今日は節分。日本では正月が新暦一辺倒になって意味が分かりにくくなりましたが、立春から新年とする考え方では、その前日ということですね。「豆まき」は、宮中で大晦日に行われた追儺が民間に広まったものの由。「つこもりの夜、ついなはいととくはてぬれば」(『紫式部日記』寛弘5年12月30日)
— 中世の古文書 (@kojima_sakura) 2014, 2月 3
「鬼は外、福は内」は中世にはもうあって、『臥雲日件禄』文安4年(1447)12月22日条に「明日立春故、昏に及び、景富(人名)室毎に熬(いり)豆を散ず、因に鬼外福内の四字を唱う、蓋し此方 儺(な=おにやらい)を駆るの様也」とあります。相国寺のお坊さんが、まじめにやってたんですね。
— 中世の古文書 (@kojima_sakura) 2014, 2月 3
「福は内」の初見はこれのようです
節分の夜、大豆(まめ)打つをききて、
福は内へ 入豆の今夜 もてなしを ひろひ(拾い)ひろひや 鬼はいづらむ『宗長日記』大永6年(1526)12月25日
「入り」と「煎り」をかけてるんですね。こういうことを調べるには『古事類苑』が便利ですが、
— 中世の古文書 (@kojima_sakura) 2014, 2月 3
【訂正】すみません、さっきの「鬼は外、福は内」の出典、『臥雲日件禄』と書きましたが、『臥雲日件録』の誤りです。相国寺の禅僧、瑞渓周鳳の日記で、原本は失われ、抄録した写本のみですが、収集家田中勘兵衛の手を経て、現在は歴博所蔵となっています。活字は『大日本古記録』にあります。
— 中世の古文書 (@kojima_sakura) 2014, 2月 3
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