2014年2月15日土曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(92) 「第10章 鎖につながれた民主主義の誕生 -南アフリカの束縛された自由-」(その8終) 「もしANC幹部が、・・・ロシアやポーランド、アルゼンチン、韓国などで何が本当に起きているのかを自力で突きとめていれば、彼らはまったく違う光景を目にしていたはずだ・・・」

雪とカワヅザクラ 北の丸公園 2014-02-14
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自由憲章採択五〇周年記念日
 私が南アを訪れたのは、ちょうど自由憲章採択五〇周年記念日間近の時期で、ANCはメディア受けするイベントを企画していた。
記念日当日には、国会の開催場所を通常のケープタウンの国会議事堂から自由憲章が採択されたクリップタウンに移動し、ムベキ大統領がクリップタウンの中心にある交差点を、もっとも敬愛されるANCの指導者の名前を取って「ウォルター・シスル広場」と命名することになっていた。
またこの日、自由憲章を記念するレンガ造りのモニュメントが新たに披露される。内部に設置された石板には自由憲章が刻まれ、その中央には永遠の「自由の炎」が灯されることになっていた。
さらにその隣には、「フリーダム・タワー」という別の記念建造物の建設も進んでいた。この建造物に使われている黒と白のコンクリートの柱は、「南アフリカは黒人、白人を問わず、すべての人のものである」という自由憲章の有名な一節を象徴している。

 このイベントのメッセージはきわめて明確だった。五〇年前、ANCは南アに自由をもたらすことを宣言し、それはみごとに実現されたというメッセージである。言い換えればそれはANC自身の演出による「任務達成」のイベントだった。

つきまとう違和感:自由憲章が破られた象徴のようだ
 しかし、このイベントには違和感がつきまとった。
老朽化したあばら屋が立ち並び、道路には下水があふれ、失業率がアパルトヘイト時代をはるかに上回る72%にも達するクリップタウンは、巧妙に仕立て上げられた祝賀行事にふさわしい場所というより、自由憲章の約束が破られたことを象徴しているかのようだった。

ブルーIQの目的:「成長を通じた再分配」計画の一環としての外国資本誘致
 蓋を開けてみると、記念行事の演出やアートディレクションは、ANCではなくブルーIQという不可解な組織が行なっていた。ブルーIQは建前上は州政府の一部門ということになっているが、鮮やかな青の光沢紙を使ったパンフレットによれば、「入念に構築された環境で運営されており、一見したところ自治体の一部門というより民間部門の企業のような雰囲気を持つ」のだという。ブルーIQの目的は南アに新たな外国資本を誘致することであり、それはANCの「成長を通じた再分配」計画の一環として位置づけられている。

クリップタウンを自由憲章テーマパーク(観光資源)に作りかえるプロジェク
 ブルーIQは観光を新たな投資の成長分野と捉えており、市場調査の結果、南アを訪れる観光客にとってこの国の大きな魅力は、圧政に打ち勝ったとして世界的に評価されているANCの存在にあることが明らかになったという。こうしてブルーIQは、南アの勝利の物語のシンボルとして自由憲章に勝るものはないとの確信のもと、クリップタウンを自由憲章テーマパーク(「国内外の観光客に他では味わえないユニークな体験を提供する、国際的な観光スポットであり史跡でもある場所」)に作り変え、博物館や自由をテーマにしたショッピングモール、そして高級ホテルまで完備する一大プロジェクトに着手した。
住民たちの多くを歴史的価値のあまりない別のスラムへと移住させ、この街を「豊かで望ましい」ヨハネスブルグの郊外へと変貌させようという目論見だ。

トリクルダウン戦略に基づくシナリオ
 クリップタウン再生計画にあたり、ブルーIQが採用したのはほかでもない自由市場戦略だった。
企業に投資のインセンティブを提供し、近い将来雇用が創出されるのを期待するという、トリクルダウン戦略に基づくシナリオである。
だが、このクリップタウン・プロジェクトが他と一線を画すのは、その目玉が50年前に貧困の撲滅に向けてもっと直接的な方法を提唱した一枚の紙にあるという点だ。

自由憲章では、起草者たちはこう訴えている。
何百万人もの人々が自立した生活を営めるよう、土地を再分配せよ。
鉱山を人々の手に取り戻し、その恵みによって住宅や社会基盤を建設し、雇用を創出せよ。
そして中間業者を排除せよ、と。

そんなものはユートピア的ポピュリズムにしか聞こえないという人も多いかもしれない。

現実離れした計画
だがシカゴ学派の正統理論の実験がことごとく失敗したというのに、この自由憲章テーマパークのような、企業に利益をもたらす一方で貧しい人々をさらに困窮に陥れる計画が、200万人にも上る南アの貧困層が抱える医療や経済の問題を解決できると考えるほうこそ、現実離れしているのではないか。

トリクルダウン理論の実験の結果
南アが明白にサッチャリズムへと舵を切ってから10年以上が経過した時点で、トリクルダウン理論の実験の結果は、次のとおり目に余るものだった。"

・ANCが政権に就いた1994年~2006年の間に、1日1ドル未満で暮らす人の数200万人から400万人へと倍増した。

・1991年~2002年の間に南アの黒人の失業率は23%から48%へと、2倍以上に増加した。

・南アの黒人人口3,500万人のうち、年間6万ドル以上の収入があるのは僅か5,000人にすぎない。白人ではその数は20倍となり、それよりはるかに高収入を得ている白人も少なくない。

