田上市長の政府批判は、NHKの式典中継テレビ画面の字幕でも流れた。核兵器の非人道を告発する各国共同声明に署名しなかった安倍内閣の姿勢は被爆者、広島・長崎の怒りをかっている。(津) 〈参考〉 http://t.co/F8yomt5uzh pic.twitter.com/lhgz4tE0Hf
— 赤旗政治記者 (@akahataseiji) August 9, 2013
東京新聞核不使用声明 日本賛同せず 「なぜだ」鬼気迫る市長
2013年8月9日 夕刊
首相の目の前で、痛烈な政府批判を展開した。九日の長崎市の平和祈念式典で田上市長は、「核兵器の非人道性に関する共同声明」への不賛同やインドとの原子力協定を挙げ、国への疑念を表明。心中にはスイスで感じた政府へのいら立ちがあった。
■納得できない
「なぜ賛同できないのか。その理由をお聞かせいただきたい」
四月二十四日、スイス・ジュネーブ。国連欧州本部の応接スペースで田上市長は天野万利(まり)・軍縮会議政府代表部大使に詰め寄った。この日、核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会は共同声明を七十カ国超の賛同で採択したが、日本は賛同せず。田上市長と松井一実(かずみ)・広島市長を前に、大使はこう釈明した。
「『いかなる状況下でも核兵器を使用してはならない』という部分が、日本の安全保障政策と合致しない。全ての賛同国に理解を得るには時間切れだった」
「それは違う。いかなる状況でも核兵器を使用しないことが人類の利益であることは、被爆地としては当然だ。説明は納得できない」。即座に切り返した田上市長は、その後も三十分以上、政府の姿勢を問いただす。同席した市幹部は、普段は冷静でにこやかな市長の鬼気迫る表情に驚いた。
田上市長はこの二日前、大使に声明への賛同の可能性を尋ねていた。昨年も同様の声明が提案されたが、日本政府には直前まで声がかからず「検討する時間がなかった」として賛同を見送ったためだ。今年は事前に説明を受けている。大使はこの時「まだ最終結論に至っていない」と述べたが、市長は「今回こそは」と期待していた。それだけに不賛同を知り「がっかりした。と同時に、問いたださなくてはと思った」と振り返る。
■一致した思い
政府に真意を聞くため上京したが、徒労に終わった。長崎平和宣言の起草委員を長年務め、長崎の平和運動の理論的支柱でもある土山(つちやま)秀夫・元長崎大学長(88)は「外務省に『考え方の違いだ』と言われ、冷たくあしらわれたと感じたのだろう」と語る。
七月、土山氏は市長にこう進言した。「せっかく首相が長崎に来る。良い機会ですよ。被爆地の思いを聞き取ってもらいましょう」
平和宣言で「原点に返れ」と繰り返した田上市長。「被爆地は政府とともに行動したい。核兵器のない世界の模索こそ、被爆国が取るべきリーダーシップ。主体性を持ってほしい」との思いを込めた。土山氏は「これほど強いトーンで政府に注文を付けた宣言は初めて。被爆者と市長の思いが一致した結果だ」と強調した。
YAHOOニュース
被爆68年、長崎原爆の日 平和宣言「原点に返れ」
朝日新聞デジタル 8月9日(金)11時21分配信
【斎藤靖史】被爆68年となる長崎原爆の日の9日、長崎市で平和祈念式典が開かれた。原爆投下時刻の午前11時2分、参列者は目を閉じて犠牲者を悼んだ。田上富久市長は平和宣言で、政府が核兵器の非人道性を訴える共同声明に賛同しなかったことを「被爆国としての原点に反する」と強く批判。核廃絶にリーダーシップを発揮するよう求めた。
【写真】原爆投下時刻に合わせて黙祷(もくとう)をする式典参列者たち=9日午前11時2分、長崎市、岩下毅撮影
政府は4月、スイス・ジュネーブでの核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える共同声明に賛同しなかった。田上市長は平和宣言で「世界の期待を裏切った」「核兵器の使用を状況によっては認める姿勢を示した」と指摘。政府に「被爆国としての原点に返ること」を求めた。
原発の技術を輸出するため、NPT未加盟のインドと原子力協定の交渉を再開したことも、「NPTを形骸化し、NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与える」と批判した。
一方、世界に1万7千発余りある核弾頭の9割以上が米ロ両国のものだと指摘し、両国の大統領に「大胆な削減」に取り組むよう求めた。
そのうえで、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」という憲法前文を引用。そこには国民の決意がこめられているとして、平和を求める原点を忘れないよう、戦争や被爆の体験を語り継ぐことの大切さを訴えた。
反核運動を引っ張った長崎の被爆者、山口仙二さんが7月に亡くなったことを挙げ、減り続ける被爆者の平均年齢が78歳を超えたと指摘。「ノーモア・ヒバクシャ」という山口さんの演説を引き、若い世代に「被爆者の声に耳を傾けて」と呼びかけた。
式典に出席した安倍晋三首相は「核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶、世界恒久平和の実現に力を惜しまぬことを誓う」とあいさつした。
式典には約5800人が参列し、初参加のインドを含め、過去最多に並ぶ44カ国の代表が集まった。米国は昨年に続いてジョン・ルース駐日大使が出席し、2011年の初参列から3年連続で代表が出席した。
式典では、この1年間に死亡が確認された3404人の名簿が奉安され、長崎原爆による死者は計16万2083人になった。
長崎市長の長崎平和宣言(2013/8/9)安倍首相の困惑顔をご覧ください。 http://t.co/y91Fv2qIHA 平和宣言に賛同の方は、ここでクリックしましょう。 http://t.co/O6sgcaScYK
— 金吾@放射線管理区域に人は住めない (@kingo999) August 9, 2013
毎日JP
長崎原爆の日:被爆者、痛烈に批判
毎日新聞 2013年08月09日 12時07分(最終更新 08月09日 12時12分)
◇核兵器不使用の共同声明に賛同しなかった政府を
9日、68回目の「原爆の日」を迎えた長崎は、原爆犠牲者への鎮魂の祈りに包まれ、一瞬にしてすべてを奪った原爆への怒りを新たにした。「私たち長崎の被爆者は驚くというより、憤りを禁ずることができません」。平和祈念式典で被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた築城(ついき)昭平さん(86)=長崎市ダイヤランド2。核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委で、非人道性の面から核兵器の不使用を訴える共同声明に賛同しなかった日本政府を痛烈に批判した。
68年前、長崎師範学校2年の18歳だった。動員学徒として長崎市内の三菱兵器住吉トンネル工場での夜勤を終え、爆心から約1・8キロの寮で就寝中に爆風に吹き飛ばされた。厚手の布団を頭からかぶって寝ていたため左手足のやけどですんだが、体中から血が流れ、赤鬼のような姿で近くの防空壕(ごう)まで逃げた。
戦後、中学校教師として平和教育に尽力した。「幸いにして生き延びた」と言い、米国などで核実験が繰り返されるたびに座り込みに参加。「長崎を最後の被爆地に」と訴え続けた。それだけに「唯一の戦争被爆国として核兵器廃絶の先頭に立つ義務がある」はずの政府が共同声明に賛同しなかったことに憤りを隠さない。
安倍晋三首相らを前に訴えた「平和への誓い」。築城さんは「ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマの教訓として、『核と人類は共存できない』ことは明らかです」と主張した。さらに被爆者、戦争体験世代に向かって「今、平和憲法が変えられようとしています。再び戦争の時代へ逆戻りしないよう、あなたの体験をまわりの人たちに伝えてください」と呼びかけた。戦争を知らない世代に継承しなければいけないとの思いを込めて。【梅田啓祐】
田上長崎市長の平和宣言も、日本政府のNTPへの署名拒否、インドとの原子力協定を批判し、福島原発事故の被害者への支援を訴える。憲法前文を引用し「あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です」との呼びかけに身が引き締まる思い。 http://t.co/XZlkKMadc8
— 金子勝 (@masaru_kaneko) August 9, 2013
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