【提論2025】やはり万博には反対 平野啓一郎さん https://t.co/piAvY7onSl #西日本新聞
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) May 26, 2025
「この万博自体が、同じ夢洲に誘致予定のカジノリゾートのインフラ整備に利用されていることは周知の事実であり、その公金投入の手口にも反対...。一旦(いったん)、強行してしまえば、...「やって良かった」.
2025年5月26日月曜日
【提論2025】やはり万博には反対 平野啓一郎さん(西日本新聞);「この万博自体が、同じ夢洲に誘致予定のカジノリゾートのインフラ整備に利用されていることは周知の事実であり、その公金投入の手口にも反対である。 一旦(いったん)、強行してしまえば、一つの時限的なテーマパークとして、万博を楽しむ人たちも少なからずいるであろうし、事後にはだらしなく、「やって良かった」へと世論が傾いていくかもしれない。東京五輪がそうだった。しかし、これほど問題山積の日本で、本当に、「他のことに税金を使うより、こちらの方をやって良かった」なのか? 政治が人気取りのように、こうした短期的で、将来に何も残らないか、負の遺産を残すか、一部の利害関係者だけが得をするようなイベントを企画したがるのは、結局、政界や財界が、「未来社会」の全体的なヴィジョンを持ち得ていないからである。これは、あまりにも皮肉なことではあるまいか?」
2025年5月25日日曜日
「斎藤知事に愛想尽きた」兵庫県庁離れ加速 17年ぶり自主退職4割増、他自治体に転職も(産経);「仕事に誇りが持てなくなった」 「知事の議会答弁や会見での発言を聞いていて愛想が尽きた」
「仕事に誇りが持てなくなった」
— 岡本宏史(外科医 Hiroshi Okamoto) (@hiroshiok531) May 24, 2025
「知事の議会答弁や会見での発言を聞いていて愛想が尽きた」
普通の会社や組織じゃ到底通用しないし誰も付いてこない。日本は法治国家。政治家失格。
「斎藤知事に愛想尽きた」兵庫県庁離れ加速 17年ぶり自主退職4割増、他自治体に転職も https://t.co/kU3fgvgdBW
ワースト1は誰もがわかる大阪府 → 水道管「老朽化率」47都道府県ランキング ワースト3位神奈川県、2位香川県より“あぶない”都道府県は?《リスト全公開》(文春オンライン)
水道管「老朽化率」47都道府県ランキング ワースト3位神奈川県、2位香川県より“あぶない”都道府県は?《リスト全公開》 https://t.co/1JGLYHIgpV #文春オンライン
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) May 24, 2025
大杉栄とその時代年表(505) 1904(明治37)年5月10日 漱石「従軍行」について(その2) 「英文科の某君は”こんな拙いものを書かれては我等英文科の名誉を汚がす”と酷評した。純然たる時代思想に便乗した平凡な客観詩である。夏目先生に不むきな題材だと思った。」(金子健二『人間漱石』)
1904(明治37)年
5月10日
漱石「従軍行」について(その2)
漱石には「個人主義」思想と「国家主義」思想とが併存していたが、平時では、前者が彼の思想や感情を支配していた。しかし、日露開戦に至って、漱石は、日本が負けたときの犠牲や被害の大きさを思い、「不安で堪らない」ようになり、一日も早く日本の勝利のうちに戦争を終らせたいと思うようになった。そのため、このような戦争詩を書いたと思われる。(水川隆夫『夏目漱石と戦争』平凡社新書)
以下、主に『夏目漱石と戦争』に拠って漱石「従軍行」を見てゆく。
発表当時、漱石の講義を受けていた学生の間では、このような空疎な詩を発表されては英文科の面目に拘わるという批判の声さえ上がったという(金子健二『人間漱石』)。それも頷けるような、講談調の月並みな文句が連ねられている。