・ANC政権は180万軒の住宅を建設したが、その間に200万人が家を失った。

・民主化から10年間に農場から立ち退かされた人は100万人近くに上る。

・こうした立ち退きの結果、掘っ建て小屋に住む人の数は50%増加した。2006六年には南アの人口の4人に1人以上はスラム街の掘っ建て小屋に住み、かなりの数の人は水道も電気もない暮らしを強いられている。

巧妙に利用されるだけの自由憲章
自由の約束が裏切られたことをもっとも如実に示すのは、今や自由憲章が南ア社会のさまざまな領域で巧妙に利用されている事実かもしれない。
さほど遠くない過去、自由憲章は白人特権階級にとって究極的な脅威を意味していた。ところが今日、それは企業のラウンジやゲーテッド・コミュニティー(フェンスで囲われた高級住宅地〕で、脅威などみじんもない耳に心地よい善意の表明(美辞麗句を並べ立てた企業の行動規範にも匹敵するような)として使われている。
だが、かつてクリップタウンで採択された自由憲章に大きな可能性を見出した黒人居住区の現状は、そこに約束されたこととあまりにもかけ離れていて胸が痛む。
政府主催による記念行事を完全にボイコットした国民も少なくない。
ダーバンでは掘っ建て小屋の住民たちの運動が急速に拡大している。そのリーダー、スブ・ジコデは私にこう話した。
「自由憲章に書かれていることは本当に素晴らしい。でもそれはことごとく裏切られてしまったんです」

そこで彼らは新自由主義の理念をしっかり叩き込まれた
 結局のところ、ANCが自由憲章に謳われた再分配の約束を放棄する口実としてもっとも説得力を持ったのは、「周りは皆そうしているから」というまったく平凡なものだった。
ヴィシュヌ・パダヤキーによれば、ANC幹部は当初から、「欧米各国政府やIMF、世銀から」次のようなメッセージを受け取っていたという。
「世界は様変わりした。もはやそんな左翼的な考えはなんの意味も持たない。選択の余地はないのだ」と。
グミードも次のように書く。
「ANCは、まったく予期していなかった猛攻撃を受けた。主要な経済指導者は頻繁に世銀やIMFといった国際機関の本部に赴き、一九九二年から九三年にかけては、ANCのスタッフ数人(なかには経済的バックグラウンドをまったく持たない者もいた)が海外の経営大学院や投資銀行、経済政策シンクタンク、世銀などに派遣され、経営リーダーになるための短期訓練プログラムに参加した。そこで彼らは新自由主義の理念をしっかり叩き込まれた。それはまさに目のくらむような体験だった。一国の次期政権が、これほどまでに国際社会から秋波を送られたことはかつてなかった」

他国の経済と無関係に経済発展できる国など存在しませんよ
 マンデラが1992年、スイスのダボスで開催された世界経済フォーラム年次総会でヨーロッパの指導者たちと会見したとき、彼は「周囲の圧力」の強烈な一撃を食らった。南アがやろうとしているのは、第二次大戦後のマーシャル・プラン下の西ヨーロッパ諸国と同じことであり、けっして過激なことではないのだとマンデラが発言すると、オランダの財務相は言下にそのたとえを退けた。「当時は当時、今は時代が違う。世界経済は今や相互依存状態にあり、グローバル化はもはや定着している。他国の経済と無関係に経済発展できる国など存在しませんよ」

もっとも左寄りの政府でさえ、今やワシントン・コンセンサスを受け入れているという事実
 マンデラのような指導者がこうした国際的な場に出て行くたびに頭に叩き込まれるのは、もっとも左寄りの政府でさえ、今やワシントン・コンセンサスを受け入れているという事実だった。ベトナムや中国のような共産主義国家しかり、ポーランドのような労働組合主義や、ピノチェトの支配から解放されたチリのような社会民主主義政権しかり。ロシアでさえ、新自由主義に光明を見出している。

ANCの交渉が山場にあったとき、ロシア政府はコーポラティズム的熱狂のさなかにあり、国有財産を元共産党政治局員の起業家に売り払うのに躍起となっていた。この強力な世界的潮流にロシアまでが屈伏したのであれば、ポロをまとった南アの自由の戦士に、いったいどんな抵抗ができるというのか?"

体制移行専門家(トランジッショノロジスト)
少なくともそれが、法律家や経済学者、ソーシャルワーカーなど、「体制移行」業に従事する連中が広めたメッセージだった。
急速に事業を拡大しつつあったこの専門家集団は、戦争で荒廃した国や危機に苛まれる世界中の都市を飛び回っては、新米の政治家たちにブエノスアイレスでの最新の優良車業から、ワルシャワでのもっとも目を引くサクセス・ストーリー、そして恐るべき「アジアの虎」たちの急成長ぶりまで、さまざまな事例を披露しては相手を圧倒していた。

 これらの「体制移行専門家(トランジッショノロジスト)」(ニューヨーク大学の政治学者スティーヴン・コーエンの命名による)たちは機動性に富んでおり、生来内向き思考の政治家である解放運動の指導者に対して、もともと有利な立場にあった。

 国家の変革という一大事業に直面した指導者たちは、必然的に自分たちの紡ごうとしている物語や権力闘争に集中するあまり、自国以外の世界の状況にこまやかな注意を向ける余裕がない場合が多い。
これは不幸なことだ。
というのも、もしANC幹部が、体制移行専門家たちの垂れ流す偏った情報の怪しさを見抜き、ロシアやポーランド、アルゼンチン、韓国などで何が本当に起きているのかを自力で突きとめていれば、彼らはまったく違う光景を目にしていたはずだからである。
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