2019年8月31日土曜日

「愛国」とは自国礼讃ではない…日本を「溺愛」する人に伝えたいこと 「愛国」という考え方の歴史(将基面 貴巳);「本来の「愛国心」とは政治権力の横暴から市民的自由と平等を守る〈共和主義的パトリオティズム〉である。〈共和主義的パトリオティズム〉は、自国を溺愛し、自国をひたすら誇りに思う自己礼讃とは無縁である。」



このような歴史的経緯を踏まえれば、なぜ現代日本では「愛国心」がナショナリズムと同一視されるのか、明白であろう。日本では、〈共和主義的パトリオティズム〉を明治時代に早々と捨て去り、「愛国心」をネイションの文化や歴史によって彩られるものとしてしまったのだ。

しかし、欧米においては、〈ナショナリズム的パトリオティズム〉の勢いに押されつつも〈共和主義的パトリオティズム〉の伝統は今日なお生き続けている。アメリカでは2017年に、ジャーナリズムの重鎮ダン・ラザーが愛国心を論じた書物を発表し、ベストセラーとなった。その書物は、“権力に対して異議申し立てをすることが愛国的である”と強調している。反体制派による政治権力への批判的態度こそが、本来の共和主義的愛国心パトリオティズムなのだ。

現代日本では、一般に「愛国者」を自認する人々とは、日本の文化や歴史を誇り、現政権を支持し「嫌韓」を叫ぶ体制派である。彼らは、〈ナショナリズム的パトリオティズム〉の信奉者たちである。

しかし、本来の「愛国心」とは政治権力の横暴から市民的自由と平等を守る〈共和主義的パトリオティズム〉である。〈共和主義的パトリオティズム〉は、自国を溺愛し、自国をひたすら誇りに思う自己礼讃とは無縁である。時の政府による権力行使が、市民的自由や平等を脅かしていないか、厳重に監視する態度にほかならない。

しかし、〈共和主義的パトリオティズム〉が今日なお息づいている欧米とは異なり、日本ではこれまで共和主義的愛国心パトリオティズムが根付くことはなかった。「愛国」が体制派の“専売特許”であるかのような傾向が日本では著しい所以である。

0 件のコメント: