2014年7月10日木曜日

『評伝ナンシー関「心に一人のナンシーを」』横田増生(著)を読む(1) : 『それでいいのか。後悔はしないのか』

『評伝ナンシー関「心に一人のナンシーを」』横田増生(著)を読む(1)

この本を読んだので、自分用のメモ<断片>を作った。
この本、チョーおススメです。

評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」 (朝日文庫)
評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」 (朝日文庫)

<目次>
まえがき
プロローグ 
第一章 ナンシー関の才能とその影響力 
作家 宮部みゆきの場合
天性の観察眼と「規格外」という自意識
「後悔はしないのか」
テレビプロデューサー 土屋敏男の場合
視聴率とは別の、もう一つの指針
コラムニスト 小田嶋隆の場合
視聴者と同じ目線の高さ
イラストレーター 山藤章二の場合
”自分批評”という新しいジャンル
第二章 <ナンシー関>が誕生するまで
照れ屋のちょっと変わった女の子
「ホットドッグ・プレス」での初仕事
改行なしのコラム原稿
たけしの「オールナイトニッポン」の影響
マブダチとの出会い
丁稚で勝負!
消しゴムを彫って生きる覚悟
「ビックリハウス」に単身で売り込みに行く
「ミュージック・マガジン」の表紙に抜擢
自分自身の物差し
独自のスタイルが完成
第三章 青森での関直美
子どものころから「大人」
実家でのナンシー
クラスの中の”最後の砦”
マツコとの鼎談
高校受験に失敗
サブカルチャーに傾倒
「演歌はいいけど、精神的演歌は嫌だ」
はじめて消しゴムハンコを彫る
投稿ハガキが読まれ、拍手喝采
第四章 旅するナンシー、歌うナンシー
香港でパーマをかける
ハンコとスタンプ台を持ち歩く
台湾社員旅行の過酷すぎるスケジュール
「今考えれば、いいこと浮かぶかも」
ナンシーのバンド時代
染之助・染太郎の前座でバンドデビュー
なぜか「嫌いじゃなくなった」カラオケ
サブカル好きなお相撲さんと出会う
憧れのムーンライダーズに緊張
いくつもあったカラオケの十八番
免許持つ人、持たぬ人
箱根への日帰りドライブ
第五章 ナンシー関の全盛期
はじめての単行本
愛用の消しゴム
見えるものしか見ない「顔面至上主義」
「噂の真相」での連載開始
日常生活では「人の顔など見ちゃいない」
永ちゃんのコンサートに「潜入」
「フォーエバー毒蝮」
「テレビには出ない」という決断 
本領発揮のプロレス技
ページ始まって以来の抗議の投書
大月隆寛との対談「地獄で仏」
ナンシーの外見と文章
週刊誌コラム連戦で全国区に
テレビコラムを主戦場に定めて
デーブ・スペクターとの論争
松本の外したような笑いのセンス
定点観測の視点
リリー・フランキーとの対談「小さなスナック」
エピローグ
あとがきにかえて
主な参考文献
年表

■読書録(断片)

ナンシーのテレビ評の魅力
<引用>
ナンシーのテレビ評の魅力は、これまで漠然と思っていたことを、的確に言語化してくれる点にある。人々の胸の中にあるもやもやとした感情を、平易な言葉と鋭利な論理で明快に説明してくれる。そうしてはじめて人はその事情を笑ったり、不愉快の理由を知って溜飲を下げたりすることができる。ナンシー関はその能力において、一頭地を抜いていた。(著者)

作家宮部みゆきの場合
ナンシー・ファン
「私、ナンシーさんがデビューしたころからの大ファンなんです」

「世界文化社から出ている”何シリーズ”から読みはじめました。それからは、ナンシーさんの単行本が出るとすぐに買って、文庫本になると今度は解説がついているからまた買うじゃないですか。雑誌『CREA』の対談なんかも大好きで買うんです。そうしていると、いつのまにか、家の本棚の一段が全部ナンシーさんの本で埋まったんですよね。・・・」

「ナンシーさんは毎週、テレビに映る事象をピンポイントで評論していたわけですけれど、テレビや芸能界のことだけを評論しているんじゃなく、社会を映す鏡としてのテレビを評論していたんだと思うんですよ。その掘り下げ方が深かった。だから、テレビ評論なのに普遍性があって、いつまでも古びることがないんだと思います。たとえば、ナンシーさんは神田うの・・・」

