北の丸公園 2014-11-21
*1785年(天明5年)
3月2日
・ハインリヒ・マルシャンの初めてのコンサート。ブルク劇場。
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3月9日
・モーツアルト、「ピアノ・コンチェルト ハ長調(第21番)」 (K467)完成。
10日の音楽会(ブルク劇場)で演奏。
1967年スウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」。
第2楽章「人間の声に関する一切の顧慮から完全に開放された、理想的なアリアのようなもの」(アインシュタイン)。
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3月11日
・この日付けレオボルトのナンネルル宛の手紙。
「ルブランさんと奥さん〔マンハイムのオーボエ奏者と歌手〕は素晴らしい演奏会を三回やりましたが、初回が千百フロリーン、第二回が九百フロリーン、そして第三回が五百フロリーンでした。お前の弟は自分の音楽会で五百五十九フロリーン収入をあげたが、これは、百五十人以上もの会員からなるメールグルーペの六回の演奏会を予約でやっているので予想もしなかったことだ。 - 加えてあの子は劇場でのほかの音楽会でも、好意で演奏するのだ。(中略)私たちは夜の一時前に眠ったことは一度もないし、九時前に起きることもなく、食事は二時か二時半です。悪い天気だ! 毎日、音楽会だし、いつも勉強したり、演奏したり、作曲したりなどで、私はどこへ行ったらよいのだ? - 音楽会さえ終ったら。面倒なことや落ち着かないことを全部書いて知らせることはできません。お前の弟のフォルテピアノのフリューゲル〔グランド型のクラヴィーア〕は、私がこちらにきてから、すくなくも十二回は家から劇場に、あるいは他の邸に運ばれたのだ。あの子はフリューゲルの本体の下に大きなフォルテピアノのペダルを作らせたが、これは六十センチぐらいの長さで、びっくりするほど重いのだ。毎金曜日にはメールグルーペに運ばれ、またツィヒー伯爵やカウニッツ侯爵のところにも運ばれたものだ」
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3月13日
・モーツアルト、ブルク劇場で音楽芸術家協会の「大音楽会」。「悔悟するダヴィデ」 (K469)演奏。15日にも再演。18日、最後の予約演奏会。20日、ナンシー・ストレースの音楽会に客演。
『悔悟するダヴィデ』(K469):
「大音楽会」第二部で「アマデウス・モーツァルト氏の時宜を得た新作カンタータ」、「合唱つき三声部」の曲で、「カヴァリエーリ嬢、ディストラー嬢、およびアーダムベルガー氏が主要アリアを歌」ったとある。
新作とあるが、実際には旧作の『ハ短調ミサ』(K427=K6・417b)の「キリエ」と「グローリア」に、ロレンツォ・ダ・ボンテのイタリア語テキストをあてはめたものを中心とするもの。
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3月19日
・この日付けレオボルトの手紙。
「思うに、私の息子は、借金を支払う必要がなければ、今すぐにも二千フロリーン銀行に預けられるのだ。お金は確かにあるし、家計は、飲食費については最大限につつましやかだ……」。
レオボルトは息子一家の現状にはおおよそ満足し、安心したものと推測される。
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3月24日
・モーツアルト、父と共にヴィーン訪問中のアロイジア・ランゲ夫妻を訪ねる。
26日、リート「結社員の旅」(K.468)作曲。
31日、ウィーン音楽芸術家協会のために、「カンタータ「悔悟するダヴィデ」(K.469)作曲。
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3月27日
・フランス、ルイ16世とマリー・アントワネットに第2王子ノルマンディー公ルイ・シャルル、誕生(後、ルイ17世)。
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4月
・モーツアルト、「ヴィオッティのヴァイオリン協奏曲第16番ホ短調のためのトランペットとティンパニ声部」(K.470a)作曲。
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4月1日
・モーツアルト、「ヴァイオリン協奏曲のためのアンダンテ イ長調」(K.470)作曲。
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4月4日
・カートライト、力織機を発明。
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4月4日
・モーツアルト父レオポルト、フリーメイスンの「ツア・ヴォールテーティヒカイト(善行)」分団に徒弟として入団。
16日には異例にも第2階級「職人位階」へ昇級。
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4月14日
・フランス、財務長官シャルル・ド・カロンヌ(51)、東インド会社再建。
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4月16日
・モーツアルト父レオポルト、がフリーメイスンの第2級に進級。昇級の儀式の際、リート「結社員の旅」(K.468)が歌われる。
22日、第3位階「親方(マイスター)」に昇進。
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4月16日
・フランス、ニコラ・ジャン・ド・ディウ・スルト(後、ナポレオンの元帥)、フランス王立陸軍歩兵隊に一兵卒として入隊。
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4月18日
・イギリス、ピット首相の議会改革動議が不成立。
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4月20日
・モーツアルト、カンタータ「フリーメイスンの喜び」 (K471)作曲。ロッジの大親方のなったボルンの栄誉を讃える
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4月21日
・ロシア、エカテリーナ2世、貴族と都市に対する特権認可状下付。
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4月24日
・モーツアルト、フリーメイスンの「ツア・ゲクレーンテン・ホフヌング(冠を戴いた希望)」で、別の分団「ツア・ヴァーレン・アイントラハト(真なる融和)」団長イグナーツ・フォン・ボルンを慶賀する祝典が行われ、父と二人で出席し、カンタータ「フリーメイスンの喜び」(K.471)が演奏される。
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4月25日
・モーツアルト父レオポルト、午前10半、弟子のマルシャンと共にウィーン出発、ザルツブルクに戻る。
4月26日リンツ到着。
5月中旬ザルツブルク到着。
モーツアルトはコンスタンツェを連れてプルカースドルフまで一緒に行く。それが父子の最後の別れ。
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4月25日
・スペイン、マドリード、ゴヤら3人の画家、サン・フランシスコ・エル・グランデ教会絵画の支払を求める嘆願書を首相フロリダ・ブランカ伯に提出。
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5月
・イギリス、のちのネルソン提督、ネヴィス島にてフランシス・ニズベット(1787年3月結婚)と出会う。
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5月4日
・モーツアルト父レオポルト、ミュンヘン着。それから1週間してザルツブルクに帰る。
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5月7日
・モーツアルト、ヴァイセ詩による3つの歌曲、リート「魔術師」(K.472)、「満足」(K.473)、「偽りの世」(K.474)作曲。
20日、フォン・トラットナー夫人に「クラヴィーアのための幻想曲 ハ短調」(K.475)作曲。
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5月20日
・アメリカ、土地条例制定。西部開拓が困難に。
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5月21日
・この日付けモーツアルトのマンハイムのアントーン・クライン教授に宛てた手紙
「私はやることで手がいっぱいで、自分で使える時間はほとんど一分もありません」と書く。
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5月25日
・石川雅望(まさもち、宿屋飯盛)の父、版画の木目刷りを創作した浮世絵師石川豊信(75)、没。
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6月
・三方郡早瀬浦での疫病被害。
村人224人のうち死者36、病人120、無難68という状況。家数44軒のうち24軒から死者が出、うち1軒は死に絶え、一家全員が病人の家が16軒。また、23軒が「無商売」「不仕」の状態で生活困窮。敦賀郡疋田村でも疫病によって潰家が約20軒でき、140余が死んだという(「酒井家編年史料稿本」)。
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・モーツアルト、「ホルン協奏曲楽章 ホ短調」(K.494a)(断片)作曲。
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6月1日
・イギリス、ジョージ3世、アメリカ大使ジョン・アダムズを接見。
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6月8日
・モーツアルト、ピアノ伴奏つき歌曲<すみれ> (K476)作曲。ゲーテの詩。モーツァルトが最後の2行「かわいそうなすみれよ! それは本当に可愛いすみれだった」を書き足す。
物語の展開に応じて音楽描写を変えていくロマン派リートの先駆けと名高い作品。この前後の作と見られる曲、K.475a (Anh.26) 歌曲「ひとり寂しく」(ニ短調、断片)。
この後、この年のモーツァルトの演奏会活動・作曲活動は急激に下火となる。
この年の夏に完成した作品は一つもない。『全自作品目録』に『すみれ』が書き入れられた6月8日のあと、モーツァルトが明確な日付を書き入れたのは11月5日の四重唱『せめておっしゃって、私がどんな過ちを犯したのか』(K479)。その間に仕上がった曲は10月16日の『クラヴィーア四重奏曲』(478)のみ。
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6月13日
・モーツアルト父レオポルト、ザンクト・ギルゲンへ行き、出産間近のナンネルをつれてザルツブルクに戻る。
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7月12日
・フランス、宝石商ベーメルよりマリー・アントワネットに首飾りの件で手紙が渡される。マリー・アントワネットは不注意にもそれを燃やしてしまう。
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7月23日
・ドイツ諸侯同盟成立
プロイセン王フリードリッヒ2世、ザクセン選帝侯やハノーヴァー選帝侯ジョージ3世とドイツ諸侯同盟結成。後、マインツも参加。オーストリアのバイエルン獲得計画挫折
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7月27日
・ザルツブルク、モーツアルト姉ナンネルル(34才)、長男レオポルト出産。父レオポルトは生涯この子の世話をしたという。
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夏
・光太夫らが漂着したアムチトカ島に迎えの船が到着。接岸に失敗し、船は大破。乗組員24名は救助。
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