放
⑧水野成:懲役13年昭和20年3月22日仙台にて獄死
⑨山名正美:懲役12年:昭和20年10月7日釈放
⑩川合貞吉:懲役10年昭和20年10月10日釈放
⑪船越寿雄:懲役10年昭和20年2月27日獄死
⑫河村好雄:判決前(昭和17年12月15日)巣鴨にて獄死
⑬九津見房子:懲役8年昭和20年10月8日釈放
⑭北林トモ:懲役5年昭和20年2月9日釈放後死去
⑮秋山幸治:懲役7年昭和20年10月10日釈放
⑯アンナ・クラウゼン:懲役3年昭和20年10月釈放
⑰安田徳太郎:懲役2年(執行猶予5年)
⑱西園寺公一:懲役2年(執行猶予3年)。
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9月29日
・「今日、軍需省ができて、商工省と企劃院が廃された。
これは代表的なやり方だ。外の国ならば、既定の機関はそのままとして、軍需省を設置して、そこで事務を統一するはずである。しかし「日本的性格」においては、そういうことはできず、また機構主義の軍部政治においては、さようなことは不可能なのだ。
すなわちこれを一面よりいえば東条の「機構よりも人」主義の破綻だ。軍需省は発注一元化の要請に応ずるためだ。それだけならば、何も新しい機構を造る必要がないではないか。そこに日本人の欠点がある。
汪精衛が来たのは、日本が蒋介石政権に働きかけ、条件を提出した。それが宋子文を通して、米国で新聞に発表された。汪はこれを聞き、怪しからん、重慶工作は、予を通してという約束違反ではないかという抗議のためであるとのことだ。
重慶工作などは、従来、何回あったか知れん。それを今頃やっと気付いて来たとは、さてもさてもだ。
近頃、といってもズッと前からのことだが、新聞記事も演説も「軍、官、民」といっている、すなわち士農工商といった順だ。
この間の東条の演説の中には「大稜威の下」という言葉は例によっであったが、「赫々たる戦果」という枕言葉はなかったと或人が話していた。
三井物産の山西省における支店が統制違反をしたというので支店長は十ヶ年の懲役、向井〔忠晴〕会長は、謝罪に支那まで出向き、それから帰国後辞職するとのことだ。
そのままにして置いて、増産に挺身させる気持になれず、国民をだけ、いじめる態度が、ここに現れている。現地における商業人の苦心は想像に余りある。
この日(九月二十九日)尾崎秀実の死刑決定す。僕は一、二回会見しただけだ。かれは果してスパイだったろうか。それを肯定も否定もする材料はない。ただその資料が公開されないのが、遺憾である。」(清沢『暗黒日記』)
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9月29日
・ポーランドの労働運動家・政治家ワレサ、誕生。
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9月30日
・「絶対国防圏」の設定。第11回御前会議、「今後採るべき戦争指導の大綱」、「絶対国防圏」構想決定。マリアナ、カロリン、西ニューギニア線に後退。
従来の「長期不敗」を改め「今明年内に戦局の大勢を決する」ことを目途とし、その為に絶対確保すべき要域を「千島、小笠原、内南洋(中西部)及び西部ニューギニア、スンダ、ビルマを含む太平洋及び印度洋」と定める。
統帥部は、この国防圏を守るに必要な航空兵力として、1944年中に陸海合計5万5千機の生産を政府に要求。連合軍の航空兵力が44年末には第1線機約7千、総兵力約1万2千機になると推定し、船舶被害を月3万トンに押える為の対潜飛行機2千が必要などがその主な根拠。
しかし航空機年産額は陸海計1万7~8千機で、一挙に3倍は不可能とし、企画院は目標4万機と定める。更に、甲造船180万トン(44年3月、255万トンに目標変更)、重要資材についても普通鋼材500万トン、特殊鋼材100万トン、アルミニウム21万トン、セメント700万トン、木材(内地)9千万石その他大増産を計画。
国内体制整備面では、6月、軍需生産第1主義確立の為の「戦力増強企業整備基本要綱」、食塩自給体制を図る「食糧増産応急対策要綱」、衣料品節約を強調する「戦時衣生活簡素化実施要綱」、学生を勤労動員する「学徒戦時動員体制確立要綱」、全国を9ブロックに分けて中央集権を強化する「地方行政協議会」などの措置がとられ、9月29日、企画院・商工省を廃止して軍需省新設、決定(発足11月1日)。
航空機4万機で絶対国防圏を死守できるのかとの議論で、軍令部総長永野修身は、「絶対確保の決意はあるが勝負は時の運でもある。独ソ戦の推移を見ても初期のとおりにはいっていない。今後どうなるか、戦局の前途を確言することはできない」と答え、この自信のない態度に会議の空気は変わり、誰もが言葉を失なう。
東條は、「元来、帝国は自存自衛のためやむにやまれぬため起ったのである。帝国はドイツの存在の有無にかかわらず最後まで戦いぬかなければならない。戦局の如何を問わず戦争目的完遂の決意には変更はない」と発言するが、会議は沈んだまま。参謀総長杉山元が、「作戦上の要求から見るならば五万五千機を要する。しかし国力を賭してもできぬときはやむを得ないから機動力を利用して数の不足を補い、目的達成に努力することにしたい」ととりなす。東條の航空機4万機生産の約束だけが出席者の救い。
曖昧な「絶対国防圏」。
「今明年内に戦局の大勢を決する」基本方針は、作戦上の具体的裏付けはなく、「強くその必要性を強調して、政府諸公に要望せんとする政策的狙い」にすぎない(「機密戦争日誌」)。
「絶対国防圏」で、陸海軍一致して重視したのは、ビルマ、アンダマン、ニコパル等の南西方面で、また太平洋地域では、陸軍は豪北方面(西部ニューギニア、ハルマへラ、セレベス、チモール)、海軍は中部太平洋方面(カロリン、マリアナ諸島)の強化を図る(9月15日「中南部太平洋方面作戦陸海軍中央協定」)。この3方面は、連合軍の反攻ルートにも合致している。
「絶対国防圏」の眼目は、防衛線を縮小し内を固める事にあり、従って南東方面担当の第8方面軍には、実質的放棄を意味する「持久命令」(大陸命第855号)が発せられる。
しかし、海軍は中部カロリンのトラック確保に集中し、その為、国防圏から外れるマーシャル、ラバウルの前衛拠点が必要となり、更にその拠点を守る為にソロモン、ビスマルク諸島防備作戦を決め、陸軍も東部ニューギニアの航空撃滅戦、マーシャル、カロリン諸島派兵を決定。
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9月30日
・御前会議、法文系大学・専門学校の徴兵猶予停止、承認。
勅令第755号「在学徴集延期臨時特例停止」公布・即日実施
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9月30日
・小島玄之らのクーデター計画発覚
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9月30日
・ニミッツ太平洋方面司令官、「中部太平洋作戦日程表」提出。
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9月30日
・フランス、地下出版新聞「フランスの防衛」、強制収容所の写真掲載
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9月30日
・アルバニア、モンテネグロ、独立宣言。
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