毎日新聞
2・26事件:憲兵幹部「機密日誌」に戒厳司令部との攻防
毎日新聞 2014年02月25日 07時12分(最終更新 02月25日 09時27分)
◇生々しく記録、研究史の空白埋め得る1次史料
日本近現代史上、最大のクーデター未遂となった1936年の2・26事件で、事態収拾に奔走した憲兵司令部幹部の「機密日誌」が見つかった。反乱将校を自殺させようとする戒厳司令部と、証人として身柄を確保しようとする憲兵側との攻防が生々しく記されている。憲兵幹部が記した史料はほとんど知られておらず、研究史の空白を埋め得る1次史料だ。
見つかったのは憲兵司令部の総務部長で、司令官代行だった矢野機(はかる)・陸軍少将(1887〜1992年)の「戒厳機密日誌」。陸軍けい紙9枚に、事件が起きた2月26日から、28日を除く3月2日まで記されている。
事件発生後、陸軍内部では穏便に決着させようとする長老らと、鎮圧を主張する強硬派が対立。矢野は自殺させず逮捕するために、陸軍省と参謀本部高官の間を奔走した。
29日の記述では、香椎(かしい)浩平・戒厳司令官が「叛徒(はんと)タル将校ノ罪ハ大イニ憎ムヘシ、将校ハ全部之(こ)レヲ斃(たお)スヲ適当トス」などと述べ、逮捕した場合は自殺させるのが適当と主張した。これに対し矢野は「此ノ機会ニ軍ノ明朗化ヲ期ス、該将校ハヨキ証拠人ナリ」などと主張。反乱将校は自殺した1人を除き、逮捕された。
「日誌」は、ほかの史料などおよそ70件とともに千葉県習志野市の酒屋「張替酒店」で昨年秋に見つかった。同店は1905年創業で、軍人との交流が深かった。矢野は千葉県出身で地元に縁があった。
加藤陽子・東京大教授(日本近代史)は「戒厳司令部の極論を抑え、反乱将校の逮捕に尽力した憲兵司令部幹部の動きが分かったことで、事件がより立体的にみえてきた」と話している。【栗原俊雄】
0 件のコメント:
コメントを投稿