片山杜秀・慶大教授
1963年生まれ。音楽評論家としても活躍。著害に「近代日本の右翼思想」「未完のファシズム」など
『朝日新聞』2014-07-02
「時務(じむ)の論理」という昭和10年代の日本で好んで使われた言葉がある。
日中戦争が始まる。ナチスが台頭する。米は世界大恐慌で低迷。すぐ第2次世界大戦になるかもしれない。
危機の時代に対処するのは政治の務め。緊急事態への即応力を高める。法律なんぞ後回し。それが時代の求める論理。
時務の論理とは目先の都合にあわせて法解釈も何も変えてゆく論理だ。
国の存立に関わる。この決め台詞(せりふ)で無理を通す。
閣議決定で憲法解釈を変更。集団的自衛権は合憲。
時務の論理の復活ではないか。
平和憲法と集団的自衛権にはやはり矛盾がある。改憲の手続きが不可欠だろう。
現政権は改憲する余裕なしと考えているようだ。
明日にもアジアで有事があるかも。米が中東かどこかで協力を求めてくるかも。そのとき日本が即応できることが第一義なのだ。
集団的自衛権の議論はかつてもあった。
そこで抑止力となったのは歴史の記憶だった。敗戦の不幸な記憶だ。
その記憶を血肉にし、この国の身の程をわきまえた自民党の長老が、党内のタカ派を抑えた。
平和憲法の理念を信奉した社会党などの存在も大きかった。
でも来年で敗戦から70年。記憶はいよいよ風化する。
そして別の記憶が取って代わる。対米依存の「幸福な記憶」だ。日米安保体制を堅持してきたからこそ戦後日本はうまく運んできた。
その記憶と、危機の時代の時務の論理が手を握る。
米が弱ってきた。世界の危機だ。日本の出番だ。
ここで日本がやる気を見せれば、より対等な日米関係を発展させうる。幸福は持続しうる。平和憲法は二の次。
集団的自衛権容認の根幹思想ではあるまいか。
だがこの幸福な記憶は今後もあてになるだろうか。
20世紀初頭の日英同盟が思い出される。日英が手を結べば東洋平和は守れるつもりだった。
けれど、やがて日英だけではアジア太平洋地域を仕切れなくなった。米が台頭したからである。
日英同盟は終わり、米などを入れた多国間の安全保障体制に切り替わった。
もちろん日米同盟は現時点で大切だ。
が、集団的自衛権容認は平和憲法の精神にふれる。
平和や自衛という言葉の意味の、異次元的緩和だ。拡大解釈だ。
そこまでやらねば本当に国が危ういのか。
時務の論理は危機の時代ならではの究極のリアリズムのつもりで展開される。
が、あとから考えると近視眼的に興奮しての選択ミスということも多い。
かつての日本は危機に負けない強い政治力を求めて大政翼賛会を作った。日本の独立自衛のため大東亜共栄圏を構想した。失敗に終わった。
まだ遅くない。時務の論理の暴走を食い止めねばならない。声をあげよう。
(聞き手・渡辺哲哉)
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