2012年11月11日日曜日

「それ(生活保護不正受給)を冷静な検証もないまま報道が裏打ちし、雪だるま式に膨らむことの危険性」(生活保護と世間の「空気」)


「朝日新聞」11月8日「社説余滴」浜田陽太郎

<転載(段落、改行を施す)>
生活保護と世間の「空気」

 社説は、約20人の論説委員の議論を経て決まる。
自分の提案に反対意見が出たら、それを乗りこえられない限り、掲載には至らない。

 先日、そのような経験をした。
テーマは、お笑い芸人の母親の生活保護受給をきっかけに、「不正受給の横行」などと一斉に制度批判に走ったテレビの報道のあり方だ。

 弁護士や貧困者の支援団体らが、放送倫理・番組向上機構(BPO)に「偏見・誤解を助長する内容だ」として審議を要請。
しかし、機構は「編集の自由の範囲内と考えられる」として、要は門前払いすることにした。

 私も、報道に問題を感じた一人である。

 特に見過ごせないと思うのが、「働けるのに保護を受けたと聞いた」「ブランド物を身につけている」等々、視聴者や街頭の声を、裏取りもせずそのまま流すやり方だ。

 「保護にただ乗りする人間が大勢いる」という直感が醸す世間の「空気」。
それを冷静な検証もないまま報道が裏打ちし、雪だるま式に膨らむことの危険性---。

 そんな問題提起をしようとしたのだが、同僚から賛同が得られなかった。

 まずBPO同様、「編集の自由」をしばりかねないという強い反論が出た。

 「世の中の見方が揺れ動くのは、ある程度仕方がない」との指摘もあった。
保護を受けられず事件が起きれば、逆方向の「空気」が盛り返してバランスするという理屈だ。

 なるほど、取材相手が権力者、強者なら、そういう考え方もあるかもしれない。

 資質が疑われる政治家や、不正に手を染めた経営者がいた場合、政界や業界の体質まで掘り下げて批判的に報道するのは、メディアの大切な使命で、自己規制などもってのほか、ということだろう。

 ただし、社会保障など人々の生活に直接かかわる分野では話は別である。
権力者ならその厚顔ではね返す程度の一太刀でも、普通の人は傷つき、血を流すからだ。

 強者が覇を競い、権謀術数が渦巻く権力取材。
私はその経験に乏しい。
そのかわり、普通の人がどう暮らすかについて調べ、考えてきた。

 その経験から、病気、高齢、貧困で心が弱った人間は、世間の「空気」、それを伝えるメディアの表現ぶりにとても敏感なことを知った。

 この皮膚感覚は大切にしたい。
たとえ、口下手で「ケンカには強い」といえなくても。 
(社会保障社説担当)
<転載おわり>

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