江戸城(皇居)東御苑 諏訪の茶屋とボタン 2014-05-01
*昭和18年(1943)
3月9日
・第5艦隊(司令長官細萱戊四郎中将)によるアッツ、キスカ島への第1回船団輸送、成功。
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3月9日
・インドネシア、民衆総力結集運動(プートラ)組織。
3月9日
・米軍日系人第100大隊、イタリア上陸。
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3月10日
・第11軍第13師団、湖北省揚子江右岸地区占領。
40師団、芙蓉地区占領。
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3月10日
・大本営政府連絡会議、ビルマ独立指導要綱決定
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3月10日
・毎日新聞・陸軍省・NHK後援「「皇軍慰問書籍百万冊献納式」開催。
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3月10日
・遣独伊連絡使岡本季正少将ら出発。13日ベルリン着。
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3月11日
・中国にアメリカ第14空軍が発足、年の後半から日本の海上輸送路を攻撃
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3月11日
・普通銀行等ノ貯蓄銀行業務又ハ信託業務ノ兼営等ニ関スル法、日本証券取引法、日本証券取引所法、市街地信用組合法、農業団体法、水産業団体法公布
農業団体法により、帝国農会下系統農会が産業組合系統と統合、農業会となって帝国農会消滅。
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3月11日
・日本産業大阪鉄工所が日立造船となる
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3月12日
・関東軍憲兵隊司令部警務部長名、特移扱に関する件通牒
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3月12日
・商工組合法、商工経済会法、薬事法、石油専売法、日満地方税徴収事務共助法公布。
商工会議所は日本商工経済会へ統合
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3月12日
・米統合参謀本部主催太平洋軍事会議。
「カートホイール」(車輪)作戦採用」(マッカーサー、ハルゼー両部隊が、ニューギニア、ソロモンの日本軍基地を潰しながらラバウルを包囲、包囲完成迄に8ヶ月、13の作戦実施)。
ヨーロッパ第一の為、小作戦の積重ね方式となる。
各方面軍の参謀長・主任参謀達が出席。
ニミッツ司令部からは、ミッドウェーの勝利のあと参謀長に転出していたスブルーアンス少将、ハルゼー司令部からは、同じくミッドウェー海戦で決定的役割を果たしたブローニング参謀長、マッカーサー司令部からは、腹心のサザーランド参謀長が出席。
席上、スブルーアンス、ブローニング両参謀長は上官の意を体して、キング大将に中部太平洋構想の作戦上の無理を指摘、これはひっこめられる。
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3月12日
・ソ連軍、ヴィヤジマを奪回
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3月13日
・東条英機、南京へ行き汪兆銘と会談
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3月13日
・ラジオ聴取加入者700万人突破
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3月14日
・在華日本専管租界還付に関する細目取決め調印(南京)。
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3月14日
・日本、専管租界を南京汪政権に返還
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3月14日
・職業野球連盟、ユニフォーム色をカーキ色、背番号を廃止、帽子を戦闘帽とする
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3月14日
・ドイツ軍、ソ連に反撃。ハリコフ再占領。
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3月15日
・南方人文研究所・南方資源科学研究所、台北帝大内に設立
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3月15日
・外貨債処理法公布
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3月15日
・統合参謀本部(JCS)の統合参謀本部戦略調査委員会、「米国はハワイからフィリピン諸島及び小笠原諸島にいたる線上で適当な島を選び、海軍及び空軍基地として武装すべきである」と結論。
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3月16日
・第6次アキャブ作戦
英印軍、第6次のアキャブの日本軍攻撃。
25日、第55軍師団長古閑健中将命令により、午前0時30分、棚橋支隊、メユ河西岸に渡河。
26日未明、メユ山系東麓アテッナウンラの英軍陣地を急襲。
(詳細)
16日、英印軍の第6次攻勢。
英第6旅団・インド第47旅団・英機甲旅団第146連隊の1大隊、第16、130砲兵連隊に上陸用艦艇6隻を加えドンベイに来襲、宮脇支隊に代わった徳島の宇野連隊を激しく攻撃。
