2013年11月2日土曜日

明治37年(1904)3月14日~3月26日 『二六新報』(代議士秋山定輔)、桂内閣を攻撃し弾圧される 新聞停止4ヶ月、秋山は議員辞職

北の丸公園 2013-10-28
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明治37年(1904)
3月14日
・第2師団、大同江河口、韓国鎮南浦上陸。
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3月14日
・「帝国軍人援護会」創立
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3月14日
・アメリカ、最高裁、ノーザン・セキュリティーズ社(北部証券会社)に鉄道トラスト解体命ず。
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3月14日
・元内相末松謙澄、ロンドン着。世論工作。
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3月15日
・大本営、第2軍の編成決定。司令官は奥保鞏大将。
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3月16日
・「内閣弾劾問題」(「二六新報」(社長・代議士秋山定輔))、国債発行に関して桂内閣を攻撃。

軍事公債の強制的応募の実態をつき、
「政府は浅薄軽浮なる愛国心を挑発し、妄に応募高の多きを誇らんとする愚策を取りたるが故に」民力に打撃を与え公債下落し、今後の外債募集も成功の見込なく将来の軍費の欠乏をもたらすことになろうと予告し、
「文明国民の愛国心は自ら常軌あり、妄りに御祭的騒ぎに依て発揮せらるべきに非ず、又軍国と内閣とは其間戴然たる区別あり、決して混同すべきに非ず。国民は正に軍国の前途に鑑み、不信任なる現政府を更迭せしむるの処置に出でざるペからすとて、今や財界の四面より内閣弾劾の問題起らんとするの形勢あり」と報じる。

この月1日の総選挙では、警視総監大浦兼武は「秋山露探説」を流布させるが、秋山は当選。
第20議会では小河源一に策動させ秋山調査委員会を設置させる。

検察は「内閣弾劾問題」を新聞紙条例違反に問い、3月23日、東京地方裁判所は編集人の軽禁錮4ヶ月と新聞発行停止を宣告。
犬養毅・尾崎行雄は秋山を弁護。
委員会は露探の証拠はないが、ロシアに利益ある行為であると秋山の処断を促し、秋山は議員を辞職。
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3月17日
・枢密院議長伊藤博文、特派大使として漢城入城。2度目。天皇親書、贈物30万円持参。
18日、皇帝謁見。
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3月17日
・同志社神学校、専門学校として設立認可。
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3月17日
・石川啄木(19)、渋民尋常高等小学校長相馬徳次郎排斥について岩手郡視学平野喜平に親書を送る。

「洒のめば 刀をぬきて妻を逐ふ教師もありき 村を逐はれき」(『一握の砂』)

23日、平野視学より返書。
相馬校長はこの年3月31日付で隣村の滝沢村立篠木尋常高等小学校長に転任したが、転任後は不遇で、翌38年3月9日死亡退職した。死因は自殺といわれる。
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3月18日
・第2回旅順港閉塞作戦発令。26日実施。
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3月18日
・東京の上野~浅草間、市街電車が開通。
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3月18日
・大阪三一神学校、設立認可。
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3月20日
・「特別任務班」第1班12人、チチハル班(横川省三・沖禎介ら6人)とハイラル班に分れて「チラチン廟」を出発。4月3日(神武天皇祭)を爆破決行日とする。
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3月20日
・英訳「与露国社会党書」(「平民新聞」第19号)。欧米社会党機関紙に転載。「戦争と小学児童」。軍国主義教育批判。
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3月20日
・第20帝国議会開会。政府、政友会、憲政本党間に戦時増税案に関して妥協成立。
29日閉会。
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3月21日
・インド大学法成立。
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3月21日
・「萬朝報」、緒戦の勝利ついては、ロシアの専制政治にその敗因がある。戦後の日本に「専制復活を夢みる頑迷不霊の徒の生ぜんこと」をおそれ、「国民が一致して力を竭(つく)すべきの理由は、独り外敵に向つてのみに非る也」と藩閥打破を忘れるなど呼びかける。
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3月21日
・この日、森鴎外、陸軍第2軍軍医部長として出征するため東京を離れ宇品に向かう。
妻のしげは茉莉を連れ、明舟町の実家に近い家作に移る。

明治35年1月4日、鴎外(41)、しげ(23)は結婚。
同年3月28日、鴎外は小倉から東京に転勤。
翌36年1月に茉莉が誕生。
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3月22日
・「忠清・黄海・平安道における漁業に関する日韓往復文書」。
日韓両国通漁規則による漁業権適用範囲を全国に拡大。6月4日も。
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3月22日
・「二六新報」、政府の軍事政策攻撃、起訴。憲法史上初の発禁処分。
25日、「東京二六新報」改題発行。政府批判の筆を折る。
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3月22日
・元オーストリア皇女エリーザベト、ヴィンディッデュグレーツとの間に第一子フランツ・ヨーゼフ誕生
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3月23日
・「竜岩里開市に関する韓国外務大臣の宣言」。平安北道竜岩里の開放。
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3月24日
・社説(村井弦斎)「敵人の捕虜」(「報知新聞」)。
「戦争は軍隊と軍隊との争ひなり、武装したる兵士が互に勝敗を決するなり、武装せざる人民と人民とは常にその善隣たり朋友たるを忘るべからず、(中略)戦争局を終へなば露国は我邦の善隣なり、共に通商上の利益を受くべき朋友的の人類なり」
戦争が終ればロシアは「善隣」であり「朋友的の人類」である。
みだりに「其国人を敵視する勿れ。」。
弦斎は1905年10月頃、ロシア将校2人を自邸に招き交流、2泊させる。
3月24日
・『二六新報』発行禁止(2月25日、『東京二六新聞』と改題発行)
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3月24日
(露暦3/11)ロシア、工場労働者組合創立。ロシア聖公会僧侶ゲオルギー・ガボン(32)
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3月25日
・木下尚江、署名入り論説「軍国時代の言論」(「毎日新聞」)。
「二六新報」報道は真実を語るもの、「軽薄なる愛国心の挑発」横行には憤慨を同じくする。
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3月25日
・ワシントン、元法相金子堅太郎、ワシントン入り。世論工作のため。
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3月25日
・ラオス国王サッカリン、没。
4月28日シー・サワン・ボン、即位(~1959)。
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3月26日
・午前2時30分、連合艦隊主力、第2次旅順口閉塞作戦のため巡威島沖を出発。
午前4時45分、ロシア太平洋艦隊主力、廟島列島偵察・艦隊運動訓練のため旅順口発。訓練中、貨客船「繁栄丸」を撃沈し、午後0時30分旅順に帰投。
午後6時42分、連合艦隊、円島南東に到着。閉塞船団と護衛艦を送る。
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3月26日
・千代田生命保険相互会社設立(東京)。資本金36万円。
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