1909(明治42)年
3月9日
衆議院、野党(憲政本党、又新会など)3派提出の3税(塩専売、織物、通行各税)廃止案、否決。
3月9日
坂本清馬(発行名義人)、『麺麭の略取』秘密出版により罰金30円に処せられる。秋水が支払う。
3月9日
「世界婦人」発行兼編集人神崎順一の控訴審判決。罰金100円、上告。
3月9日
「三月九日 火曜 曇 暖
(略)
黙つてゐると、何かかう手当り次第に破壊して了ひたい様な気持になる。そのくせ何もしたくない。生そのものに対する倦怠厭悪とはこれか! 何も考へたくなかつた、そして何も考へなかつた。頭が熱してゐる様で、ボーウとしてゐる。
価値! 価値! ああ、何が価値のある事なのか?
十時頃に寝て了つた。
三月十日 水曜 雨 暖
七時頃に起きた。雨。今朝の新聞は面白かつた。昨日の議会の三税廃止案の舌戦も愉快だ。多数党の横暴! それが却つて反語的に面白い。監獄から出た許りの或る男が八銭の飲食代に困つて小刀をふり廻し、ランプをたたきおとして火を放ち、そこからノコノコ出てトある橋の上で十二になる女の児が子供を負つて子守唄を唄ひ乍らくると、エエ面倒臭いといつてそれを河の中につきおとしたといふ。一方には大学生で行方不明になつたのがある、又一方では奉天会戦の時一軍医が繃帯まきのいそがしさに発狂して、何をいひつけてもニヤニヤ笑つたといふ話がある。また実子をしめ殺した話がある。……生きた世の中の面白さ。ああ、然しそれと予との間に何の関係がある。予は戦ひたくなつた。
今日も大学館によつてみたが、昨日と同じ返事。下宿屋へ今日までの約束だつたので、仕方なく佐藤氏に前借のことをたのむと面倒だからと言つて、自分で二十五円かしてくれた。
終日の雨、帰つて来て二十円下宿屋へ払ひ、(平出より電話)九時頃出かけて、ああ、浅草に行つた。雨の浅草! つかれて腹がへつたので、馬肉屋でめしをくつて車でかへる、十二時半。」(啄木日記)
(佐藤真一に25円借りて、うち20円を下宿屋に支払い、残金を握りしめて誘惑の浅草へ。)
3月10日
熊本、松尾卯一太・新美卯一郎・飛松与次郎・佐々木道元ら、「平民評論」創刊。印刷所で押収。
13日、署名人松尾卯一太・飛松与次郎、出版法違反で投獄、1号のみで廃刊。
4月17日、発行兼編集人飛松に罰金30円・印刷人松尾無罪判決。検察側控訴。
7月3日、飛松重禁錮4ヶ月罰金50円・松尾重禁錮1年・罰金150円控訴審判決。11月17日熊本監獄収監。
3月10日
森近運平、岡山へ帰郷。
3月10日
石川日出鶴丸、『石川大生理学』上。最初の体系的な生理学教科書。
3月10日
(漱石)
「三月十日(水)、終日雨。春陽堂の店員、『文學評論』の奥付千枚取りに来る。(『大阪朝日新聞』満三十年の記念号出す。紙数百ページのほか付録に「国の光」(日露戦争畧史 十六ページ 小冊子) を添える。)
三月十一日(木)、快晴。木曜日。「夜、虚子と土車〔つちぐるま〕を謡ふ。」(「日記」)小宮豊隆来る。高浜虚子、先日の「虞美人草論」は面白いから、『ホトゝギス』に載せようというので、”小宮豊隆に読ませてみなさい、そんなものよりも小宮豊隆に論文を書かせたほうがよい”という。高浜虚子は、少しむっとし、「虞美人草論」を載せるかどうかは小宮豊隆に一任するという。
