2018年4月26日木曜日

「『草枕』の那美と辛亥革命」(安住恭子 白水社)編年体ノート18 (明治38年)

片瀬西浜海岸
*
明治38年
漱石『一夜』
『草枕』の1年前、明治38年7月に書かれ、9月1日発行の『中央公論』に発表された短編。

ある6月の梅雨の夜、一つの座敷に3人の男女がいる。1人は「髯のある男」、1人は「髯貯えぬ丸顔の男」、もう1人は「女」。「髯のある男」は床柱にもたれ、「美しき多くの人の、美しき多くの夢を…」と詩句をひねり、つづきを思案している。「丸顔の男」は縁側で「描けども成らず、描けども成らず」などと笑いながら彼をからかう。白地の浴衣の「女」は、「画家ならば絵にもしましょ。女ならば絹を枠に張って、縫いにとりましょ」とつぶやく。再び「髯の男」が、「美しき多くの人の、美しき多くの夢を…」と吟ずると、「女」は「縫いにやとらん。縫いとらば誰に贈らん。贈らん誰に」といい、「丸顔の男」が「我に贈れ」とまた笑う。そんな始まりで、「髯のある男」と「女」とのあいだに、なにやら曰く言いがたい空気が流れ、「丸顔の男」はそれを知ってか知らずか、茶々を入れて喜んでいる。
「髯のある男」と「女」は、男の詩と夢の話題によりつつ、互いの心をのぞこうとするような、きわどい会話を続ける。けれどもそのつど、「丸顔の男」がらちもないことを言ったりして話はそれていく。2人の会話は何も実らないまま、「寝ましょか」となって、「夢の話しはつい中途で流れた。三人は思い思いに臥所に入る」。
あっけにとられるような幕切れ。

岩波文庫『倫敦塔 薤露行 他五編』の解説者江藤淳は『一夜』を「判じもの」という。
短編『一夜』が『草枕』の先行的作品であることは、早くから指摘されている。これを書いたのち、漱石の中で『草枕』の構想がふくらんだ。
芸術作品を創ろうとする男が、それに打ち込もうとするが、女にも心惹かれている。女とのやりとりは、作品への思考を深めたり、乱したりする。また、世間の俗事や俗情、虫などあれこれ入り込み、芸術はなかなか成就できない。そうして時は過ぎ、人生は終わっていく。
人との出会い、自然との出会い、人生において人は何事かを為し得るのか、など生と死を凝縮した小説で、3人の男女のある一夜で、そのことを象徴しようとした。

寝入ったあと、3人は、夢のことも詩のことも忘れ、自分が「髯のある男」であることも「髯のない男」であることも、「うつくしき眼と、うつくしき髪の主」であることも忘れた。

この小説の最後・・・・。

また思う百年は一年の如く、一年は一刻の如し。一刻を知れば正に人生を知る。〔略〕八畳の座敷に髯のある人と、髯のない人と、涼しき眼の女が会して、かくの如く一夜を過ごした。彼らの一夜を描いたのは彼らの生涯を描いたのである。
何故三人が落ち合った? それは知らぬ。三人は如何なる身分と素性と性格を有する? それも分からぬ。三人の言語動作を通じて一貫した事件が発展せぬ? 人生を書いたので小説をかいたのでないから仕方がない。なぜ三人とも一時に寝た? 三人とも一時に眠くなったからである。

漱石は、人生のある本質を凝縮する一刻をとらえようとして、この作品を書いた。
これは、「私の『草枕』は、この世間普通にいう小説とは全く反対の意味で書いたのである。唯一種の感じ - 美しい感じが読者の頭に残りさえすればよい。それ以外に何も特別な目的があるのではない。さればこそ、プロットも無なければ、事件の発展もない」(「余が『草枕』」)と同じである。