ただ、漱石のような人物でさえこのような空疎な詩作品を作り、それを世に問いたいほどに昂揚していたという事実のなかに、当時の社会の雰囲気が感じとれる。
「反戦」「非戦」を主張しているのは、たかだか読者が3千人前後の『平民新聞』だけであったという事実がある。
『従軍行』は日露戦争の初期に主戦の国民感情を鼓舞する征露の新体詩が流行する中で、殊にそうした熱狂を高揚させた<第2回旅順口閉塞作戦>の直後創作された作品である。しかし、この詩は他の戦争詩とは位相を異にし、戦争を容認しつつも、戦争の死に対する懐疑や戦死の不安が表象されるなどの微弱な厭戦性を帯びた、いわゆる2元性を包含する作品であった。
この詩の空疎さは、何よりも作者が、傍観者であるにもかかわらず意気を挙げている、その非当事者性にあるだろう。
■評価
森田草平は、「私は別段感服しなかつた。(何処に待望された鬼才漱石を待たなければ出来ないやうなものがあるかとさへ思った位である)」(『漱石先生と私』上)と述べる。
金子健二(漱石の「英文学概説」講義を聴いていた東京帝大の学生)はその日記の中で、「英文科の某君は”こんな拙いものを書かれては我等英文科の名誉を汚がす”と酷評した。純然たる時代思想に便乗した平凡な客観詩である。夏目先生に不むきな題材だと思った。」(『人間漱石』)と記し、「純然たる時代思想に便乗した平凡な客観詩、漱石に不むきな題材」とみる。
大岡昇平は、「従軍行はあまりよい出来ではない」、当時の戦争鼓吹の戦争詩は「国民の集団的意志を表現しているが、」漱石のこの詩には「戦争を個人の力闘の範囲に圧縮しているところが違っている」と言っている(『小説家夏日漱石』)。
江藤淳は、「『従軍行』が空疎な駄作であることはあまりにも歴然としている。わずかにイメージに生彩があるのは第四節であるが、それはむしろ彼の眼に映じていた生のイメージであって、戦争と強いて関係づける必要のないものである」(『漱石とその時代』第二部1970年 新潮社)と評している。
伊豆利彦は、「漱石の『従軍行』は詩としてすぐれたものではなかった。類型的な表現からも自由ではない。しかしそこにはロシアに対する悪罵の言葉や、戦争を美化し、国民をあおりたてるような景気のいい、勇ましい言葉はない。むしろこの詩から感じられるのは重苦しい圧迫感であり、孤独感であり、暗い宿命、罪と呪いの匂いである。戦争詩一般の上昇的な気分に対して、ここにあるのは下降的な気分である。ここには漱石の暗い緊迫した心があり、孤独ではげしい戦の意志の表明はあるが、それはむしろ暗く寒く暗澹としていた。(中略)ここには集団としての軍隊の姿はなく、単騎太刀をふりかざす孤独な戦士の姿だけがある」(『漱石と天皇制』1989年 有精堂出版)として、他の戦争詩とは異なる独自性を考察している。
ちなみに「従軍行」創作当時の漱石のメモには、会話体の「自己批評」とも読める文章が記されている。
「僕は新体詩を作ったから見てくれ給へ従軍行と云ふのだ帝国文学へ投書したから今に出るだらう」「それは面白いだらう見せ給へ、エー何だって抑も敵は讐なれば、成程御尤もだ、油断をするな士官下士官、何だか妙だね(中略) 士官下士官とはなんだまるで狂歌の下の句見た様だね「然し士官、下士官と士官を重ねた処が甘いだらう」「恐らく三日三晩苦心したのだらう」「なにそんなに名句の積りでもないのさその位な事は朝食前の芸さ」「何でも腹の減って居る時の句に相違ないと思った先づ是等は進めや進めと敵は幾万の間に寝転んで居て此日や天気晴朗と来ると必ず一瓢を腰にして滝の川に遊ぶ類の句だね、然し戦争の詩歌も段々出来た様だが中々面白いのがあるよ」
引用部分の最後は、後に書かれる『吾輩は猫である』のなかで、迷亭が「月並」の説明をする台詞に酷似している。
■表現の特徴
「従軍行」の表現の特徴の一つは、作者が先頭に立って兵士たちを叱咤激励しているのではなく、従軍している兵士たちの内部へ入りこんで、一人称の「ワレ」の視点から、彼らが見た情景や内面の心情を描いていること。一人称の「ワレ」及び「ワガ」の表記は、第一連と第二連では「吾」、第四連が「我」、第六連が「われ」、第七連が「吾」と書き分けられていて、それぞれが別の人物であることを示し、複数の人物が登場する劇詩的な手法と言える。これは、この詩作の直前に翻訳したオシアンの「セルマの歌」と「カリックスウラの詩」(『英文学叢誌』第一輯1904年2月 文会堂)の手法を取り入れたものとも思われる。しかし、技術的な未熟のためや、戦争への決意や情熱が欠けているため、それが成功しているとはいえない。
このような戦いへの意欲の乏しきは、各連の表現にも表れている。
第一連では「吾に讐あり」を反復し「讐」という語を五回も用いているが、なぜ「吾」にとってロシアが「讐」なのかがよくわからない。
第二連ではロシアが「讐」である理由を「傲る吾讐、北方にあり」としているが、「傲る」が具体的にどういう行動を指すのかが不明。また、遠く戦場へ赴く理由を「天子の命」があったから「臣子の分」として行くと、「忠君愛国」思想を述べているが、「吾」の自発的な意志として行くのではなく、「臣子」の義務として仕方なく行くというようにも読み取れる。
第一・二連において「吾」は、「讐」の存在と従軍の必要性を自分自身に言い聞かせているかのようだ。
第三連は、実際に敵を倒した戦闘時のことを表現したものではない。「従軍行」執筆までには日露間にまだ本格的な陸戦はなく、敵味方が一対一で刃を交す戦闘もない。兵士(おそらく将校)は、「折れぬ此太刀」(天皇から授与された恩賜の軍力かもしれない)に手をかけ、敵を切り倒す自分の姿を想像して、戦闘に赴く自らを勇気づけようとしているかのようだ。「吹くは碧血」「骨を掠めて」などの血なまぐさいイメージも、登場人物の空想の中に現れたもので、壮絶な感じを起こさせるものではない。"
"第四連は、勇壮感なく暗い悲壮感が漂い、幻想的な雰囲気ながら、実際の海戦を思わせる現実感もある。
漱石がこの詩を書くまでに行われた海戦は、宣戦布告以前に奇襲した仁川沖の戦いや旅順港襲撃があるが、この詩のイメージに近いものは、旅順港口閉塞作戦である。第1回閉塞作戦は2月24日、第2回は3月27日、第3回は5月3日に決行されたが、作戦は失敗に終った。「従軍行」執筆は第2回と第3回の間で、漱石は第2回作戦の新聞報道などをもとに想像して第四連を書いたと思われる。
「さと閃めくは、罪の稲妻」は、ロシア軍の探照灯によってあたりが照らし出され、敵弾が広瀬を撃ち殺したことをいうのでらろう。この「罪」はロシア軍だけの「罪」ではなく、戦争という殺し合いをする限り両軍ともまぬがれない「罪」であり、漱石が意識していた中国・朝鮮に対する「罪」の意識でもあった。「我」は、「端舟」(=ボート)に乗り移った「乗員」の一人を想定したものであろう。"
"第五・六連は、満州でくりひろげられる陸戦の情景や兵士の心情を表現したものである。
第五連には一幅の戦争画のような趣があるが、類型的な表現を免れない。
第六連は第五連の続き、命を賭けた「われ」の奮戦と武士的な勇気が描かれている。「見よ兵等」「開けや殿原」と名乗りを挙げて戦う「武士」の姿は、近代戦というよりも戦国時代の合戦を思わせる。
また、第五・六連の戦闘場面は作りものじみて、戦いへの真の意欲に欠けている。
第六連3行目「これの命は」は、「われの命は」の誤植ではないかと思われる。
第七連は、従軍中の兵士が、戦いが終って自分の武名が挙がり、敵軍が全滅して日本の国威が揚がり、よろこぼしい平和の日々がやってくることなどを願っていることを描いている。兵士は、「瑞穂の国」を守っているという「八百万神」に向かってその加護を祈っている。漱石は、かつて神話と歴史を混同している国粋主義者たちを「高間原連」(1891年11月10日付子規宛書簡)と椰愉したことがある。「従軍行」執筆の頃も、「八百万神」の存在を信じていたはずはないが、従軍兵士が自分の生命の安全や日本国の勝利や平和の到来を「八百万神」に祈る気持には共感できた。第七連には、日本の勝利のうちに早く戦争を終らせたいという作者の心情が表れている。