『心に一人のナンシーを』の意味・由来
「民俗学者の大月(隆寛)さんが、ナンシーさんとの対談で、みんな心に一人のナンシーを持とう、とおっしゃってるでしょう。その言葉に私自身、とても賛成しているんです」

「心に一人のナンシーを」の由来は、雑誌「CREA」でのナンシーと大月との対談で、大月が言い出したことにあるが、これに対し、ナンシーが「なんですか、それ」と突っ込み、大月がこう答えた。

「いや、みんなどこかでナンシーが見てると思えば、自分で自分にツツコミ入れて、不用意に何かを信じ込んだり、勝手な思い入れだけで突っ走ったりしなくなるんじゃないかと思ってさ」(『地獄で仏』)

宮部は大月に賛同する理由をこう語る。

「ナンシーさんって、ご自身を相対化しているというか、冷静に客観視している部分があって、文章や対談でも舞い上がることのない人でした。私もナンシーさんの本を読んでいたおかげで、自分を見失わずにすんだところがあります。たとえば、・・・」

自分は規格外だという自意識
「私もナンシーさんに似たところがあるんです。家庭を持たない、子どもがいない、小説の中に恋愛の要素があまり入ってこない、というところなどです。それって、周りから見ると一種の”異邦人”なんですよね。ナンシーさんが身を置いていた生活空間の中で、規格外という言葉には、ナンシーさん自身も自分を”異邦人”と感じている感覚が表れているのかもしれませんね。私がナンシーさんの作品に惹かれる理由の一つもそこにあるのかもしれません」

「後悔はしないのか」
<引用>
宮部が常に胸に刻んでいるナンシーの言葉があると言う。
「ナンシーさんが、文章の最後を『それでいいのか。後悔はしないのか』という言葉でしめている回があるんです。折に触れて、その言葉を自分自身に言い開かせているんですよ」
宮部が言うのは、武田鉄夫が出演した<アサヒ生ビール・ほろにが>のCMについて、ナンシーが九一年に書いたCM評論だ。人気ドラマ『一〇一回目のプロポーズ』に主演したことで、それまでの泥臭い、暑苦しい、粘着質といった武田が、大きなイメージチェンジを果たした。
その人気ドラマの余勢を駆るようにして作られたCMに、ナンシーが苦言を呈している。その評論は次のように終わっている。
「ドラマ終了に合わせるようにオンエアが開始された『ほろにが』のCM。以前ならば小首をかしげて『ほろにが』とささやく武田鉄夫など、世間はけっして許さなかっただろう。しかし、今や武田鉄夫は小首をかしげて『ほろにが』とささやくことを許される男になった。それでいいのか。後悔はしないのか」(『何様のつもり』)

以上が宮部みゆきの場合

イラストレーター 山藤章二の場合
”自分批評”という新しいジャンル
<引用>
ナンシーはちょくちょく自分自身をコラムの中に登場させる。山藤はそれを”自分批評”という新しいジャンルだと言う。
「ナンシーの文章にはよく、途中で 『何を言っているんだろう私は』とか、『・・・・・とまとめてどうする』というように、自分自身のつぶやきのようなものが差し挟まれていることがあります。芸能人という敵を斬りつけながらも、返す刀で自分の腕にも赤い筋が残る程度の浅い傷を負う。テレビやテレビタレントと真っ向から対峙するという構図の中に自分も入れて、三角形のゲームを作って、自分自身についても批評している。そのために、批評の世界がもう一歩深みを増しているんです」

ナンシーの名付け親、いとうせいこう
「えのきどさんからおもしろい娘がいるから会ってくれないか、と言われて、最初に三人で会ったのが、ソファーがべっちんみたいな安物の生地を使っていた池袋の喫茶店だったと記憶しています。・・・その喫茶店で、えのきどさんから、イラストレーターっぽい名前をつけてくれって言われました。八〇年代の当時はイラストレーター全盛のころで、<ベーター佐藤>や<スージー甘金>みたいなふざけた名前が流行っていました。『だったら、関直美なら、直美の<な>をとって、<ナンシー関>でいいんじゃないの』と言ったんです。その場のノリですよね。まさかその人の一生を形作る名前になるとは思ってなかったんで、本当に軽い気持ちでつけたんです」

