1904(明治37)年
5月10日
漱石の新体詩「従軍行」(『帝国文学』5月10日発行)
(執筆は4月中旬~下旬頃か)
一
吾に讐(あだ、敵)あり、艨艟(もうどう、軍船)吼ゆる、
讐はゆるすな、男児の意気。
吾に讐あり、貔貅(ひきう、猛獣)群がる、
讐は逃すな、勇士の胆。
色は濃き血か扶桑(日本)の旗は、
讐を照さず、殺気こめて。
二
天子の命ぞ、吾讐撃つは、
臣子の分ぞ、遠く赴く。
百里を行けど、敢て帰らず、
千里二千里、勝つことを期す。
粲(さん)たる七斗は、御空のあなた、
倣(おご)る吾讐、北方にあり。
三
天に誓へば、岩をも透す、
聞くや三尺、鞘(さや)走る音。
寒光熱して、吹くは碧血(へきけつ)、
骨を掠(かす)めて、戛(かつ)として鳴る。
折れぬ此太刀、讐を斬る太刀、
のり飲む太刀か、血に渇く(かわ)太刀。
四
空を拍(う)つ浪、浪消す烟(けむり)、
腥(なまぐ)さき世に、あるは幻影(まぼろし)。
さと閃めくは、罪の稲妻、
暗く揺(なび)くは、呪ひの信旗。
探し死の影、我を包みて、
寒し血の雨、我に濺(そそ)ぐ。
五
殷たる砲声、神代に響きて、
万古の雪を、今捲き落す。
鬼とも見えて、焔(ほのほ)吐くべく、
剣に倚りて、眥(まなじり)裂けば、
胡山(こざん)のふゞき、黒き方より、
鉄騎十万、莽(もう)として来る。
六
見よ兵(つはもの)等、われの心は、
猛き心ぞ、蹄(ひづめ)を薙(な)ぎて。
聞けや殿原(とのばら)、これの命は、
棄てぬ命ぞ、弾丸(たま)を潜りて。
天上天下、敵あらばあれ、
敵ある方に、向ふ武士(ものゝふ)。
七
戦(たたかひ)やまん、吾武(わがぶ)揚らん、
倣る吾讐、茲に亡びん。
東海日出で、高く昇らん、
天下明か、春風吹かん。
瑞穂の国に、瑞穂の国を、
守る神あり、八百万神。
日露開戦とともに、多くの戦争詩が作られ、帝国文学会(漱石は評議員)でも、評議員会あるいは編集委員会で戦争詩の特集が決定され、漱石にも執筆依頼があったものと思われる。帝国文学会の機関誌『帝国文学』4月号は、4編の戦争詩を掲載している。
征露進軍歌 坪井九馬三
我兵見よやロシア国 上田万年
祝捷行軍歌 芳賀矢一
征夷歌三章 土井晩翠
漱石は、5月号には書かねばならない義務を負っていたと思われる。
「征露進軍歌」
高麗の山
支那の海
旭のみ旗光るなり
進めや進め
大和ますらを。
旅順のみなと
うらぢばのさき
我雷(いかずち)鳴りはためく
大和ますらを。
「我兵見よやロシヤ国」
(一)
陸路進むる十万の
我兵見よやロシヤ国
こゝにも神州男児あり
将たる人に智略あり
兵たる者に武勇あり
すぶるに仁義の規律あり
(二)
陸路進むる十万の
我兵見よやロシヤ国
こゝにも神州男児あり
武器悉く鋭利にて
衛生輜重通信の
機関もすべてとゝのへり
(三)
陸路進むる十万の
我兵見よやロシヤ国
こゝにも神州男児あり
一つ言葉に一つ血の
万世不易の帝室を
いたゞく民に一致あり
(四)
陸路進むる十万の
我兵見よやロシヤ国
こゝにも神州男児あり
十年のうらみ遼東に
かばねと残すはらからが
かたみの剣さやばしる
(五)
陸路進むる十万の
我兵見よやロシヤ国
こゝにも神州男児あり
二千年来きたへたる
やまとだましひ今茲に
さくらと共に咲きにほふ
(六)
陸路進むる十万の
我兵見よやロシヤ国
こゝにも神州男児あり
とよさかのぼる天つ日の
朝日の御旗野に山に
てらせば消ゆる草の露
「祝捷行軍歌」
(一)
捷報来るいざ祝へ
正義をかざす大日本
いづこに向ふ敵あらむ
凱歌に韓の野も震ひ
渤海湾の波躍る
(二)
捷報来る心地よや
東扶桑の青海原
富士の高根袖広く
見ずや義烈の世々の跡
勇武の血もて飾られぬ
(三)
聴け宣戦の大詔勅
威烈の光仰ぎ見よ
建国二千五百年
鍛ひ上けたる日本魂
用ふる時は来りたり
(中略)
(八)
心安かれ清の友
正義の神は矛執りて
汝が国の疆に在り
心安かれ韓の民
仁侠汝を擁護せり
(中略)
(十一)
とくとく進めうち殲せ
蒙古西比利亜蹶破りて
鳥拉超えんも時の間ぞ
ペテルスブルグ遠くとも
正義の弾丸は達すべし
(十二)
起て東洋の大民
奮へ義勇の兵士等
道我に命じたる
名誉の軍こゝに在り
勝利の軍こゝに在り
つづく

0 件のコメント:
コメントを投稿