江戸城(皇居)二の丸庭園 2014-06-17
*明治37年(1904)
8月15日
・午前6時50分、旅順要塞砲撃。
午前10時55分、第3軍第1旅団(山本少将)第15連隊(代理戸枝百十彦少佐)第2・第3中隊、164高地占領。
午前11時30分、後備第1旅団(友安治延少将)後備第15連隊(高木常之助中佐)、北大王山占領。
164高地は「高崎山」と命名(第15連隊・後備第15連隊の原駐地が高崎市)。
3ヶ日間の戦闘。死傷1,252。第3軍上陸以来死者1,303、負傷5,810。
16日午前10時前、第3軍参謀山岡熊治少佐、降伏勧告の軍使として水師営北方の陣地を出る。
翌17日、ロシア側、拒否回答。
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8月15日
・平民社演説会。
西川光二郎、大垣。16日岐阜。19日名古屋。22日浜松。25日静岡。26日興津。27日吉原。29日小田原。30日山北。
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8月15日
・木下尚江「良人の自白(上編」(「毎日新聞」~11月10日)。
翌年、中・下編を完成。~39年6月。
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8月16日
・源田実、誕生。
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8月16日
・イギリス政府、中立国の商船の拿捕・撃沈に関してロシアに正式に抗議。
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8月17日
・この日、鴎外、張家園子に於て『黄禍』を詠う。
「勝たば黄禍/負けば野蛮/白人ばらの/えせ批判/褒(ほ)むとも誰か/よろこばん/謗(そし)るを誰か/うれふべき/(中略)/見よや黄禍/見よや野蛮/誰かささへん/そのあらび/驕者(けうしや)に酔へる/白人は/蝗(いなむし)襲う/たなつもの」
鴎外は、転戦中のこの年9月、従四位に叙せられ、
11月には勲三等、瑞宝章を授与される。
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8月17日
・オーストリア初の労働党内閣崩壊。
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8月18日
・荒畑寒村(17)、横浜の海岸教会牧師館で横浜平民結社(7月25日結成)の茶話会を開く。
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8月18日
・境利彦の妻ミチ子、病没。
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8月19日
・第1回旅順口総攻撃
第1師団は右翼に後備歩兵第1旅団、中央に歩兵第1旅団、左翼に歩兵第2旅団を配置。
第1日目。
午前6時、盤龍山東堡塁を砲撃。双方で砲撃戦。
午前7時、第1師団(松村務本中将)後備歩兵第1旅団(友安治延少将)後備歩兵第15連隊(代理横山軍治少佐)が大頂子山北の122、136高地へ前進。
午前8時、同後備歩兵第1連隊(余語正信少佐)が大頂子山の169高地に前進。第2大隊(殿井隆興少佐)が高地西北の第1散兵壕を奪取し、第1大隊・予備隊も来着。但し169高地への突撃は頓挫(殿井少佐負傷)。
午前10時、後備歩兵第15連隊第1・2大隊が大頂子山北の122高地へ進出。
午前11時頃、日本軍の砲弾が東鶏冠山第2堡塁の火薬庫に命中。
午後11時35分、後備歩兵第15連隊第1大隊は122高地から136高地に前進。
約1/3が死傷(大隊長代理戸波留郎大尉負傷)。第1師団の戦線は膠着。
午後7時、第9師団(大島久直中将)第18旅団(平佐少将)第36連隊(三原重雄大佐)が龍眼北方堡塁に前進。
砲撃を受け死傷者続出、立ち往生。第36連隊第3大隊は大隊長清水少佐以下殆どが死傷、第2大隊は2/3を失う。第1大隊(予備、田中貫一少佐)は第3大隊に合流できず。
午後8時25分、第1師団歩兵第2連隊第1大隊(五十君弘太郎少佐)を大頂子山に増派するが、失敗(五十君少佐は負傷)。
20日午前5時30分、第9師団第18旅団第36連隊三原大佐は、数度にわたる塁壁爆破失敗のあと退却命令を受領するが、連隊は動けず。
第1回旅順総攻撃の日本軍死傷者1万5,860人。
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8月19日
・韓国閣議、条約事前協議は反対強く、これと切離して顧問制について李夏栄外部大臣・朴定陽度支相が覚書に調印。
20日、2大臣調印覚書に駐韓林公使が調印。
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8月20日
・第1回旅順口総攻撃第2日目。
午前6時50分、第1師団歩兵第2旅団(左翼)第2連隊が107・93高地を占領。第3連隊は水師営南方を攻めるが死傷者続出(第1大隊長鞍掛起英少佐・第3大隊岡野敏彰少佐、負傷)。
午前9時30分、後備歩兵第1旅団の大頂子山攻撃再開。後備歩兵第15連隊・歩兵第2連隊第1大隊が北から、後備歩兵第1連隊が西側の169高地を攻撃。
午後0時20分、後備歩兵第15連隊・歩兵第2連隊第1大隊が大頂上子山を占領。
午後4時、第3軍乃木大将は、予定通り21日午前4時の攻撃を下命
(参謀副長大庭中佐は1日延期を進言、参謀長伊地知少将の予定通りの攻撃献言を乃木大将が容れる)。
21日午前4時、第11師団(土屋光春中将)第44連隊(石原廬大佐)第2大隊(本郷少佐)は東鶏冠山北堡塁下から突撃。本郷少佐(戦死)ら死傷者続出。第1大隊(吉永狂義少佐)は東鶏冠山第2堡塁を攻撃。
4時20分、ロシア兵は第2砲台へ退却。但し、第1大隊も吉永少佐、代わった大久保猪之助大尉も戦死し生存者は僅少となる。
5時、第9師団第7連隊(大内大佐)第1大隊(佐久間金吾少佐)、続いて第3大隊(広中俊実少佐)が盤龍山東堡塁に突撃。両少佐はじめ大半が死傷。
5時50分、第2大隊(吉田為次郎少佐)が盤龍山独立堡塁に突撃。吉田少佐は戦死し残兵僅かとなる。最後に大内連隊長直率の突撃で大内大佐ら将校ほぼ全員死傷。第3大隊長広中中佐が残兵100余を地隙内に糾合。
6時10分、第6旅団(一戸少将)が第7連隊後方600mに進出。第35連隊(折下勝造中佐)第1大隊(中西俊豪少佐)が第7連隊第1・3大隊残兵のいる地点まで到達。
6時30分、第11師団司令部(大孤山麓)の砲弾落下、参謀堀田祐之助大尉戦死。
午前8時、第44連隊第1大隊が占領した東鶏冠山第2堡塁に対して、ロシア兵1個中隊が奪還攻撃。大隊長代理鈴木信之介大尉は退却決意。第9師団第6旅団第35連隊第3大隊は第1大隊と同じルートを選び壊滅状態となる。
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8月20日
・韓国2大臣調印覚書に駐韓林公使が調印。
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8月20日
・韓国で一進会(親日政治団体)設立。
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