2014年11月12日水曜日

明治38年(1905)1月7日~15日 旅順口陥落祝う東京市祝捷会。 永沼挺進隊176人、内蒙古入り。 ロシアのガボン組合、プチロフ工場と対立激化、ストライキ決定。

北の丸公園 2014-11-10
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明治38年(1905)
1月7日
・旅順口陥落祝う、東京市祝捷会。日比谷、7万。
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1月8日
・荒畑寒村(18)母(48)、没。
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1月8日
・ロシア第2太平洋艦隊主力とスエズ運河を通過したフェリケルザム支隊、マダガスカル島北のノシベ湾で合流。
ロジェストヴェンスキー中将は、ここで後発隊とネボガトフの第3太平洋艦隊との合同を指示される。
2月14日、後発隊と合同。
3月16日、ノシベ湾を出港。
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1月8日
・(露暦12月26日)ロシア、ガボン組合ガヴァン支部、コルビノ支部開設。計12支部、1万となる。
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1月8日
・(露暦12月26日~27日)カフカース、バクー、採油所労働者大闘争。採油やぐら90基焼き討ち。
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1月9日
・「永沼挺進隊」176人、長春北方の窟門鉄橋爆破すべく黒溝台南方蘇麻堡出発。
15日、内蒙古入り。
19日、内蒙古首都庫倫南東の哈拉套を出発。
前年12月、満州軍総予備の第8師団騎兵第8連隊長長沼秀文中佐は春季攻勢のためロシア軍の増派を抑えるべき奉天以北の鉄道線路爆破を提案。総参謀長児玉大将はこれを拒否。第2軍司令官奥大将がこの案に興味を示し、騎兵第8連隊を第2軍秋山支隊に編入。
長沼中佐は選抜し「挺身隊」を組織。
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1月9日
・「ミシチェンコ(中将)騎兵団」1万超、渾河西方の四方台より南下。
10日、第2軍兵站守備隊・騎兵第1連隊の一部と遭遇。日本軍は退却。
また、後備第41連隊第3中隊長安原政雄大尉指揮の接官堡守備隊主力が三尖泡東方の小馬泡で包囲される。安原大尉戦死。損害:戦死11、負傷29、捕虜6。
11日、「ミシチェンコ騎兵団」、牛荘を攻撃。
午後3時30分、日本軍巣守備隊、戦死6・負傷3・捕虜中隊長牧野常彦大尉ほか12)。
12日午後4時30分、「ミシチェンコ騎兵団」、牛家荘への線路・電線を遮断し、砲撃開始。
午後6時50分、ロシア側攻撃の隊列が乱れ、戦闘は日本側に有利に展開。
午後7時40分、退却。日本側の戦死3・負傷1・捕虜2、ロシア側戦死61・負傷206・失踪26。19日、「騎兵団」、四方台に帰着。
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1月9日
・(露暦12月27日)ロシア、ガボン組合支部代表者会議。各支部代表20人づつ、革命党代表など300人、プチーロフ工場労働者4人解雇事件。復職「請願」決定。
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1月10日
・海軍軍令部長伊東祐亨海軍大将、各鎮守府司令官・各要港司令官を招集。艦艇修理指示。
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1月10日
・(露暦12月28日)ロシア、ガボン、特別市長官フロンに解雇組合員の復職を陳情。プチーロフ工場長は陳情団に取り合わず。
12日、プチーロフ工場長、復職要求は不当として、ガボン組合と対決姿勢を明確に出す。
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1月11日
・「平民新聞」第52号事件(「小学教師に告ぐ」)、控訴審判決。第1審に同じ(但し、1審判決の「犯罪供用の器械は之を没収す」を取り消し、国光社所有の16ページ印刷器械を没収する旨と特定した)。
大審院に上告。2月23日大審院、上告棄却。28日、幸徳・西川、下獄。

上告趣意書のポイント
(1)現時の教育界を支配する思想は国家を以て人生終局の目的と独断するもので、古来暴虐の君主宰相はかかる独断論を以て人民を圧制して来た。問題の論文はかかる偏頗頑陋を啓発せんとしたものだ。

(2)財産私有制度と階級制度との全廃が、何故に国家を根底から顚覆するものなのか。国家存立の根本義は国民均等の幸福にある。しかるに社会の現状は貧富の懸隔ますます甚だしく、増殖する社会の富が少数資本家の手に帰して為めに多数人民の生存を保つ能わないのは、一に私有財産制度の結果である。経済上の資本家階級、政治上の華族階級のごときは之を廃止することによって国家の正義、国民の幸福は増進こそすれ、国家を毀害する理由は何処にあろうか。

(3)原判決は「全篇の記事は要するに主権を無視し、憲法を蹂躙して国家を廃滅に帰せしむる行動を煽動」したものとするが、該記事は社会国家の弊害を改革するの必要を説き、改革運動に対する教育家の自覚発奮を促したもので、原判決のいわゆる「国家と両立すべからざる社会主義なるものを実現せしむる改革方法」については、何等言及していない。

