江戸城(皇居)東御苑 2014-10-28
*1940(昭和15)年 19歳
「一九四〇年になると、シェルタリングアームズの親友エディ・シングルトンと一緒にビルはカリフォルニアに出向いた。エディはカリフォルニアに行って、民間天然資源保存隊(CCC)の一員になった。CCCは、一九三〇年代の過酷な大不況のさなかの一九三三年三月三一日にフランクリン・ローズヴエルト大統領が開始した計画の一つである。・・・
・・・(ビルは)日本人の経営するクリーニング店での仕事も見つけ、その店では寝泊まりする場所もあてがってもらった。・・・薄給ながら一生懸命に働いたので、ビルはクリーニング店の仲間の一人になった。カリフォルニアは、ビルが一世や二世と知り合うようになった - しかも”日系アメリカ人”になった - 土地だった。・・・」(回顧録 私のビルへの賛辞)
1月3日
・ルーズベルト米大統領、参戦の為の防衛費180万ドルを含む予算840万ドルを提出。
1月3日
・150隻の海軍拡張計画のビンソン案、提出。12日、決定。
1月4日
・本年度割当対日錫、屑鉄輸出許可額を昨年の半額と発表。
1月22日
・モーゲンソー米財務長官、日米条約失効後も日米通商関係不変と言明。
(1872年のグラント布告を発動に決定)。
1月22日
・石垣綾子、「Restless Wave」(by Haru Matsui)(「憩いなき波」)出版。推薦文林語堂(45)。
1月31日
・社会保障制度による第1号小切手受取人が出る。支給額22.54ドル/月。
2月7日
・対外融資法案通過。
2月17日
・ウェルズ国務次官、平和の可能性打診のため、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアを訪問。成果なし。
2月29日
・アカデミー賞授賞式。「風と共に去りぬ」が作品、主演女優、助演女優など8部門で受賞。
3月7日
・米中間に錫借款協定成立。錫を担保に蒋政権に2,000万ドル新借款供与。
3月18日
・ニューヨーク高等教育委員会、バートランド・ラッセルのニューヨーク・シティ・カレッジ哲学科教授就任案を却下。
4月17日
・ハル国務長官、、オランダ領東インドの現状変更は全太平洋の安全に悪影響を与えるとの声明。
4月30日
・南京汪政権否認、重慶政府支持を表明
5月7日
・太平洋艦隊のハワイ無期限滞留を発表。
5月28日
・国防諮問委員会、設置。
6月1日
・ルーズベルト大統領、英・仏に提供できる武器調査命令。
6月3日、参謀総長マーシャル将軍はリストを承認。
6月11日、英国商船への積み込始まる。
6月4日
・工作機械の輸出禁止を発表。
6月10日
・ルーズベルト大統領、中立放棄、非交戦主義に移ると演説。
6月13日
・国務省、日本軍の重慶爆撃非難。
この日、ルーズベルトからハル国務長官に、「この明白極まりない、軍事施設と無関係な重慶に対する無差別爆撃に際会して、我々は日本政府の注意を喚起する必要があるのではないか? F・D・R」とメモ。
ハルは即日、あなたからメモを頂く前に、重慶への無差別爆撃は私の関心を惹いており、既にこの問題に関し新聞声明を発表した。しかし大統領のメモに鑑み、もう一度東京のグルー大使に電報して、声明を日本外務大臣への個人的注意として持って行かせるよう指示すると返答。
6月28日
・外人登録法(スミス法)成立。外国人の登録義務と共産主義者の取り締まりを行なう。
7月1日
・ルーズベルト大統領、軍艦45隻の追加建造を許可
7月2日
・ルーズベルト大統領、国防法署名。石油・屑鉄以外軍需資材の輸出許可制施行。
26日、輸出許可品目に指定。
