2023年7月2日日曜日

〈藤原定家の時代409〉元久2(1205)年3月3日~18日 『新古今』撰歌の出入り続く 和歌所での作業の後、時々は酒宴 法勝寺九重の塔下で花見・歌会

 


〈藤原定家の時代408〉元久2(1205)年3月1日~2日 〈俊成卿女のこと Ⅱ〉 ■女流歌人として院へ出仕する ■「今相伴ひ、年来の如し」 ■出家、通具の死、嵯峨に住む ■播磨国越部庄に下向 より続く

元久2(1205)年

3月3日

・巳の時、良経の許に参ず。一昨日より咳気、出御なし。午の時に、院に参じ、又少々の事、直し付く。家隆参会、御所にて闘鶏あり、未の時に御幸。申の時、又良経の許に参ず。障子の外に於て、いささか仰せを承る。昏に退出。(『明月記』)

3月4日

・定家、歌数を計算し、当世作者の歌を校合する。

午の時、和歌所に参入。今日は算えるばかり。当世作者の歌、大略校合す。総州、酒肴を取り出す。甚だ過差なり。昏に分散す。(『明月記』)

3月5日

・物故作者目録を取る

良経の許に参ず。出御なし。家隆・総州・和歌所に参会。故者の目録を取る。通具参会す。今日功を終えず。昏に退出す。(『明月記』)

3月6日

・撰歌、粗目録を院に進上

和歌所に於て、目録をとり終る(宗宣・親房・家長)。申の時許りに、家長撰歌ならびに荒き目録等を持ちて、御所に参ず。予、良経の許に参ず。今日もまた不例により出御なし。(『明月記』)

3月8日

・和歌所に参ず。目録の詞等、なおこれを直す。家長持ちて院に参ず。夕に分散。宗宣、例の酒肴を取り出す。火桶、炭取り、風流なり。(『明月記』)

3月9日

・良輔権大納言、道家権中納言

3月9日

・定家、院の自撰歌20首の撰進を命じられる。入集数を増やさず差し替えるとのこと。

今日、院、自賛の歌を二十首、撰進すべしと仰せられる。数を加えずといえども、抽き替えらるべしと。(『明月記』)

3月10日

・定家、仰せにより自撰歌10首を書き送り、うち2首が撰集に加わる。

歌十五首書き進むべきの由、家長又示す。十首書き進める(歌いくばくならざる由を申す)。後に、二首加え入れられ、八首捨てらると聞く。(『明月記』)

3月11日

・昨今、心神快からず。閑居寂蓼たり。(『明月記』)

3月12日

「諸庄園乃貢済勘の事、これを定めらると雖も、ややもすれば対桿に及ぶの間、向後或いは遠近の国に随いその期を儲けらると。宗掃部の允奉行すと。」(「吾妻鏡」同日条)。

3月12日

・左近大夫明親来訪、歌を好む者である。夜に入り、馬助亮清来り、俄に舞人に召されたので、随身の装束・物具を借りる。(『明月記』)

3月13日

・巳の時許りに嵯峨に行き、申の時に帰る。宣陽門院、今日出家。二十五歳。守覚法親王参じ給う。(『明月記』)

3月14日

・定家、昨日日吉社に奉納した院の30首草稿を家隆と共に見る。

慈円、撰歌につき院に書状。弟子の僧等の歌を推して来る。院は不快

昨日、雅経を御使として、三十首の御製を、日吉社に献ぜられる。御草を下し給う。家隆と拝見し、小々書き出して進上す。以経又酒饌を取り出す。家隆・雅経・家長・宗宣・清範あり。今日、慈円の御書到来。表書大蔵卿。祇候する人、見るべき由、御使の法師申す。よって披き見る。委細の状、私に申し難し、還御以後、家長に付けてこれを奏す。天気、すこぶるよろしからず(御弟子僧どもの歌の事なり)。又御書あり、又奏聞す。今日の出仕、甚だ由なし。(『明月記』)

3月15日

・良経の許に参ずると、兼実、御不例というので法性寺殿に参じ、女房に謁して帰る。又良経の許北殿に参じ、退下して九条に宿す。(『明月記』)

3月16日

・定家、最勝金剛院での仏事に参仕

撰歌の出入り続く。定家の詠歌4首切り出され2首入集。

和歌所に参ず。家隆・宗宣等あり。定家の歌、四首出され、二首入れらる。すべて四十一首と。今度、日吉三十首御製の中、七首入れられる。未の時、家に帰る。今日、妻日吉社と賀茂社に参詣、夜帰る。(『明月記』)

3月17日

・籠居。(『明月記』)

3月18日

・撰歌の出入り続く。定家、法勝寺で花見。家隆、雅経、清範らと詠歌。九重の塔の花の下の歌会。最栄法橋は家長の弟。

巳の時許りに和歌所に参ず。家隆・具親・雅経・宗宣等沙汰す。少々これを校す。人々末だ参ぜざるの前、清範を以て、日吉の御製二首入れらるるの由、仰せ事あり。計らい申すべしと。所存を申し入る。又春の部、桜の雪(吉野山)の御製出すべき由、仰せ事あり。この御製殊に珍重、更に出すべからざる由申す、勅許あり。向殿に渡りおわしますの後、退出す。密々為家を相具し、眼を養うために、浄衣を着し、法勝寺に向い、艮の方を歴覧するの処、青侍等来りていう、兵衛佐・兵庫頭相伴うべき由、譴責す。忠弘を以て密々に要事あり。すなわち白川の方に出づる由、示し送る。これより先、総州・藤少将・清範等、車を連ね西の大門に在りと。両人又来る。遮るるあたわず。浄衣ながら、その列に加わる。甚だもって不便なり。喪中の花見、時の人難ずるか。恥しく思うこと極まりなし。相共に歴覧し、日入りて列座す。九重の塔西方の花の下にて、三首の題を以て歌を詠む。最栄法橋招かれて加わる。夜に入り、松明をもって清範、歌を読み上ぐ。又いささか盃あり。昏に分散す。なおなお傍難あるか。(『明月記』)


つづく

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