『吾輩は猫である』(「六」)で、漱石は『一夜』について触れている。
迷亭、寒月、東風らのたわいのないおしゃべり。寒月が新機軸の「俳劇」の脚本を披露したり、東風が奇妙な自作の詩を見せる。「これは少々僕には解しかねる」と主人が言うと、東風はすまして、「作った本人ですら質問を受けると返答に窮する事がよくあります。全くインスピレーションで書くので詩人はその他には何等の責任もないのです」と答え、自分の友人の「送籍」という男が書いた『一夜』の話題を出す。
「誰が読んでも朦朧として取り留めがつかないので、当人に逢って篤と主意のある所を糾して見たのですが、当人もそんな事は知らないよと云って取り合わないのです。全くその辺が詩人の特色かと思います」と、けむに巻く。
ここでは、俳句的非人情の芸術論をパロディとして展開しているが、明治38年夏頃の漱石がその主題を考えていたことを示している。

『一夜』の幾つかの文言、エピソードが、『草枕』にも登場する。
①髯のある男が語り出した詩句を、「縫いにやとらん」と女が語り、男は「どんな色で」と聞く。女、「絹買えば白き絹、糸買えば銀の糸、金の糸、消えなんとする虹の糸、夜と昼との界なる夕暮の糸、恋の色、恨みの色は無論ありましょ」と答える。この「虹の糸」は、『草枕』の「鋭い視線」のところに出てくる。視線を受けた画工が、自分とこの女との関係を「因果の細い糸」だと思ったときの、糸を修飾する言葉の一つである。

②「蚤も蚊も居ない国に行ったら、いいでしょう」と画工が言うのに対して、那美が、「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出して頂戴」という『草枕』でのやりとりは、『一夜』での詩と夢の話から、女が「せめて夢にでも美しき国へ行かねば」といい、「古き世に酔えるものなら嬉しかろ」とすねる会話の発展形ではないか。

③髯のある男が、詩と夢のイメージを拡げる。「百二十間の廻廊があって、百二十個の灯籠をつける。百二十間の廻廊に春の潮が寄せて・・・」と、海に沈む廻廊の話。「百二十間の廻廊に二百三十五枚の額が懸って、その二百三十二枚目の額に画いてある美人の・・・」と画中の美人をイメージし、「波さえ音もなき朧月夜に、ふと影がさしたと思えばいつの間にか動き出す。長く連なる廻廊を飛ぶにもあらず、踏むにもあらず、ただ影のままにて動く」と続く。海底で絵の中の美人が動く。
これは『草枕』で、那美が花嫁衣装を着て廊下を逍遥するシーンの、バリエーションだろう。『草枕』ではそれをリアルな現実でありながら、花曇りの夕暮れの中に現れた不思議な幻影のように描写していた。海の底ではないが、今しも雨が降るという夕暮れの「紫深き空の底」である。幽玄な空間の中を美しい女が静かに動くイメージは同じ。この『一夜』の水底の美女も、例のオフィーリアと重なる。

④『草枕』で画工がひねった漢詩「青春二三月」の最後の二句「蠨蛸掛不動、篆煙遶竹梁」を、『一夜』では髯のある男が、天井から糸を引いて降りてきた一匹の蜘蛛を見てつぶやく。

⑤『一夜』の座敷の床の間には、『草枕』の画工が泊まった部屋同様、若冲の軸が掛けられている。

⑥最後の「三人は思い思いに臥所に入る」という言葉は、画工が山道を歩きながら考える言葉を思わせる。東洋の詩歌は浮世から離れ、「別乾坤の功徳を建立している」として、陶淵明や王維の詩を引用する。「この乾坤の功徳は、『不如帰』や『金色夜叉』の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼儀で疲れ果てた後、凡てを忘却してぐっすりと寝込むような功徳である」(一)。
『一夜』は、『草枕』の画工がめざした境地で終わっている。

『一夜』では、まだ髯のある男は見る人に徹していない。彼もまた女と同じように心をさまよわせている。詩を作りたいと思いつつ、女へと心が動く。しかも、そのような詩と心を、絵画的に表現にしようとしている。絵にすることで、その二つを美として昇華しようとしている。
『一夜』を書き上げて、漱石はそれを徹底させる方策として、画工という存在を作りだしたのではないか。

小天での漱石と山川と卓
著者は推測する。
『一夜』は、小天での漱石と山川と卓のひとときを核にして象徴的世界を膨らませた作品ではないか。「髯のある男」と「女」と「丸顔の、髯のない男」は、漱石と卓と山川の関係から生み出したイメージである。漱石は、3人のひとときをモチーフにすることで、俳句的小説を創る創り上げた。

最後の「三人は思い思いに臥所に入」ったというのは死の象徴でもあるだろう。男と女が出会い、秘かに思い合う。男はそこから芸術を生み出したいと考える。傍らには親しい友人がいる。男と女の心はふと触れあったり離れたりする。気持ちがすれちがったり、さまざまな障害が間に入る。そして芸術もなかなか成就しない。そして何事も遂げられないまま人生は終わる。

江藤淳は、この作品を「判じもの」といい、「文字通り謎のような作品で、作者が何をいおうとしているのかかならずしも判然としない」としながら、それを解く手がかりは、1人の女を囲む2人の男という構図から、漱石の「一連の姦通小説の中にあるはずだと思われる」という。『薤露行』『それから』『門』『行人』『明暗』に連なる「姦通小説」だという。
もしこの作品が姦通小説であるなら、「丸顔の男」と女が結婚しているとか、公然の恋人であるといい前提がなければならないが、この小説にはそれがない。女が「縫いとらば誰に贈らん」とつぶやくと、丸顔が「我に贈れ」と言う。女のつぶやきは髯の男に向かたものなのに、丸顔はそれを知りつつ知らぬふりで冗談を飛ばす。丸顔の男はピエロ的存在であり、1人の女を挟んで2人の男が対立する構図はない。

小宮豊隆は『漱石全集』(第2巻)解説で、『一夜』に描かれているのは、「漱石を貰ぬいて流れている、恋愛の神秘・心霊の感応の可能に対する信仰であった」という。
『一夜』の「髯のある男」と「女」とのやりとりは濃密である。恋に陥る寸前の、そしてそれを思い止まろうとする男と女の息づまるようななまなましさは類をみない。
縫いとりの色を男に聞かれて、「虹の糸」などと並べたあと、「『恋の色、恨みの色は無論いりましょ』と女は眼をあげて床柱の方を見る」。床柱には男が寄りかかっている。その時の女の目は、「愁いを溶いて練り上げし珠の、烈しき火には堪えぬほどに涼しい。愁いの色は昔から黒である」。
世の中は汚れているといったやりとりのあと、ふいにほととぎすの声が聞こえる。男がそれを喜んで、「一声でほととぎすだと覚る。二声で好い声だと思うた」と言うと、「ひと目見てすぐ惚れるのも、そんな事でしょか」と女が、「別に恥ずかしという気色も見えぬ」風情で問う。それに対し男は、「多年の努力もわずかなことで失敗する」ということわざを引いて、「思う人には逢わぬがましだろ」とかわす。女は追求する。「しかし鉄片が磁石に逢うたら?」とさらに問う。男は、「見た事も聞いた事もないに、これだなと認識するのが不思議だ」と答える。ひと目惚れってあるよね、と女が聞いたことに対し、ある、と彼は答えた。
互いに一目で好きになったことを、女は確認したがっている。男はかわそうとしつつ、かわしきれない。ほととぎすをはさんだそのやりとりに、丸顔の男も何かと口をはさむが、2人は彼の言葉など聞いていない。

著者は、女の直情な「別に恥ずかしという気色も見えぬ」姿に卓を見、それに思わず答える男に漱石を見る。

(つづく)

夏目漱石『一夜』(青空文庫)






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