蔵前橋からの隅田川 2013-09-20
*サラゴーサの町の名の由来
「・・・町は水量豊かなエプロ河の右岸に主として位置し、原住イベロ族がはじめに集落をつくったものであった。その次がローマの軍事植民地であり、つづいて西ゴート族が入って来た。そうしてイスラムが来る。
・・・サラゴーサという都市の名そのものが、この町と町に住んだ人々、あるいは支配者であった人々の歴史を物語っている。イベロ族のつけたサルドゥーバという名は、ローマ人支配下で、カエサラウグスタ(ローマ皇帝アウグストウス)と改称された。
・・・、ローマ人たちについであらわれたアラビア人たちは、原名のサルドゥーバとカエサラウグスタの二つをなまって、サラコスタと呼んだ・・・」
ローマ時代に作られた橋、プエンテ・デ・ピエトラ
「この町を流れるエプロ河にかかっている橋は、プエンテ・デ・ピエトラ(石の橋の意)と呼ばれるが、・・・、ローマの橋梁建設者の手になるものと推定されている。・・・この橋は、コルドバの「ローマ人の橋」などとともに、実にいまだに使用にたえているのである。サラゴーサの歴史そのものである千数百年の間に、幾度か修理修繕はされているであろうけれども、ともあれ、いまにも脱線しそうな、危っかしい電車を走らせ、またこの都市の周辺にいくつかあるセメント工場から来る巨大なコンクリート・ミキサーや、その他さまざまな車輌をその上に走らせて平然としている。」"
サラゴーサの厳しい自然環境
「・・・サラゴーサ周辺の土地は、決して肥えた土地ではない。セメントが出るようでは石灰分が多く、さして高くはない机状の山々は灰色の裸の岩山であり、大河のエプロ河にしても、川岸沿いのほんの少しの土地をうるおすたけで、濯漑施設がなかったならば、葡萄も野菜も何も出来そうにない荒地ばかりである。気候は、ピレネー山脈に隣接するアラゴン地方に典型的なもので、夏は酷暑、そうして冬はピレネーからの寒風が吹き降して来る。
アラゴン人たちの気性が激しいように、気候もまたきびしく無慈悲である。それを逆に言ったとしても同じことである。セルバンテスの騎士、ドン・キホーテに言わせるとすれば、「夏は堪えがたき日光に身をさらし、冬は針よりも鋭き氷雪をおかすのじゃ」ということになるであろう。・・・」
血にまみれたサラゴーサの記憶
「ローマ軍やゴート族の侵入と支配は、つねに住民たちからの血の抵抗の後にうちたてられたものであった。この町の城壁は、実にさまざまの外国軍隊のまがまがしい包囲を見て来たものであった。フランスに最初の王朝が成立すると、たちまちサラゴーサの町はシルドベール王と、メロヴィンガ王朝軍に攻めたてられ、八世紀にはアラブ人たちによって攻め落された。そのたびごとに、市民はおびただしい血を流した。一一一八年に、キリスト教徒によって再占領されるときにも同じことが起り、中世紀には、・・・さまざまな戦争の舞台となり、一七〇七年には、またまたフランスからオルレアン公軍が攻め込み、そうしてもう一世紀がたって一八〇八年から九年にかけてはナポレオン軍が包囲し、残忍な市街戦が行われて、約五万人の市民が犠牲となった。
城壁をめぐらした都市が包囲された場合、ただちに起ることは食糧不足と伝染病の発生である。
この都市のもつ記憶は、まことに血にまみれているのであるけれども、・・・」
東方的な、やわらいだ印象を与えるサラゴーサの町:
「スペインとは東方と西方との混淆した、ある種の化け物のように思われて来る」
「この都市のもつ記憶は、まことに血にまみれているのであるけれども、しかし、この町がそこを訪れた人々に与える印象は、それほどに苛酷なものではない。むしろ、どことなく東方的な、やわらいだ印象を与えるところにこの町の特質があるであろう。」
「この町は、キリスト教徒によって恢復、あるいは再占領されての後も、いかにも東方的な、「ペルシャの一都市」のような観を呈していた・・・」
「一一一八年の再占領の後も、・・・イスラム教徒やユダヤ教徒たちを、先に記したように、かたちばかりの「いかがわしい新キリスト教徒」に改宗させた後も、実はそれぞれの信仰と習慣をそのままに保持させて、キリスト教信者は改案した旧ユダヤ教徒や旧イスラム教徒などと、一五世紀頃までは、ともあれ平和に、仲良く暮していた・・・。
だから建築その他にかけての技術者であり、芸術家でもあった旧イスラム教徒の協力なくしては、都市建設や農業その他の産業の椎持発展はありえず、また旧ユダヤ教徒たちの協力なくしては、スペイン内各地との商業はもとより、フランス、イタリア、モロッコなどとの交易も維持出来なかったのである。」
「アラブ人支配層が打ち放られての後も、町の東方的な雰囲気は、長くかわらなかった。この町の代表的な建築である、ラ・セオと呼ばれる巨大な大聖堂は、再占領を記念して一二世紀からとりかかって一六世紀に完成したものであるが、その壁は、煉瓦と、アスレーホスと呼ばれるアラビア・タイルで飾られていて、その部分は、ペルシャのイスバハンの回教寺院そっくり、と言われている。
というのも、この大聖堂そのものが古いイスラムの寺院があったその場所に、イスラムの技術者たちを使ってゴチック風な建物をたてたものであってみれば、東方風な雰囲気をもつのも当然であろう。・・・」
「さらに、サラゴーサのもうーつの巨大なー内部面積だけで言えばスペイン最大の大聖堂であるエル・ピラール(柱の聖母大聖堂)は、・・・。
・・・、この大聖堂の楼上にそびえる、一〇の丸屋根式の塔には、アラビア・タイルが張りつめられていて、その他いくつあるのか数え切れぬ小尖塔やドームも同じく、その緑、青、黄、白などのアラビア・タイルは強烈な日光を浴びて到底ヨーロッパとは思えない異国的な光芒を放っている。
これらの塔やドームを見上げていると、しまいには異様な幻想が湧き起って来るのである。
その幻想とは、少なくともこれはキリスト教、とりわけてカトリックの聖堂などではないのではないか……、という、妖しい幻想であり、モスクワのクレムリン宮殿を見なれている私には、小型のクレムリンかと思えたり、クレムリンを通り越して中央アジアはサマルカンドのイスラム大寺院を思い出させたりもする。そういうとき、スペインとは東方と西方との混淆した、ある種の化け物のように思われて来る。」
「これら二つの、・・・代表的な聖堂だけではなくて、サラゴーサ市中へ入って行ってみると、マグダレナ教会や、旧ユダヤ教徒地区にある、聖パオロ、聖ミゲール・デ・ロス・ナバーロス教会などの鐘楼は、これはもうどこからどう見てもアラビア風、というよりもイスラム寺院の尖塔(ミナレット)そのものである。
アンジェラスの鐘の音などよりも、むしろ朗々たるコーランの誦経と、アラーへの呼びかけの方が、よりふさわしいと感じられてならないのである。」
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