2014年5月8日木曜日

堀田善衛『ゴヤ』(32)「王立サンタ・パルバラ・タピスリー工場」(5) 「ゴヤは歩を一歩進めた。・・・ 地下の生活者たちが、牧歌、田園詩というフィクションを通じて、王室に位置を占めはじめた。 時代の風向きがかわって来つつあるのである。」

江戸城(皇居)東御苑 2014-05-07
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『マンサナーレス河畔での踊り』
「マドリード郊外での、・・・「ピクニック」があらわれる。
これではじめて定収入がえられるかもしれぬという期待と幸福感を反映してか、おやつを外気のなかで食べている男女は、顔も、手も足もすべてひどくまるいのである。葡萄酒を飲み、葉巻を吸い、牧歌的とはこのことであろう。その、すべてのまるさ加減は、当時の風船である、動物の膀胱か盲腸をふくらましたかの感がある。文学の側での田園詩とも関連があるであろう。『マンサナーレス河畔での踊り』も描かれる。次第に地平線が下って来て人物が浮き出すようにとの工夫もがこらされて来る。
マドリードの西側を区切って流れるこの河は、市民にとってはいつも冗談の種であった。それはパリにとってのセーヌ河の役割をしていたのではあるが、河というほどに大袈裟なものではない。まずは小川ほどのものであり、しばしば氾濫をおこすものであった。あるときの洪水時に、この小川に騾馬の鞍が流れて行くのを見た市民たちが、鯨が泳いでいる、といって大騒ぎをし、ためにマドリード人たちは、”鯨人間”という仇名をつけられたことがあった。彼らの物見高さと大仰さ加減を示す挿話である。小さな河ではあったが、それは人々にとって慰めの河であった。ごろた石だらけの高原に住む人々にとって、河と噴水は心の渇きをいやしてくれるものであった。なにかというと彼らはこの河沿いに遊びに行った。」

『ペスタ・ヌエーバの喧嘩』
「つづいて『ペスタ・ヌエーバの喧嘩』が出て来る。ペスタは旅籠というほどの意である。ここにはじめて、田園詩中の登場人物ではなくて、本物の下層民が登場して来る。凄まじい面構えの馬方か博労かが、棒を振りあげて出て来るのである。旅籠の若いおかみは、どちらかが殺されるのではないか、と心配をしている。ここでも地平線は繰り下げられて、人物を浮き出させている。」

『アンダルシーアの散歩道』
「さてその次にあらわれるのは、『アンダルシーアの散歩道』と題されたものであるが、これには「マハと顔を覆った男たち」という別名があり、この「散歩道」は、実は怖ろしいものなのであった。・・・
アンダルシーア地方は、実はこの当時もっとも危険な地方であった。ここがモーロ人との最後の戦闘の舞台であったこともあって、人々の気は荒く、喧嘩早かった。それに、わるいことに、七〇四年以来、ジブラルタル半島がイギリスの占領下にあった。ということは、密輸基地であるということでもあった・・・」

強盗団、国民的英雄
「強力に組織された強盗団がいくつもあり、特にセピーリァとグラナダのあいだの、山だらけの無人地帯がいけなかった。こに頑張っていた強盗団は、ホセ・マリアと呼ばれる、当時において全スペイン的に有名な頭目ディエゴ・コリエンテスを頭に頂いていた。メリメ作『カルメン』中のドン・ホセの原型である。このホセ・マリア麾下の一団は、歯まで武装をしていて、騎乗の、勇武をわめた連中であった。彼ら自身、自ら強盗団であると同時に、密輸団をもかねていた。密輸物資の輸送途中を襲って奪いとれば、向後は彼らが密輸団に代るだけの話である。そうして彼らの服装がまた素晴しかった。彼らは人類の盗賊史のうちで、舞台の上の石川五右衛門とともにもっとも美衣をまとった連中であったであろう。彼らは実害に遭わない人々にとっての、いわば国民的英雄でさえあった。」

マホとマハ
「その美衣、その服装こそが、この『アンダルシーアの散歩道』に出て来る連中の服装であった。耳まで蔽う長い桶のような帽子をかぶり、大きなケープ乃至は外套をまとい、金、あるいは銀のバックルつきの靴をはいている。帽子の中の挑発はヘア・ネットでまとめてある。腰には大きな剣をつけ、勿論ピストルをもっている。短いナイフは腰帯のなかにかくしてある。銃は、ここには見えぬ馬につけてあるものであろう。」

「こういう連中が、いわゆる〝マホ〞(Majo)の原型であり、このマホにつきそっている女が、マハ(Maja)と呼ばれるものであった。マハ、マホなる伊達者、ダンディー風俗は、従ってアンダルシーアから北上して来たものであった。マドリードは、江戸がそうであったように、各地方からの上京者-その大部分は貧民たちであった-たちの寄り合い世帯てあったから、この首都でのマハやマホたちは、それぞれの出身地方の特性をもあわせもっていた。」

マハ(女性)の方は、何時でもマホといっしょになって喧嘩を買って出る用意があった
「マハ(女性)の方は、長いスカートに薄い紗の肩掛けをし、祝祭日のような特別の機会にはレースのマンティーリアに、”ベイネータ”と呼ばれる櫛を頭のテッペンに差し込む。そうしてマハたちもまた鞘入りの短剣を左足のガーターに差し込んでかくしもっていた。何時でもマホといっしょになって喧嘩を買って出る用意があった。」

マハもマホも、決してカツラをかぶらなかった
「マハもマホも、決してカツラをかぶらなかった。
世の中おしなべて、たとえばカツラの流行に見られるように、フランスかぶれのなかにあって、マハとマホの特徴は、その服飾や身の振舞い方に外国起源のものをとり入れない、というよりは積極的に嫌うところにあった。もっとも服飾のなかのあるもの、ストッキングやバックルつきの靴などにフランス風のものが見られるとしても……。」

マホは決して女性優先をしない。男性上位なのである
「しかも、マホ(男)はマハ(女)とつれだっているときでも、決して女性優先をしない。男性上位なのである。
マホたちの職業は、鍛冶屋、錠前屋、旅籠屋、肉屋、鋳掛け屋、むしろ織り屋、家具屋、パン屋、屠殺屋、オリーヴ売り屋、皮のなめし屋、紙屋、絨毯屋、博労など、ほとんどすべての、……屋と名のつくものに従事していたものであった。」

下層階級のナショナリズムは、頑固きわまりない保守、保旧主義、排外主義と通じていた
「スペインは、社会のあらゆる面にわたって改革を必要としていた。イギリスやフランスは、すでに近世の産業社会へ入って行く準備がほぼ完了しかけていた。・・・
しかも進歩と改革は、一言で言うとして、フランスやイギリスを見習うことであった、・・・。そうして下層階級が辛うじて保持してくれていた貴重なナショナリズムは、一切の外国起源のものを、社会のあらゆる部面で拒否をした。この貴重なナショナリズムは頑固きわまりない保守、保旧主義、排外主義と通じていた。Espana Sobre Todos! 世界に冠たるスペイン!」

ゴヤは歩を一歩進めた
地下(じげ)の生活者たちが、牧歌、田園詩というフィクションを通じて、王室に位置を占めはじめた
時代の風向きがかわって来つつあるのである
「・・・ゴヤは歩を一歩進めた。
博労や馬方のなぐり合いの喧嘩、アンダルシーアの強盗やコントラバンディスタ(密輸業者)に起源をもったマハやマホを、堂々と宮廷へもち込んだのである。・・・描き方にも牧歌調、田園詩風のものをのこしている。またそれは仮装舞踏会風でもある。事実、向後は西欧世界での仮装舞踏会には、マハとマホは欠かせぬものとなる。・・・
・・・宮廷や貴族とは何の関係もない屠殺者や錠前屋や馬方・・・。彼らがゴヤの手によってカルトンに描かれ、それの受け入れが宮廷によって承認され、サンタ・パルバラの工場でタピスリーに織り上げられ、そうして皇太子や皇太子妃の居間や寝室の前室の壁などを飾ることになる。
地下(じげ)の生活者たちが、牧歌、田園詩というフィクションを通じて、王室に位置を占めはじめた。
時代の風向きがかわって来つつあるのである。」
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