(4)社会主義思想の範囲は国家より広くかつ大である。独り社会主義のみならず、一般倫理の対象もまた国家を超越する。もし国家よりも大なる社会主義の主張が、国家と両立せずとして非難する者があれば、それは国家の実質も歴史も発展の趨勢をも認識せざる者といわざるを得ない。私有財産制度の是非正邪を議論することは、国法の未だ干与すべき範囲にあらざるが如く、現在国家の欠点を指摘評論し、従ってまたその改善発展の必要を促すの動作は、国法の未だ干与すべき範囲ではない。原判決は、被告等を以て憲法法律の改正を企つるものでなく直ちに暴戻なる行動を奨励するものと予断し、一種偏僻の国家観を標準とした結果といわねはならぬ。(大意)
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1月12日
・(露暦12月30日)ロシア、カフカース、バクー、採油所労働者大闘争。資本家の大幅譲歩、9時間労働など露運動史上初団体協約締結。
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1月13日
・乃木大将、幕僚を従えて旧市街に入り、入城式。
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1月13日
・アメリカ、清国の領土保全と機会均等などを英仏独伊などに要請。
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1月13日
・「平民社」大演説会。聴衆700。神田YMCA。幸徳・西川は中止なし、木下・田添・松崎には中止命令。

三十八年一月十三日の夜には、神田のYMCAに大演説会が開かれ聴衆七百余名を算した。当夜は幸徳も西川も中止の命をうけず無事演了し、聴衆のなかに「二人とも近々入獄するから警察もお別れだと思って、中止を遠慮したのだろう」と評する者もあった。だが木下、田添、松崎の三人は中止、記者は「既に三人に中止を命ぜり豈解散なかるぺけんやとでも云ふのか、警部は会主を呼んで直ちに解散を命じた。……当夜、演説を聞かうと云ふ考へで入口まで来た婦人が十一名あった」と記している。これは珍しい現象であったが、婦人は治安警察法によって政談演説を聞くことを禁ぜられていたから、警官に追払われてしまったこと勿論である。
荒畑寒村『平民社時代』
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1月14日
・福田赳夫、誕生。群馬県
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1月14日
・ロシア旅順守備隊司令官ステッセル中将、長崎港着。賓客待遇で滞在。捕虜組将官は名古屋(本願寺西別院)収容。
17日、ステッセル中将はフランス艦で本国帰国。
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1月15日
・第3軍、北上開始。
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1月15日
・週刊『平民新聞』第62号発行
木下尚江「朝憲紊乱とは何ぞ」(第52号裁判控訴審弁論)。
婦人の政治的自由獲得請願署名運動の趣意書を掲載(世話役は今井朝子・川村春子・松岡文子。衆議院議員江原素六・島田三郎の紹介で衆議院で提出。請願委員会~本会議通過。)。
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1月15日
・曹洞宗「宗報」第914号に「免住職・宗費怠納(十二月廿六日)石川一禎」と懲戒処分、告示。滞納額113円余。大部分は啄木の上京費用に充てられる。
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・この頃(「血の日曜日」前)の状況:
ペテルブルクの工場労働者数約18万(プチロフ工場、ネヴァ造船、陸軍省ペテルブルク鋼管、海軍工廠オブーロフ工場、バルト造船など)。
ガボン組合が労働者を組織。ガボンは労働者相互扶助組合を組織するが宗務院に認められず、孤児院教会正司教となる(キリスト教的社会運動家)。
1902年秋モスクワ保安部長官ズバートフがペテルブルクに転勤、モスクワで成果をあげた警察主導の御用組合(ズバートフ組合)を組織するためガボンと接触。
1903年8月、内相プレーヴェがズバートフを罷免。ガボンが労働組合結成に動く。
日露開戦前、ヴィボルグ地区に労働者クラブを開き、開戦後、これが労働組合に組織替え。
以降、プチロフ工場近くにナルヴァ支部、バルト造船があるヴァシリーエフ島支部とその隣接のガヴァン支部、ネヴァ造船近くのネヴァ支部など1904年中に支部11・人員1万の組合が組織。
1月に入り、プチロフ工場労働者の集会参加を理由とした解雇事件が発生する。ガボンは非暴力の合法的な組合指導者であるが、ツァーリ権力が「血の日曜日」を演出することで、ガボンを含む労働者をより革命的に先鋭化させることになる。
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1月15日
・(露暦1月2日)ロシア、ガボン組合緊急支部代表者会議。ストライキ決定。仲間の復職、強圧的な職長の追放要求決定。社会民主党は演説もビラまきも出来ず。
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1月15日
・ブリュッセル、第2インターナショナル執行委員会、日本の社会主義者に対する同情決議。フランス社会党(ジョレス派)ジャン・ロンゲ提案。
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