2013年12月10日火曜日

秘密保護法成立 「廃止」が後世への責任だ(新潟日報社説) : 「軍機保護法が制定された1899年。普通選挙法と引き換えに治安維持法が制定された1925年。あるいは大政翼賛会の1940年か。後世の人々は、この2013年を、そうした年と同様に思い起こすことになるのだろうか。」

新潟日報 社説
秘密保護法成立 「廃止」が後世への責任だ

 軍機保護法が制定された1899年。普通選挙法と引き換えに治安維持法が制定された1925年。あるいは大政翼賛会の1940年か。

 後世の人々は、この2013年を、そうした年と同様に思い起こすことになるのだろうか。

 国民の不安と懸念を押しつぶし、特定秘密保護法が成立した。政治が大きく舵を切り、越えてはならない一線を越えようとしている。強い憤りと、危機感を抱かざるを得ない。

◆国家による情報統制

 法が成立したからといって仕方がないと諦め、その危険性から目を背けることは許されない。

 本来国民のものである情報を国家が統制し、その統制を侵す者には厳罰を科すという法律である。

 そのような法律が大手を振る社会がどこへ向かうのか。それは歴史を振り返れば明らかだ。ここで目を背け沈黙することは、子や孫たちへの背任である。

 成立した法の廃止を目指すとともに、情報公開法の強化や公文書管理の適正化など、政治の密室化を防ぐあらゆる手段を尽くすことが私たちに課せられた責任だ。

 天皇の統帥権のもと、軍部が権力を振るった戦前と、国民主権をうたう憲法と民主主義の下にある現在を同一視すべきではないという意見もあるだろう。

 だが、今年8月、憲法改正論議に絡み「ナチスの手口に学ぶべきだ」という内容で問題となった麻生太郎副総理による発言を思い起こさねばならない。

 ワイマール憲法による民主的手続きで多数を握ったナチス政権は1933年全権委任法を成立させ独裁体制を確立、憲法を有名無実化した。

 秘密保護法も、情報に関する「全権委任法」と呼べるものだ。

 国会のチェック機能は制限され、与野党の修正協議で付則に盛り込まれた「第三者機関」も個別秘密情報指定の妥当性には踏み込めないだけでなく、その設立時期さえ確定してはいない。

 審議終了間際に駆け込みのように設置が表明された秘密指定チェックのための「情報保全監察室」も、その内容、機能については全く議論されていない。

◆安倍政権の姿勢象徴

 度重なる修正でも国家権力による恣意(しい)的な秘密指定を防ぐ手だてが保証されないまま、国民の知る権利を政府に委ねる法律が生まれた。

 このほかにも、秘密が半永久的に解除されない例外規定が残るなど、欠陥は多い。だが、その危険性はこの法案の審議の進め方、国民に対する安倍政権の姿勢そのものに象徴されている。

 基本的人権、国の姿にも関わる法律である以上、できうる限り慎重な審議が求められたはずだ。にもかかわらず政府、与党は通常国会での継続審議を拒み、会期内での採決を強行した。

 国民の抗議の声がより高まることを恐れただけでなく、法案のもつ欠陥を政府、与党自身が認識しているからこそ、その露呈を避けようとしたのではないか。

 そもそも、この臨時国会は景気浮揚へ向け、アベノミクスの真価が問われる成長戦略国会となるはずだった。にもかかわらず、その論議よりも秘密法の成立を優先し、精力をつぎ込んだことに安倍政権の本質が示されている。

◆歴史を逆行させるな

 国民生活の向上より、自らの信念である戦後政治の総決算、ひいては「戦争のできる国づくり」を選んだともいえる。

 その姿勢は、採決直前に急きょ開かれた地方公聴会で与党が推薦した意見陳述人が2人とも自衛隊出身者だったことに如実に表れた。

 今国会では秘密保護法案と併せて、米国などとの同盟強化を図り、非常時の司令塔ともなる国家安全保障会議(日本版NSC)設置法も成立した。さらに年明け以降、集団的自衛権容認へ向けた憲法解釈変更にも取り組む構えだ。

 国民が衆参両院選挙を通じ自民党に求めたものは、経済の復活であり、このような形での「強い国」づくりではなかったはずだ。

 民主主義や人権への鈍感さは国際的信頼を損ない、国益を害することも認識すべきだ。

 自民党内の一部にもあった法案への懸念が党内で影響力を持つことはなかった。与党公明党は、国権より人権を優先する「人間主義」を綱領でうたっているが、その原点は失われたのだろうか。

 日本維新の会やみんなの党といった一部野党も、形ばかりの修正をのみ、結果的に成立の補完勢力となったといえる。「翼賛」体制が強まれば、国の未来はさらに危うい。

 開かれた情報は民主主義と平和の基盤である。国民の声、異論が抑圧された時代へ、歴史を逆戻りさせてはならない。

2013/12/08

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