7月3日、航空用ガソリンの西半球禁輸措置が発表。
7月5日
・ルーズベルト大統領、鉱物、化学製品、飛行機部品の対日輸出停止を発表。
7月16日
・ハル米国務長官、ビルマルート閉鎖に反対を声明。
7月17日
・ルーズベルト、3期目の大統領候補に指名。
7月20日
・海軍増強法が成立。
7月23日
・イギリスに生産飛行機の40%の購入を許可。
7月26日
・ルーズベルト大統領、石油・屑鉄を輸出許可品目に追加適用。
31日、航空用ガソリンの西半球以外輸出禁止。
8月2日、駐米大使堀内謙介抗議。
8月7日
・駐日グル―米大使、日本の対仏印要求に関し松岡外相に警告。
9月4日
・ハル米国務長官、仏印の現状維持に関して対日警告声明。
6日には新聞記者会見。仏印情勢重要視を表明。
9月5日
・シカゴでの大集会、中立を主張してルーズベルト大統領の対英援助を批判。
9月9日
・日本銀行、在外正貨補充のため、日本銀行保有金地金の第3次アメリカ向け現送を実行(約13トン)。
9月9日
・アメリカで艦艇210隻のを建造する法案が通過。52億5100万ドルの国防予算の追加が成立。
9月13日
・平時選抜徴兵法により21歳から35歳までの男子の強制召集始まる。
9月19日
・グルー米大使、日本の仏印圧迫に関し抗議申し入れ。
9月20日
・グルー米大使、松岡外相に、第3国の飛行場使用や軍隊通過の権利を主張することが第3国の現状に著しく影響を与え、そのことは太平洋の現状維持に関し日本政府の表明した希望と矛盾するとの非難文書を発表。
9月23日
・ハル国務長官、日本軍の仏印進駐は現状破壊、威圧により達成されたもの、と非難。
9月25日
・重慶政府に2500万ドルの借款供与(為替援助)。
9月25日
・陸軍通信隊、日本海軍の暗号解読成功
9月26日
・ルーズベルト大統領、日本の仏印進駐に対し物資供給を断つため英を除く西半球への屑鉄・鉄鋼の輸出禁止。
10月7日、日本抗議申し入れ。
9月28日
・アメリカの旧式駆逐艦50隻、イギリスに到着。
10月
・米中、タングステン借款。
10月
・ヘミングウェイ(40)、「誰がために鐘は鳴る」出版。7万5千部売り切り、翌年4月迄の6ヶ月で50万部を売る大ベストセラー。
10月5日
・ノックス海軍長官、三国同盟の挑発に応ずる用意があるとの演説を行う。
10月8日
・極東米人に引揚勧告
10月12日
・ルーズベルト大統領、日独伊3国同盟に対抗してイギリスと中国に援助を続けると宣言。
10月14日
・ルーズベルト大統領、レインボー計画(陸海軍統合戦争計画)承認
10月15日
・松岡外相、グルー駐日米大使と会談
10月15日
・ニューヨーク、チャップリン「独裁者」公開。
10月16日
・西半球及び英を除き屑鉄・屑鋼の輸出を禁止。
10月24日
・週40時間労働が施行される。
10月26日
・屑鉄の対日禁輸を行う。
11月
・海軍軍令部と連合艦隊の図上演習、蘭印作戦から対英米戦を検討。海軍は英米不可分論で統一される
「米国の戦備が余程遅れ、又英国の対独作戦が著しく不利ならざる限り蘭印作戦に着手すれば早期対米開戦必至となり、英国は追随し、結局蘭印作戦半端に於て対蘭、米、英数ヵ国作戦に発展するの算極めて大なる故に、少くとも其覚悟と充分なる戦備とを以てするに非ざれば、南方作戦に着手すべからず」と結論。山本五十六連合艦隊司令長官はこれを軍令部総長に進言、及川海相にも伝え、海軍全軍は英米不可分論で統一される。
軍務局の将校が「支那事変処理要綱」の打合わせで、陸軍省原案の「支那事変ヲ解決スルタメ好機ヲ捕捉シテ武力ヲ行使シ、南方問題ヲ解決ス」に海軍省が反対していると伝えた時、東條は、武力行使の字句削除に応じる。
11月
・東條陸相・武藤軍務局長、陸軍省戦備課長岡田菊三郎に日米戦力比の資料作成を指示。
2ヶ月後、「帝国ノ物的国力ハ対米英長期戦ノ遂行ニ対シ不安アルヲ免レナイ」で始る報告書「南方処理ノ一想定こ基ク帝国物的国力判定」が完成。
対英米戦後3年目から物量が減少し、船舶問題は重大化、石炭搬出の減少で全生産がマヒ、軽工業資源の窮迫が予想されるとあり、絶望的な数字が並ぶ。
東條は、戦力比だけを見て政策決定を躊躇するのを恐れ、この報告書は省部上層部にのみ知らせる。
部課長会議では、岡田が、戦力比には差があっても、戦場は太平洋であり、補給、日本軍の士気、戦闘力、作戦を個別に検討すると、日本軍が優勢で充分互角に戦えると楽観的内容を伝達。
この報告書が完成した頃、東條は佐藤賢了を軍務課長に抜擢、この人事は対アメリカ研究の一環であると言うが、佐藤は先鋭的南進論者で対米強硬派。佐藤は、陸大卒業後、3年ほど駐在武官を経験するが、アメリカ観は主観色が強く、「一貫して日本を圧迫しつづける傲慢な国家、日本の発展に水をさす道義の通じない野卑な国家」といい、「あの国は世論の国というが、この世論というのが曲者で、金で動く連中がでっちあげたものです」、さらにこの国は史上に残る戦争というものを経験していない。兵隊教育は日本とは雲泥の差で、酒とダンスに興じ軍人としての心構えを持っていない。国家への忠誠心など、ひとかけらもない。「他局族の寄せ集めの国家だから、まとまりのつかぬ支部のようなものですな」、というもの。東條のアメリカ観も徐々に影響を受ける。
11月
・在米外国人に一斉登録義務。移民局から出頭の通達。
11月5日
・大統領選挙、民主党ルーズベルト大統領3選。副大統領ワーラス。一般投票ではルーズベルト27,313,041票、ウィルキー22,348,480票、選挙人投票ではルーズベルト449票、ウィルキー82票。議会では下院で民主党が268議席、共和党が162議席、他5議席、上院で民主党66議席、共和党28議席、他2議席。
11月13日
・ウィリス社、4輪駆動車「ジープ」を完成。
11月15日
・アメリカ飛行艇、バーミューダより哨戒を開始
11月22日
・アメリカ政府、日本が中国における外国人の経済活動を制限する限り新しい協定は締結せずと主張。
11月23日
・デヴィッド・リリエンソール(のち初代米原子力委員長)のこの日付け日記に見る文学者林語堂の話(時間に依拠する中国人の戦争観)。
「林博士は中国から帰ったばかりで、声の低い感覚の細かそうな人物で、控えめな人である。彼の唯一の主張は支那は日本に勝つにきまっており、日本は勝てっこないということである。たとえ日本人が一対四の割合で中国人を殺し続けたとしても負けるにきまっているという。彼の話は支那人の息の長さを如実に示すようなものだった」
11月25日
・中国、アメリカに義勇航空隊(AVG)の編成を具体的に要請。
11月30日
・ハル長官、日中新条約否認の声明を発表。
この日、南京で日満中共同宣言発表。日中基本条約調印。日本正式に汪兆銘の南京国民政府を承認。
12月2日
・議会、重慶政府への1億ドル借款案を可決。宋子文の活発なロビイ活動。
12月17日
・米グル―大使、仏印での米人所有物品の積出に対する日本の妨害に抗議。
12月20日
・生産管理局設立。国防生産と連合国への物資援助を促進。
12月29日
・【炉辺談話】
ルーズベルト大統領、三国同盟排撃、アメリカが民主主義の兵器廠となるとの炉辺談話を発表。
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