大船フラワーセンター
*「毒矢の如」き鋭い視線(四)。
小女が朝食を下げるために襖を開閉した一瞬に、庭をはさんだ向こうの二階の欄干に頬づえをついていた那美が画工を見て、「毒矢の如く空(くう)を貫いて、会釈もなく余が眉間に落ちる」鋭い視線を向ける。何事かに思いを沈めていた那美の、内面に沈潜した孤独の深さを思わせるシーン。
画工はその視線を受けて、イギリスのメレディスという作家の小説に出てくる詩を英文で思い浮かべる。それは「もし余があの銀杏返しに懸想して」、あのような一瞥を与えられたら、必ずこんな詩を作るだろうという仮定での詩である。
「夜明けの光の前に月光が消え失せることよりも、さすらいの旅人である私にとって、あなたのうるわしい面影が眼前から消え去ることことの方がいっそ悲しい」。
「もし死んであなたを見ることができるなら、わたしは無情の喜びをもってこの息を絶とう」(新潮文庫版、注・三好行雄)。
あなたをずっと見ていたい。あなたを見るためなら、死んでもいいという詩だ。
そして画工は付け加える。
「幸い、普通ありふれた、恋とか愛とかいう境界は既に通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない」。
「余と銀杏返しの間柄にこんな切ない思いはないとしても、二人の今の関係を、この詩の中(うち)に適用(あてはめ)て見るのは面白い。或はこの詩の意味をわれらの身の上に引きつけて解釈しても愉快だ」。
「二人の間には、ある因果の細い糸」がくくりつけられている。それは「只の糸ではない。空を横切る虹の糸、野辺に棚引く霞の糸、露にかがやく蜘蛛の糸。切ろうとすれば、すぐ切れて、見ているうちは勝れてうつくしい」。この糸は、「切ろうとすれば、すぐ切れて」しまうが、それで十分ではないかと思わせる充足感がある。眉間を差すような鋭い一瞥だけで、これだけのことを画工は思ってしまう。
そうした詩趣をもたらしたものは、那美の鋭い目差しから受けた情動である。女の目差しに男の心が動いた。画工は「非人情」に逃げ込む。この糸は決して太くなる危険はない。「余は画工である。先は只の女とは違う」と念を押す。けれども逃げ切れない。
この那美の自然こそが、漱石が描こうとした「事実としての美」なのだろう。その自然には、周囲が「狂気」と噂するものも含まれるし、「あの女の所作を芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日も居たたまれん」ほどの、強烈すぎる形態美もある。「現実世界に在って、余とあの女の間に纏綿(てんめん)した一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は恐らく言語に絶するだろう」(十二)ほどのものである。那美の自由にふるまう奔放な姿には、常識的な人々には受け入れられないものが多々ある。
だからこそ画工は彼女を画題にしたいと思う。なぜなら芸術家というものは、「四角な世界から常識と名のつく、一角を摩滅して、三角のうちに住む」ものであり、「この故に天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟易して近づき難しとなす所に於て、芸術家は無数の琳琅(りんろう)を見、無上の宝璐(ほうろ)を知る」ものだからだ。そしてそのように常識を摩滅し、人々が辟易するものにあえて近づくことは苦しいことだが、芸術はその苦痛の先にあるのだという。「画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸のうちに籠る快感の別号に過ぎん」と(十二)。
「美は現象世界に実在している。それを見出すのが芸術家だ」という「三」で展開されるこの芸術論は、『草枕』の要だろう。そして漱石はその美を、常識では辟易するような那美の自然の魅力と、そこから生まれる幻想美として、二重に展開した。「唯一の美しい感じが読者の頭に残るように」作った。
さらに漱石は、那美の「自然」だけでなく、彼女の「不幸」をも美に仕立て上げる。「不幸な女にちがいない」といいながら、その実態には踏みこまず、それを一つの美しいイメージとして繰り返す。
ミレーの「オフィーリア」。
19世紀のイギリスの画家ジョン・エヴアレット・ミレーが、シェイクスピアの『ハムレット』のヒロイン、オフィーリアの入水のシーンを画題に描いた作品。その姿を何度も那美に重ねる。