つづく
2025年5月24日土曜日
「何人か死人出る」「生活できない」下請け業者怒り 万博アンゴラ館休館“4300万円工事費未払い”問題(カンテレ)
「何人か死人出る」「生活できない」下請け業者怒り 万博アンゴラ館休館“4300万円工事費未払い”問題 https://t.co/c0aUA2TzDr #ニュース #関西テレビ放送 #カンテレ
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) May 24, 2025
国務長官マルコ・ルビオ。両親はキューバの独裁から逃れてアメリカにやってきた。自身も「移民の子」であることを訴え続けてきた。今、「魂を売った」と言われ、SNLでもトランプの言いなりになる様をネタにされている。 / マルコ・ルビオが2016年の大統領選に立候補した時、対立候補のトランプはルビオが当時44歳と若く、しかも童顔なことから「リトル・マルコ」とあだ名をつけて呼び続けた。度重なる侮辱にルビオは、トランプの手が小さいことから「手が小さいとあそこも小さい」とやり返した。
国務長官マルコ・ルビオ。両親はキューバの独裁から逃れてアメリカにやってきた。自身も「移民の子」であることを訴え続けてきた。今、「魂を売った」と言われ、SNLでもトランプの言いなりになる様をネタにされている。 https://t.co/pMr5NjxnM8
— 堂本かおる (@nybct) May 22, 2025
マルコ・ルビオが2016年の大統領選に立候補した時、対立候補のトランプはルビオが当時44歳と若く、しかも童顔なことから「リトル・マルコ」とあだ名をつけて呼び続けた。度重なる侮辱にルビオは、トランプの手が小さいことから「手が小さいとあそこも小さい」とやり返した。これが大統領選でのこと。ル… https://t.co/UD9sQGK2xW
— 堂本かおる (@nybct) May 23, 2025
トランプが、中国人の大富豪ジャスティン・サンを自分のゴルフ・クラブに招待し、10万ドルの金時計を「授与」した。 サンはトランプの仮想通貨に2000万ドル以上、トランプ家の別の暗号資産ビジネスにも7500万ドルを投資している。
トランプが、中国人の大富豪ジャスティン・サンを自分のゴルフ・クラブに招待し、10万ドルの金時計を「授与」した。
— 町山智浩 (@TomoMachi) May 23, 2025
サンはトランプの仮想通貨に2000万ドル以上、トランプ家の別の暗号資産ビジネスにも7500万ドルを投資している。
こんなに腐敗した大統領、ありえない。https://t.co/3M3JnyYkAe
大杉栄とその時代年表(504) 1904(明治37)年5月10日 漱石の新体詩「従軍行」(『帝国文学』5月10日発行) 『帝国文学』4月号は4編の戦争詩を掲載 「征露進軍歌」坪井九馬三 「 我兵見よやロシア国」上田万年 「 祝捷行軍歌」芳賀矢一 「征夷歌三章」土井晩翠
1904(明治37)年
5月10日
漱石の新体詩「従軍行」(『帝国文学』5月10日発行)
(執筆は4月中旬~下旬頃か)
一
吾に讐(あだ、敵)あり、艨艟(もうどう、軍船)吼ゆる、
讐はゆるすな、男児の意気。
吾に讐あり、貔貅(ひきう、猛獣)群がる、
讐は逃すな、勇士の胆。
色は濃き血か扶桑(日本)の旗は、
讐を照さず、殺気こめて。
二
天子の命ぞ、吾讐撃つは、
臣子の分ぞ、遠く赴く。
百里を行けど、敢て帰らず、
千里二千里、勝つことを期す。
粲(さん)たる七斗は、御空のあなた、
倣(おご)る吾讐、北方にあり。
三
天に誓へば、岩をも透す、
聞くや三尺、鞘(さや)走る音。
寒光熱して、吹くは碧血(へきけつ)、
骨を掠(かす)めて、戛(かつ)として鳴る。
折れぬ此太刀、讐を斬る太刀、
のり飲む太刀か、血に渇く(かわ)太刀。
四
空を拍(う)つ浪、浪消す烟(けむり)、
腥(なまぐ)さき世に、あるは幻影(まぼろし)。
さと閃めくは、罪の稲妻、
暗く揺(なび)くは、呪ひの信旗。
探し死の影、我を包みて、
寒し血の雨、我に濺(そそ)ぐ。
五
殷たる砲声、神代に響きて、
万古の雪を、今捲き落す。
鬼とも見えて、焔(ほのほ)吐くべく、
剣に倚りて、眥(まなじり)裂けば、
胡山(こざん)のふゞき、黒き方より、
鉄騎十万、莽(もう)として来る。
六
見よ兵(つはもの)等、われの心は、
猛き心ぞ、蹄(ひづめ)を薙(な)ぎて。
聞けや殿原(とのばら)、これの命は、
棄てぬ命ぞ、弾丸(たま)を潜りて。
天上天下、敵あらばあれ、
敵ある方に、向ふ武士(ものゝふ)。
七
戦(たたかひ)やまん、吾武(わがぶ)揚らん、
倣る吾讐、茲に亡びん。
東海日出で、高く昇らん、
天下明か、春風吹かん。
瑞穂の国に、瑞穂の国を、
守る神あり、八百万神。
日露開戦とともに、多くの戦争詩が作られ、帝国文学会(漱石は評議員)でも、評議員会あるいは編集委員会で戦争詩の特集が決定され、漱石にも執筆依頼があったものと思われる。帝国文学会の機関誌『帝国文学』4月号は、4編の戦争詩を掲載している。
征露進軍歌 坪井九馬三
我兵見よやロシア国 上田万年
祝捷行軍歌 芳賀矢一
征夷歌三章 土井晩翠
漱石は、5月号には書かねばならない義務を負っていたと思われる。
「征露進軍歌」
高麗の山
支那の海
旭のみ旗光るなり
進めや進め
大和ますらを。
旅順のみなと
うらぢばのさき
我雷(いかずち)鳴りはためく
大和ますらを。
「我兵見よやロシヤ国」
(一)
陸路進むる十万の
我兵見よやロシヤ国
こゝにも神州男児あり
将たる人に智略あり
兵たる者に武勇あり
すぶるに仁義の規律あり
(二)
陸路進むる十万の
我兵見よやロシヤ国
こゝにも神州男児あり
武器悉く鋭利にて
衛生輜重通信の
機関もすべてとゝのへり
(三)
陸路進むる十万の
我兵見よやロシヤ国
こゝにも神州男児あり
一つ言葉に一つ血の
万世不易の帝室を
いたゞく民に一致あり
(四)
陸路進むる十万の
我兵見よやロシヤ国
こゝにも神州男児あり
十年のうらみ遼東に
かばねと残すはらからが
かたみの剣さやばしる
(五)
陸路進むる十万の
我兵見よやロシヤ国
こゝにも神州男児あり
二千年来きたへたる
やまとだましひ今茲に
さくらと共に咲きにほふ
(六)
陸路進むる十万の
我兵見よやロシヤ国
こゝにも神州男児あり
とよさかのぼる天つ日の
朝日の御旗野に山に
てらせば消ゆる草の露
「祝捷行軍歌」
(一)
捷報来るいざ祝へ
正義をかざす大日本
いづこに向ふ敵あらむ
凱歌に韓の野も震ひ
渤海湾の波躍る
(二)
捷報来る心地よや
東扶桑の青海原
富士の高根袖広く
見ずや義烈の世々の跡
勇武の血もて飾られぬ
(三)
聴け宣戦の大詔勅
威烈の光仰ぎ見よ
建国二千五百年
鍛ひ上けたる日本魂
用ふる時は来りたり
(中略)
(八)
心安かれ清の友
正義の神は矛執りて
汝が国の疆に在り
心安かれ韓の民
仁侠汝を擁護せり
(中略)
(十一)
とくとく進めうち殲せ
蒙古西比利亜蹶破りて
鳥拉超えんも時の間ぞ
ペテルスブルグ遠くとも
正義の弾丸は達すべし
(十二)
起て東洋の大民
奮へ義勇の兵士等
道我に命じたる
名誉の軍こゝに在り
勝利の軍こゝに在り
つづく
2025年5月23日金曜日
トランプ支持者の心性とは 取り残された「赤の州」の憎しみ(朝日 有料記事);「実際には、米国では貧富の差が劇的に拡大している。彼らから富を奪ったのは移民ではなく、トランプ氏やマスク氏ら大金持ちなのだ。再分配政策の必要性から目をそらすため、敵を作って対立をあおるやり方にまんまと乗せられる人たちは、外部の敵を恐れているのだろう。」
https://t.co/U2M7EhrEo0 「実際には、米国では貧富の差が劇的に拡大している。彼らから富を奪ったのは移民ではなく、トランプ氏やマスク氏ら大金持ちなのだ。再分配政策の必要性から目をそらすため、敵を作って対立をあおるやり方にまんまと乗せられる人たちは、外部の敵を恐れているのだろう。」
— 本田由紀 (@hahaguma) May 23, 2025

