海棠 鎌倉・妙本寺 2016-04-06
突然 間違って生きているという思いが
呉圭原
(オギュウォン)
眠るということほどやさしい仕事もないものを
そんなこともろくろくできずに両眼きょろんと開けている
夜一時と二時のあいだ
夜一時と二時の空想のさなか
突然じぶんが間違って生きているという思い その感覚が
私の頭に冷水をぶっかける パガヂ*でひとすくいほど
言葉もなく寝返りを打ち両眼をきょときょとさせていれば
わが濡れたからだを抱きしめて
どうせ間違って生きたのなら ひきつづき間違って生きる方法も方法であるよと
悪魔のような夜がわたしをたぶらかす
*パガヂ ー ひょうたんを縦にまっぷたつに割り、中をくりぬいて柄杓や米をとぐのに使う身近な容器
呉圭原(オギュウォン)について
一九四一年、慶尚南道 密陽郡に生まれる。
一九六八年、釜山師範を経て東亜大学法学部卒。
出版社、雑誌社を転々とし、現在、ソウル芸術専門大学・文芸創作科教授。
表面的な現実や現象に密着せず、足をとられず、本質にまっすぐ突き刺さろうとする詩風である。いささか皮肉っぽいが、訳しながら不思議な心躍りを覚えた。
「突然 間違って生きているという思いが」このような感慨は実にしばしば人を襲うものではないだろうか。ぐいと方向転換できる人もあるが、たいていは間違ったかもしれない生を、生き抜いてゆくしかない。「ああ、この人もこんなことを思っていたのか」というなつかしさと共鳴。
(略)
茨木のり子『韓国現代詩選』(1990年11月 花神社)
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