古閑師団長は棚橋連隊にメユ河渡河して進撃を命じ、第33師団第213連隊砂子田大隊孝の指揮下に入れて棚橋支隊とした。
師団長は、メユ河東岸ティズエでインド第55、122旅団に大打撃を与え、北上しプリンドオ付近の河岸に展開している棚橋支隊を右翼にもって、左旋回の遭遇戦を交えつつ、英第6旅団に突進することを企図。
25日午前零時30分、支隊は川幅1千m余のメユ河西岸に無事渡河。
翌26日夜明け、支隊はメユ山系東麓アテッナウンラの英軍陣地を急襲。それよりメユ山系を横断し、ベンガル湾岸に向かってむ。海岸沿いには、宇野支隊がドンベイから北進することになっており、それと策応して、英軍第6旅団主力を捕捉殲滅する計画。
4月5日、棚橋支隊はベンガル湾に臨むインディン部落で英第6旅団と衝突。
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3月16日
・「昨日、高の台ゴルフ・クラブに遠征を試む。PGA〔文筆家のゴルフの会〕なり。三等賞をとる。すき焼あり、天気よく、好個の日であった。
夕刊によって東条首相が南京に赴いたことを知った。理由は江精衛の来朝に対する返礼のためである。しかしすでに租界を無条件返還することの話しが纏まり、これの打合せと、対支媚態のためであろう。
最も重大なポイントは、東条首相をもってしても、実際外交をやれば、この程度の譲歩を巳むなくすることと、また事態がここまで押して来たことである。
願わくはこれによって国民が、智的に少しは利口にならんことを。ただ政策的にいえば、これによって支那は日本の弱点を発見するのみで、全く何ら効果なきは明らかだ。」(清沢『暗黒日記』)
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3月16日
・納税施設法、特別行為税法、酒類団体法公布
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3月17日
・ガ島戦後、参謀本部は自信を持ち直し、国力増強の必要に目覚め、大東亜共栄圏作りという政略に熱中。
東条首相は、「参謀本部は統帥部たる本質に鑑み、国内問題、軍政問題に頭を突込まざる様補佐すべし」(「機密戦争日誌」3月17日)と注意する。
しかし、東條の忠告は、「責任の分界を明瞭ならしむるは・・・勿論なりと雖も・・・政略部門を等閑に付すること能わざるは亦、近代戦の要請なり」と、軽く一蹴。
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3月17日
・「堀内謙介氏〔元外務次官〕の談(先頃・本月初旬)。陛下が東条首相に語りたもうた。「有吉〔明〕公使がかつていっていた、『支那における西洋人は皿の中の御馳走を皆な食った。しかるに日本人は皿まで食ってしまう』と」。束条は帰って来て感激して高等官を集め、大御心を伝え、対支政策の転換を語ったという。
どうせ返還をやむなくするならば、現在の返還は認め得べきだろう。しかし政策の転換に陛下を引合いに出すのはー議会でもそうだったー極めて不穏だ。陛下に御責任を帰し奉(たてまつ)ることになるのではないか。」(清沢『暗黒日記』)
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3月17日
・アルバニア共産党第1回全国協議会開催。ホジャを書記長に選出。
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3月18日
・戦時行政特別法、戦時行政職権特例、行政査察規定、公布、首相権限拡大、5大産業(鉄鋼・石炭・軽金属・船舶・航空機)の行政集中・軍需物資の増産を目的
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3月18日
・内閣参議制を廃止して、内閣顧問制を布く
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3月18日
・許可認可等臨時措置法公布
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3月18日
・バー・モウ・ビルマ行政府長官ら来日(~4月15日)。
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3月19日
・洋画家藤島武二(75)、没。
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3月19日
・列車乗務員の腕章から英米語を除去
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3月20日
・佐藤幸徳中将、南方派遣。第15軍第31師団長に親補。5月10日バンコクで編成完了。
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3月20日
・「米国では、毎木曜日に戦後経営について討議する会合ができた由、日本では戦後の事を話せば、総てこれデフィーテスト〔敗北主義者〕として批難され、あるいは罰せられもするだろう。
今朝の『読売』に米国のユダヤ金権化の問題あり。世界をユダヤ人と非ユダヤ人との二つに分つ如き単純な頭では何一つ解決はできぬ。ユダヤ人問題をいうものは、世界の問題を複雑な形において論じ得ない頭脳者である。この連中はモーゲンソー(米国の蔵相)〔財務長官〕が米国を参戦せしめたという。こういう単純な論理だから困る。」(清沢『暗黒日記』)
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3月20日
・~28日。第8軍、マレト線を攻撃突破
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3月20日
・英『囲い込み」作戦(ビスケー湾のUボート襲撃作戦)
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