2017年12月14日木曜日

食べ物をいくら残しても叱られない時代はきたが、それは同時に胃袋でない形の新しい飢えの始まりでもあった。(たかとう匡子) (鷲田清一 折々のことば『朝日新聞』2017-12-13); それが今、もういちど反転して貧困が重い足かせになりだしている  

食べ物をいくら残しても叱られない時代はきたが、それは同時に胃袋でない形の新しい飢えの始まりでもあった。
たかとう匡子(まさこ)


 ひもじさには二つの形がある。
一つは窮乏の生活からくる空腹であり、一つは強い不安や鬱屈からくる心のやつれである。
「先進国」といわれる国では、ひもじさ、つまり存在の乏しさは前者から後者へと移行した。
それが今、もういちど反転して貧困が重い足かせになりだしている。
詩人で元国語教師の『私の女性詩人ノートⅡ』から。
鷲田清一 (折々のことば『朝日新聞』2017-12-13)


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