2015年1月13日火曜日

1786年(天明6年)9月 ナポレオン(17歳、フランス陸軍砲兵少尉)、故郷コルシカに帰郷 (ナポレオン誕生~コルシカ帰郷まで) 【モーツアルト30歳】

江戸城(皇居)東御苑 シソンロウバイ 2015-01-08
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1768年3月15日
ジェノヴァがコルシカを200万フランでフランスに譲渡
宗主国ジェノヴァからの独立運動を続けていたパオリ(1725~1807)らはこれに抗議して戦う。

パオリは1739年、父ジャチントとナポリに亡命するが、1754年にコルシカに戻り、独立政府の最高司令官として政治・行政・財政・司法・軍事など諸制度を整備した。

ナポレオン(ナポレオーネ)の両親(カルロ・ブオナパルテとレティツィア)は独立運動に従事。父カルロ・ブオナパルテはパオリの副官。

1769年5月
コルシカ独立軍、フランスに敗北

同年6月
パオリは側近100名と共にイタリアに逃亡

同年7月
パオリの副官カルロ・ブオナパルテが使節団に伴われてフランス軍本部に出頭、降伏条約に調印。
40年に及ぶコルシカ独立運動は終結。

1769年8月15日
パオリ副官カルロ・ブオナパルテと妻レティツィアに第2子、ナポレオン(ナポレオーネ)誕生

同年11日
カルロ・ブオナパルテ、ピサ大学から法学博士の免状を取得。
新設されたアジャクショ王立裁判所の陪席判事に任命されるとともに、ルイ15世所有養樹園の管理職を得る。

1778年(9歳)
この年、ナポレオンの父カルロ・ブオナパルテは生活窮状の打開は図るべく、9歳のナポレオンと10歳の兄を伴いフランスに向けて出立、トゥーロンを経てヴェルサイユに辿り着く。
コルシカ地方総督から取得した推薦状のお陰で、イタリア貴族「ド・プオナパルテ」であることを示す認証を交付された彼は、国王ルイ16世から、過去10年間フランス王国の官吏として忠勤に励んだ報償として2千リーヴルを下賜され、3人の子供に対する奨学金を授けられた。娘1人・息子2人を貴族学校で勉学させることとなる。但し、息子のうち1人は聖職者、もう1人は軍人になるという条件付き。

1779年5月(10歳)
ナポレオン、プリエンヌ王立幼年学校に入学(パリ東方、シャンパーニュ地方)。
ずば抜けて成績が良いのは、数学、歴史、地理など。ヴォルテールやルソー、プロイセンのフリードリヒ大王が綴った、コルシカの解放に賛同する書物を貪るように読む。

1784年10月(15歳)
陸軍士官学校(パリ)に入学

1785年2月(16歳)
父カルロ・ブオナパルテ、没。

同年9月(16歳)
砲兵少尉に任官、ヴァランスの連隊に合流。
辛い思いを耐えて受けた試験を突破し、ようやく手にした少尉資格証書には、・・・
「慎重で勤勉、あらゆる種類の娯楽以上に勉学を好み、良書に親しみ、抽象科学に強い関心を寄せる・・・。物静かで孤独を好み、気紛れで横柄、極度に利己的な傾向あり。寡黙だが反論は精力的に行い、返答は当意即妙、非常に自己愛が強く、野心的で全てを熱望する」
とある。

社交界(ブルジョワ、弁護士、商人らの集まり)に出入りし、新参の将校らはパリの青年貴族が気づいてもいない話題に接する。ヴォルテール、モンテスキュー、レナルの精神は、すでに、地方の慎ましいブルジョワ階級にまで浸透している。
当時の若者の最大の関心事は「国家と社会」であった。

砲兵隊の基本方針と歴史、包囲戦の法則、プラトンの国家、ペルシャ・アテネ・スパルタの憲法、英国史、フリードリヒ大王の軍事行動、フランスの財政、タタール人及びトルコ人の国民性と習慣、エジプト及びカルタゴの歴史、インドの現状、現代フランスに関するイギリスの報告書、ミラボー、ビュフォン、マキャベリ、スイス・中国・インド・インカの憲法、貴族階級の歴史、貴族の犯罪、天文学、地理学、気象学、再生産の法則、遺徳性に関する統計学。
これら無数のノートには、ほとんど判読不能な文字で詳細な書き込みがされている。400ページの印刷物に纏められたこれらのノートには、彼が描いたまざまな図表もある。英国サクソン系七王国の図表、三世紀にわたる同王国の全国王名、古代クレタにおける競技の規則、小アジアにおけるギリシャの旧要塞図、イスラム世界の最高指導者カリフが即位した日時及びその騎兵数と妃らの悪行。エジプトとインドに関する質料の抜粋には、大ピラミッドの寸法及びバラモン宗派の一覧表が記されている。

この頃から自らも執筆を始め、当時の日付がある10編近い文書や構想の概略が残っている。内容は、大砲の配置、自殺、王権、人間関係に生じる不平等など多彩だが、コルシカをテーマにしたものがとりわけ多い。

1786年(17歳)
この頃、母親から救いを求める手紙が届く。
ブオナパルテ家の強力な保護者である総督が亡くなり、一家への助成金は差し止められ、苗木園からの収入も当てには出来ない。ジョゼフ(ナポレオンの兄)は定職に就いておらず、母は次男に救いを求めた。
ナポレオンは、直ちに休暇を取りコルシカに戻る。

1787年11月(18歳)
1年をコルシカで過ごし、オソンヌに駐屯する部隊に戻る
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