いとうせいこうが語るナンシーの文章(初期の頃)
「ナンシーには書きたいことが山ほどあり、また改行で字数を稼ぐような書き方への激しい嫌悪もあったのだと思う。それがひしひしと伝わったからこそ私は笑いながら改行を要求したはずで、技術的な改行なんかよりナンシーの姿勢の方が圧倒的に正しいんだけど、と私は私で伝えたかったわけだ。
原稿に重心がよく乗っているという印象も鮮やかだった。短いコラムでも不器用なくらい考え抜き、やがて厳選された複数のテーマを見つけ出して書ききれなくなる
のだ。
だから、ナンシーは自然と切れ味よく書いていく以外になかった。修飾語とゆるい印象の表明だけでダラダラと文を綴ることはあり得ず、凝縮したフレーズを次々つなぎ合わせるようなやり方で原稿を作り上げたのである。
ナンシーの文体の底にある、配管工がボルトで管をつないでいくような重々しい感触は、初期の頃からすでに存在していたのだった」"

ビートたけしオールナイトニッポンの影響
小田嶋隆の話:「”青森県足立区出身”という感じかな」
「ナンシーの文体は不思議な緩急があったり、突然、文章の中にぶっきらぼうな口語がボンと入ってきたり、すごく理屈っぽい長い文章の後で、『そうでもないか』って自分で自分に突っ込みを入れてみたりするんです。そういうところが、ブッキッシュ(本好き)な人たちのような訓練を積んだ人の文体とは明らかに違うんです。それはどっから生まれたのかなって思っていたけれど、たけしのオールナイトの影響があるかもしれませんね。・・・ナンシーのしゃべり言葉は、たけしの出身地である足立区の言葉でしたよ。”青森県足立区出身”という感じかな。ナンシーの文章の中にも、学び取った足立区の口語が入っていますね。おそらく、ナンシーの文体って、ビートたけしの影響を受けていますね」

オールナイトニッポンの放送作家、たけしの相方、高田文夫:
「たけちゃんと同じようにナンシーも、王様は裸だ、って言っちゃう娘なんだ」
「ナンシーに最初に会ったとき、開口一番、『私、高田先生にハガキを選んでもらったときの、ムッチートレーナー(村田英雄のイラスト入りのトレーナー)、今でも持っています。これまでの人生の中で一番嬉しかった』と言われたときは、こっちまで嬉しくなったね。たけちゃんのオールナイトの影響を受けて、クリエーターになった連中は多いんですよ。さくらももこや宮藤官九郎、松村邦洋や浅草キッドとかね。オールナイトは、日本の笑いを一八〇度変えた番組だったからね。そのなかでも、ナンシーは優秀な卒業生でした。ナンシーのコラムを読むと、たけちゃんと同じような物の見方をしているって、思ったね。たけちゃんと同じようにナンシーも、王様は裸だ、って言っちゃう娘なんだ。みんなが言えないような正論を言ってくれるから、スカッとするんだよ。そこがたけちゃんと似てるんだよな」"

演歌はいいけど精神的演歌は嫌だ
<引用>
また「CREA」の町山との対談では、こう語る。
「西田敏行の『もしもピアノが弾けたなら』が流行った時、なんかヤだったんだよ。別に西田敏行は嫌いじゃなかったんだけど、西田敏行があの顔とキャラクターであの歌をうたうってのがね。そりゃみんないいって言うに決まってるじゃんという(笑)。そりゃ売れるさ、っていうあざとさがね。(中略)全員ほとんど誤差がないとこで買ってるでしょ。受け手の受け止め方を強要してるんだよね。解釈の仕方が一個しか許されない。もう精神としての演歌だよ。演歌はいいけど精神的演歌は嫌だ」(『隣家全焼』)

多様性の尊重、権威・権力の外に居る
<引用>
しかし、この解釈の多様性を尊重するナンシーの柔軟な精神こそが、のちのテレビ評論の視座の中核にあり、同じテレビ画面に映るものを見ながらも、ほかの人が気づかなかったことを次々に見破って、言葉として表現することで、多くの読者から喝采を浴びることにつながっているように、私には思える。
さらに、ナンシーが”反権力”や”非主流”という考えを内包するサブカルチャーの洗礼を受けたことは、自らの肩書を<消しゴム版画家>として、決してコラムニストを名乗ることがなかったことにも関係があったと考える。テレビの中で偉そうにする人たちや、権力者然とした人たちを、繰り返し茶化してきたナンシーは、自らがその二の舞にならないようにとの自戒を込めて、その肩書を権力からは対極にあるような消しゴム版画家に定めたのだろう。(横田)

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