2014年11月6日木曜日

1784年(天明4年)7月~12月 K456~458の完成 息子カール・トーマス誕生 姉ナンネルル結婚 ゴヤの息子フランシスコ・ハビエール誕生 ナポレオン(15)、王立士官学校入学 【モーツアルト28歳】

江戸城(皇居)東御苑 2014-11-06
*
1784年(天明4年)
7月
・オランダの主要都市市民代表が、総督に対し、諸改革に敵対的な軍司令官ブラウンシュヴァイク公爵更迭を要求。
フランスの外務大臣ヴェルジェンヌは、アメリカ「愛国派」に対したのと同様にオランダの「愛国派」を支持。
イギリスは逆に、総督の支持者である「オラニエ公派」を援助。
オラニエ公派と愛国派は次第に敵対し始め、愛国派は、「遊撃隊」を形成し、少しづつ諸都市を獲得してゆく。
*
7月4日
・オーストリア、ヨーゼフ2世、トランシルバニア農民反乱鎮圧。ハンガリー憲法廃棄。
*
7月31日
・フランス、哲学者・啓蒙主義者ドゥニ・ディドロ(70)、没。
*
8月
・夏の終、光太夫らが漂着したアムチトカ島でアレウトの反乱。
アレウトの皮船300艘が集結。ロシア人が銃を撃ち、退却。ネヴィージモフはアレウトの頭目の娘オニインシを殺害、更に、女・子供を人質にとり、反乱首謀者4人を呼び出して惨殺。周辺の島々でも反乱。
ロシア側にも補給船が来ない限りアレウトに与える代償(タバコ、鉄器、木綿など)がない状況。
後、アレウト惨殺は発覚しネヴィージモフらは投獄される。
この頃、磯吉、没。生存者は9名となる。
*
8月13日
・イギリス、小ピット提案、インド法成立。東インド会社、イギリス政府支配となる。
*
8月16日
・カナダ、ニューブラウンズウィック植民地が分離。
*
8月18日
・この日付け、モーツアルトの姉ナンネルル宛ての手紙。
「愛する姉上! 畜生、いまいましいな! ぼくの手紙を生娘のあなたに受け取ってもらいたけりゃ、今、書かなけりゃいけない! - もう二、三日遅けりゃ、  - すんでしまう。 - 妻もぼくも、あなたの境遇が変わることに幸せと喜びのすべてを望んでいます。ただ、ぼくたちがあなたの結婚式に列席できないのを心から残念と思っています。でも、来春早々、必ずやザルツブルクでもザンクト・ギルゲンでもフォン・ゾンネンブルク夫人としてのあなたを、ご主人ともども抱きたいとぼくたちは望んでいます。 - ぼくたちの愛する父上が、今やたった一人で暮さなければならないことだけが残念です!」
そして父親に対する心配と配慮とを述べ、最後にこう続ける。
「だから、詩がつまったぼくの頭からのちょっとした忠告を受け取って下さい。とにかく聞いて下さい。」
そして次の詩が続く。