まだ彼女に出会う前、峠の茶屋のシーンで既にオフィーリアが浮かんでくる。振袖に高島田の日本の花嫁姿に、オフィーリアの顔が「すぽりとはまった」という。あれもだめ、これもだめと、さまざまな女性の顔を思い浮かべたあげく、日本の女よりもイギリスの女性の顔がはまったという。「これは駄目だと、折角の図面を早速取り崩す」のだが、オフィーリアの絵がもうろうと胸の底に残る。
漱石はこの小説を書くにあたって、那美とオフィーリアのイメージを重ねることに決めている。
宿に着いた夜、「長良の乙女」がオフィーリアへと変わる夢を見る。
その次は、風呂場のシーン。気持ちよく湯につかっている内に、画工は「土左衛門は風流だ」と思い、その土左衛門つながりでミレーのオフィーリアを連想し、これもまた、美しいと思う。その連想にひたっているところに、裸体の女が現れる。現実と幻のはぎまで、その女がオフィーリアと重なってくる。
次に、那美とかわす小説談義。那美が、私は近々鏡が池に身を投げるかもしれないと突然いい出し、それを描いてくれという。「私が身を投げて浮いている所を - 苦しんで浮いてる所じゃないんです - やすやすと往生して浮いている所を ー 綺麗な画にかいて下さい」(九)と、那美は、オフィーリアの絵のイメージを自分自身のモチーフとして語る。
そして翌日、画工は鏡が池に行き、おびただしく椿が落ちてくる池に横たわる女を想像して、「矢張(やはり)御那美さんの顔が一番似合う様だ」と思う。その直後に鏡が池を見下ろす崖の上に那美が現れ、飛び込むかと思った刹那、彼女はひらりと身をひねって向こう側へ飛ぶ。けれどもその一瞬、池には那美の姿が水の中に映ったのではないか。画工は崖の上を見ていて見逃しているが、オフィーリアと那美が重なる一瞬を読者は想像する(十)。
美しい女性が水底に漂うイメージ(漱石が好むモチーフの一つ)。
明治37年2月9日付の寺田寅彦宛のはがきに、前年5月、華厳の滝に投身自殺した藤村操から発想した詩「水底の感」を書いている。
水底の感 藤村操女子
水の底、水の底。住まば水の底。深き契り、深く沈めて、永く住まん、君と我。
黒髪の、長き乱れ。藻屑もつれて、ゆるく漾ふ。夢ならぬ夢の命か。暗からぬ暗きあたり。
うれし水底。清き吾等に、譏り遠く憂透らず。有耶無耶の心ゆらぎて、愛の影ほの見ゆ。
これは、「藤村操女子」と女性名を付け、水底に住み、喜んでその世界を享受する愛の詩で、妖しい官能がある。ミレーの描いたオフィーリアを、詩に置き換えたようなものだ。この異様な詩こそ、漱石の水底のイメージへの強い執着を示すものだ。
漱石は、『草枕』の中でも藤村の投身自殺について、「余の視る所にては、彼の青年は美の一字の為めに、捨つべからざる命を捨てたるものと思う」(十二)と書く。投身自殺の苦悩や社会的意味を無視し、ひたすら美を認めようとしている。漱石は藤村の自殺に「事実としての美」を見て、水底のイメージをふくらませた。
水底だけでなく、雨や海、川、霧など、水のイメージが漱石文学の重要なモチーフになっている。どしゃ降りの洗礼を受けて物語の地に入り、海、池、風呂、雨に囲まれて展開する『草枕』は、その水のイメージが最もあふれた作品である。
このようにオフィーリアが小説の通奏低音として、執拗にリフレーンされている。あくまでも画工の描こうとする非人情の絵のイメージとしてだが、それは那美という女性によって引き出されたイメージだ。とすれば彼女は、狂気の内に死ぬ女の影を宿していることになる。しかも、彼女自らがそのことを予感していることも暗示する。
はつらつとした自由の精神を持ちながら、死の影を持つ女。漱石はそういう女として、那美を描いている。「不仕合な女」とは、そのような悲劇性である。さらに那美は、夢幻能のシテのようなイメージで描出されていくが、シテの多くは冥界から現われる。那美の美は、死あるいは滅ぶ運命と裏腹にある。
そしてさらに漱石は、その美を完成させるために、もう一つの要素を加える。
絵として完成するには、一つだけ気に入らないことがある。彼女の表情の中に、「憐れの念」がない。それが物足りない。この「憐れ」は、「神の知らぬ情(じよう)で、しかも神に尤も近き人間の情である」(十)。美を裏打ちする精神性だ。
そして最後に、別れた夫を見送る那美の一瞬の表情に、その「憐れ」が現れ、画工が絵の完成を思うところで小説は終わる。
冒頭で宣言した非人情の精神を買いた絵が、画工の胸の内に完成する。那美という女を素材にした美の完成であり、小説の美の完成でもある。
(この項おわり、つづく)
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