三月十二日(金)、曇後雨。午前、宝生新は来ない。Young(ヤング)というアメリカ人から手紙で著書欲しいと云ってくる。(代金添えられていたかも知れぬ)午後、清嘨会に赴き、『花月』の「恋は寐られぬ。」の箇所がうまく謡えぬ。小宮豊隆相手に週二回ドイツ語の稽古始める。最初に Andreev のドイツ語訳 ""Die Geshuchte von Sieben Gehenkten"" 後に、Hauptmann (ハウプトマン)・Heyse(ハイゼ)・Putt'Kamer(プットカーメル)などの作品を講読する。小宮豊隆、帰った後で、ドイツ語の時間をふやして欲しいと葉書で伝える。
三月十三日(土)、曇。風強い。鰹節屋の主婦、新しい半襟と新しい羽織着ている。十二時近く、電車を降りて神楽坂を上ると大きい地震にあう。森巻吉来たので開化丼馳走する。夜、強風の中、赤坂に松根東洋城を訪ね、野上豊一郎・山崎楽堂と謡の稽古をする。(漱石と野上豊一郎は宝生流、松枝東洋城は観世、山崎楽堂は喜多流である)四人で『桜川』(狂女物)・『船弁慶』・『清経』(修羅物)謡う。博文館、『小説辞典』編集のため、「雪月花」のうち何を好むかを囲い合せて来る。愚問だと思う。」(荒正人、前掲書)
(*)開化丼;親子丼の肉を牛か豚にしたもの。関西では他人丼という。
(**)「鰹節屋の主婦」;漱石の好きな女性のタイプ。次回記事にて。
3月10日
英・シャム協定調印。英、治外法権放棄。ケダー・ケランタン・トレンガヌ・ペルリスの宗主権獲得し非連邦マラヤ州に編入。
3月12日
沖縄県に関する府県制特例の件公布。県参事会を置かず、県会議員占拠につき特例を設ける。
3月12日
「三月十二日 金曜 曇 雨
(略)
たんたらたらたんたらたらと雨滴が痛むあたまにひびくかなしさ 何の変つたこともない。夜は雨だ。・・・・・
わびしいわびしい雨の音、雨滴の音……それを聞いてゐると、目を瞑ってきいてゐると、渋民の寺にゐた頃の、静かな、わびしい、そして心安かつた夜の雨がしみじみと思出された。窓をあけて見ると、雨の中に無数の燈がみえる。ぬれた、さびし気な光だ、その間に電車停留場の青い火、赤い火がみえる、それは泣いてるやうだ。
ああ、自分は東京に来てゐるのだ、といふ感じが、しみじみと味はれた。そして妻や母のことが思ひ出された。かの渋民の、軒燈一つしかない暗い町を、蛇目をさして心に何のわづらひもなくたどつた頃のことが思出された。大きい都会、その中に住んでゐる人は皆生命がけに働いてゐる。……その中に自分もまぎれこんでゐる。……ああ、自分は働けるだらうか、働き通せるだらうか!
雨の音がわびしい、そのわびしさを心ゆくまで味はつて、そして、出来ることなら自分の身についてのすべてのことを泣いてみたい様な気がした。
そして寝てから、女中を呼んで雨戸をあけさした、戸をあけると、雨の音が一層強く聞える。しめやかな音だ……ポチヨリポチヨリ、と雨滴が亜鉛の樋におつるのが、恰度、かの渋民の寺できいた、屋根もりをうける盥におつる音に似てゐる……いひがたきさびしみの喜びに眠つた。
[受信欄]せつ子手紙。
三月十三日 土曜 風
風が烈しく吹いた。
朝に与謝野さんから電話。午前をジヤーマンコースで送つて、昼飯がすむや否や古本屋から(生)をかりて与謝野氏へ行つた。晶子さんは少しいいさうだ。与謝野氏は創作の事について真面目になつてゐる。朝日へかくのを(第一歩)と題するといふ。ああ、与謝野氏は、小説のために真面目になつてるのではない! 生活の為に!
(略)
夜、近所の徳田秋声氏を訪ふたが不在、ミルクをのんで帰つて、(響)をよみながら寝た。十一時頃強い地震があつた。」(啄木日記)
3月12日
独海軍増強の脅威に対抗する海軍増強新法案、議会に提出(~5月)。
つづく

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