あなたは結婚生活で大いに経験なさるでしょう。
あなたにはなかは謎だったことを。
やがて経験から知ることになるでしょう、
イヴがかつてどんなことをして、
カインを産んだのか。
・・・・・
*
8月23日
・モーツアルト姉ナンネルル(33)、結婚。ザンクト・ギルゲンの地方管理者ベルヒトルト・ズウ・ゾンネンベルク(1736-1801)、15才以上年上、5人の子持ち、夫妻の住居(ナンネルルの母親の生家)は1983年第三の<モーツアルト記念館>になる
*
8月25日
・モーツアルト、グルックの「メッカの巡礼」のアリエッタ「愚民の思うは」をテーマに、クラヴィーアのための10の変奏曲ト長調(K.455)作曲。自作目録第7番。
ウィーンで次第に人気が出てきたモーツァルトに対し、嫉妬から反対派が増え始めるが、長老グルックだけは常に好意的、モーツァルトの演奏会に度々姿を見せる。
*
9月21日
・フィラデルフィア、日刊新聞「バケット・アンド・デーリー」紙創刊。
*
9月21日
・モーツアルト2番目の息子カール・トーマス誕生。後に会計官吏を勤め、1858年没。
*
9月29日
・モーツアルト、トラットナーホーフよりグローセ・シューラー・シュトラーセ846番地(現シューラー・シュトラーセ8番地、ドーム・ガッセ5番地)(フィガロ・ハウス)。現存するモーツアルトの住居の最後
*
9月30日
・モーツアルト、クラヴィーア協奏曲(第18番)変ロ長調(K.456)を完成。盲目のピアニスト、マリア・テレージア・フォン・パラディス嬢のため。'85/2/16皇帝臨席演奏会で演奏。自作目録第8番。第2楽章にバルバリーナのカヴァティーナ(ヘ短調)を予見させるフランス風の主題(ト短調)と変奏があるのが特徴。
*
10月14日
・モーツアルト、クラヴィーア・ソナタハ短調(K.457)完成。自作目録第9番。トラットナー夫人のため。7ヶ月後の幻想曲K.475ハ短調と共にウィーンのアルタリア社から出版。 このソナタは来るべきベートーヴェンのソナタ群を予告するものとして評される。
*
10月22日
・ナポレオン・ボナパルト(15)、パリ王立士官(シャン・ド・マルス)学校に入学。1年間
*
10月31日
・モーツアルト、自宅で小音楽会を開催。
*
11月
・フランス、王室御用達細工宝石商ベーメルとバサンジュ、高価な首飾り売買の件でラ・モット伯爵夫人に話を持ちかける。
*
11月5日
・ケルントナートゥール劇場でシカネーダー=クンプフ一座、「後宮」上演
*
11月9日
・モーツアルト、弦楽四重奏曲 変ロ長調 (K458) <狩>(ハイドン四重奏曲第4番)完成。自作目録第10番。第1楽章の冒頭主題が狩猟のときの角笛の響きに似ているので狩あるいは狩猟という副題がつく。 ウィーンを訪れた父レオポルトがナンネルに宛た手紙(1785年2月14日)の中で「いくぶん軽いが、たいへんよく作曲されている」と書く。
*
11月12日
・山中(さんちゅう)騒動。松代藩領山中地方の農民、飢饉のため酒造家へ借金強談におしかける。
*
11月17日
・ザルツブルクでルートヴィヒ・シュミット一座「後宮」上演。
*
12月2日
・スペイン、ゴヤの20人の子の内ただ1人成人まで生きるフランシスコ・ハビエール誕生
*
12月8日
・スペイン、マドリード、サン・フランシスコ・エル・グランデ教会絵画、王カルロス3世と宮廷人、画家に公開。ゴヤ「シエナの聖ベルナルディーノの説教」(1782-83)制作
*
12月11日
・モーツアルト、クラヴィーア協奏曲(第19番)ヘ長調(第2戴冠式)(K.459)完成。自作目録第11番。予約会員が174名に達した演奏会シーズン開幕に弾かれる。さらに1790年フランクフルトでのレオポルト2世の戴冠式で、K.537とともに演奏。
*
12月14日
・モーツアルト、フリーメイスンのウイーンにおけるロッジの一つ「ツア・ヴォルテーティヒカイト(善行)」分団に入団。 死ぬまでの7年間、熱心な会員となる。
このロッジは前年2月2日にゲミンゲン男爵によって結成(1777~78年マンハイムで世話になった)。ゲミンゲンは、1778年からウィーンに移住。
*
12月24日
・モーツアルト、フリーメイスンのウィーンにおける最大の支部集会「ツア・ヴァーレン・アイントラハト(真なる融和)」に客として招待される。
*
*

0 件のコメント: