比叡山に特攻基地、御所は飛行場 京都と戦争の秘話
2013/8/15 6:30
京阪電鉄の深草駅から西へ歩き、横断歩道を渡りますが、その道が「師団街道」という名前で、その由来となった旧陸軍の跡地に大学が建っている・・・
師団こと陸軍第16師団は日露戦争後に置かれています。明治41年(1908年)に建てられたレンガ造りの師団司令部は今も残っていて、聖母女学院の本館になっています。
原爆の投下目標にもなっていたわけだし。空襲は京都市だけじゃなくて、軍港があった舞鶴や長岡京、久御山あたりも受けてますね。
JR長岡京駅の東口には、機銃掃射の跡が残った日本輸送機(当時)の煙突が、縮小・復元され平和記念碑として建っています。
西陣では空襲があったことを示す石碑が児童公園にあります。
祇園の甲部歌舞練場といえば、弥栄会館は昭和19年から風船爆弾の製造工場となったな。
戦争とは無縁に思える比叡山の上に秘密の特攻基地があったことは、もっと知られていいんじゃないか。
機首に爆弾をつけた「桜花」という特攻機の基地だ。カタパルト(発射装置)で勢いをつけて宙に飛ばし、後はロケットで敵めがけて飛んでいく仕組みだった。
当時は平地から発射できる推進力がロケットになかったので山の上から飛ばそうとした、ということか。
昭和20年5月から建設し、カタパルトの作動実験までは進んだが、完成目前で終戦。実際に桜花が飛ぶことはなく、基地の設備もすぐ取り壊されたそうだ。写真やスケッチが発見されて、実態が明らかになりつつある。
戦後、進駐軍は数多くの施設を接収した。京都に進駐した米第6軍の司令部が置かれたのは大建ビル。四条烏丸の複合商業施設、ココン烏丸だ。
「進駐軍のジープが八坂神社の階段をのぼった」なんていう話も聞くな。進駐軍はそもそも御所を接収して、飛行場や住宅として使うつもりだったし。
まずは京都大学文学部の佐藤卓己准教授の「八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学」(ちくま新書)でも読んでくれ。
慶応大学法学部の小川原正道准教授の「近代日本の戦争と宗教」(講談社選書メチエ)もいいぞ。
(おわり)
桜花基地の資料はこの展示の目玉になっているそうです/大津市歴史博物館「第107回ミニ企画展 戦時下の大津 平成25年 8月13日(火)~9月8日(日) 」 http://t.co/wxVrWdw8tY
— Mamoru Kato (@mkatolithos) August 15, 2013
ご教示多謝。先ほどRTした大津市歴史博物館での展示にも、この資料が出るのかな。https://t.co/81T9sACIpe RT @ogugeo 叡山の上にあった桜花の特攻基地、少し前に写真とスケッチが発見されたという記事… http://t.co/cLXlE7Lr15 …
— 橋本麻里 (@hashimoto_tokyo) August 15, 2013
ココン烏丸のビルに進駐軍が入ってたのか。近所に住んでたけど知らなかった。しかし、良記事なのに、なんか書き方がイタいのが残念。【比叡山に特攻基地、御所は飛行場 京都と戦争の秘話】 日本経済新聞 http://t.co/3ID4XZPEWM
— 平野啓一郎 (@hiranok) August 15, 2013
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