2014年5月1日木曜日

学徒兵木村久夫、処刑理由 (「東京新聞) : 島民を拷問の結果、81人が処刑され、取り調べ段階で4人死亡。犠牲者は85人→「厳しく断罪されたのは、調べにあたった末端の兵」「司令官の少将こそ銃殺刑。参謀は無罪、副官の中佐は懲役三年~木村ら五人は絞首刑」 — 山本宗補


東京新聞【一首のものがたり】
学問の道半ば、南洋に死す    
2013年12月25日

◆音もなく我より去りしものなれど 書きて偲(しの)びぬ明日と言ふ字を 木村久夫

 旧制高知高校(現高知大)の卒業を控え二度目の落第をした学生が、夜更けに一冊の学術書を手に取る。夜通しかけて読み、朝には決意が固まっていた。<よし、おれは勉強する。社会科学に一生を捧(ささ)げる。誰が何と言っても一歩も退かないぞ>

 BC級戦犯として一九四六年五月二十三日、二十八歳の若さでシンガポール・チャンギ刑務所で処刑された木村久夫。四二年に京都大経済学部に進んだ後、分岐点の一夜を未完の自伝小説「物部川(ものべがわ)」にこうつづった。

 その言葉通り、木村は左手に定規、右手に赤鉛筆を持って線を引きつつ、次々と専門書を読破していく。経済学の研究を究めたい-。人生の夢がやっと軌道に乗り掛かった時、召集令状が届いた。

 四二年十月、入学から半年で陸軍に入営。翌年九月、南方に派遣される。行き先はインド洋のカーニコバル島。海軍大佐が司令を務める民政部に配属され、得意の英語を生かし住民との折衝を担う。

 <此(こ)の頃では心臓も強くなってベラベラやってゐます><原住民は仲々可愛いい><戦争が終れば内地へつれて帰り度(た)いと思ふ事もある>

 家族への手紙は検閲を受けたものだが、それを割り引いても充実感にあふれる。

 だが、終戦間際に起きたひとつの事件が運命を変えた。発端は単なる米泥棒だった。

 四五年七月、木村は民政部の上官に住民三人の取り調べを命じられる。先に尋問した陸軍から重大情報が伝えられていた。住民が信号弾を打ち上げ、英軍に情報を流している-。スパイ容疑である。

 島への英軍上陸が近いとささやかれていた時だった。

 調べで木村は、首謀者がインド人の医師ジョーンズであると聞き出す。「情報を得るため、棒で打った」。調書で木村は、こう認めている。

 三日後、高齢の容疑者が死亡した。引き渡された時、既に衰弱しており、木村は一時間半調べただけだ。だが、このことが後に問われる。

 陸軍は、木村ら民政部の調べを手ぬるいと指弾し、元警察官の兵士らに過酷な取り調べをさせた。芋づる式に「スパイ」が増えていった。

 民政部の大尉鷲見(すみ)豊三郎の手記によると、参謀らは「こんな調査は一日に十人ぐらい死んでも構わぬ覚悟でやらにゃ」「睾丸(こうがん)を火であぶったらどうじゃろ」と言った。

 陸軍本部付の通信兵だった磯崎勇次郎(92)=千葉県鴨川市=は、取り調べの警備担当として現場に立ち会った。

 「火責め、水責めです。火膨れの体から水が出て、傷だらけになっている。『やったろう!』『ノー。ノー』『ノーか、イエスか!』。調べといってもその程度でした」

 こうして多数の住民がスパイ行為を「自白」し、七月下旬から八月半ばにかけて八十一人が「処刑」された。このほか取り調べ段階で四人が死亡しており、犠牲者は八十五人に上る。敗戦後、上層部は軍律裁判を行ったように取り繕ったが、実際は開いておらず、事実上の虐殺だった。

 すべては参謀らの命じたことだ。だが、戦犯裁判で最も厳しく断罪されたのは、調べにあたった末端の兵だった。司令官の少将こそ銃殺刑とされたが、参謀は無罪、副官の中佐は懲役三年。これに対し木村ら五人は絞首刑-。

 木村は初期に八人を調べただけで、「処刑」には関与していない。二度にわたり、裁判長に真相を告げる嘆願書を出したが、退けられた。

 死刑執行を控えた四六年四月、木村は一冊の本を手にする。田辺元(はじめ)『哲学通論』。裏から二ページ目に「大阪外国語学校英語部生徒」とあり、上官の鷲見のものと分かる。

 その余白に、木村は最後の思いを書き連ねた。

 <日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中(まっただなか)に負けたのである><私は何等(なんら)死に値する悪はした事はない。悪を為(な)したのは他の人である><降伏が全国民のために必須なる以上、私一個人の犠牲の如(ごと)きは涙を飲んで忍ばねばならない><母よ泣く勿(なか)れ、私も泣かぬ>

 日本の将来を案じ、家族に思いを寄せ、よく滞在した高知の猪野沢温泉を懐かしむ。この地に一時住んだ歌人吉井勇に傾倒しており、十九首の短歌と俳句一句を残した。

 音もなく木村の下を去った「明日」。だが悲劇の学徒が魂を込めた言葉は、人々の心に生きている。 (敬称略)
      ◇
 木村の手紙と遺書で、片仮名の箇所は平仮名に直しました。(文化部長・加古陽治)

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