2020年2月23日日曜日

賛否両論…岩田教授の告発騒動に見る、日本の深刻な「構造的問題」 私はあの行動を強く支持する(堀有伸);「この記事で用いられている ”too submissive” という言葉は、アカデミー賞で「メイクアップ・ヘアスタイリング賞」を受賞したカズ・ヒロも用いていた。現在の日本を考えるうえで、この言葉は重要な意味を持っている。」(宮入恭平)



(略)

予想されたことであるが、「現場のスタッフを苦しめた」「日本の国益を損ねた」という二点から、道徳的な説教を岩田氏に行いたがる論説を多く目にする。

こういった問題が起きた場合に被害を受ける中心は一般の国民なのに、一般の国民の多くが政府の立場を弁護する姿勢を示している。

私には、そのように話す人々の方が「too submissive」に思える。

日本的ナルシシズムの社会構造においては、被支配層の支配層への心理的な同一化が強すぎて、健全な葛藤や批判が行われなくなっている。支配層と時に葛藤してでも、自分たちの権利を守っていこうという気概を、多くの日本人は持つことができない。

それは、全く政府に協力しない、ということではない。私が適切に感じるのは、基本的には自分の祖国への忠誠心を持つが、必要な場合には異議申し立てを行うような姿である。

それではなぜ、少なくない日本人がこの構造の中にとらわれ、そこから抜け出せなくなっているのだろうか。

かつての私は、「集団への同一化が強すぎて、健康な自我の確立が適切に行われていないからだ」といった、抽象的な心理学の理論を用いた理解で満足していた。しかし、これでは将来に向けた問題解決のためには全く不十分だろう。

日本社会に生きる一人一人が、相互規制でお互いにsubmissiveでなくては共同体のメンバーとして許容しないという空気をつくり、それによって「分かっていても抜け出せない」状況をつくっている。

今回の岩田氏のような共同体の近時的な利益に反する言動に対しては、政府などの実際の支配層が動かなくても、一般の日本人同士の相互規制の中で懲罰的な対応が発動するメカニズムが働くのである。

(略)


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