2013年9月4日水曜日

関東大震災から90年、虐殺された朝鮮人追悼、市民らが集い/横浜 (カナロコ by 神奈川新聞)

YAHOOニュース
関東大震災から90年、虐殺された朝鮮人追悼、市民らが集い/横
カナロコ by 神奈川新聞 9月2日(月)9時0分配信

関東大震災から90年を迎えた1日、震災直後に虐殺された朝鮮人を追悼する集いが横浜市西区の久保山墓地で開かれた。虐殺の真相究明などに取り組む市民グループでつくる実行委員会が主催し、市民が建てた慰霊碑に献花する参加者の列には建立者の孫の姿も。加害の歴史に向き合い、語り継ぐ大切さをそれぞれにかみしめた。

関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑は1974年、石橋大司(だいじ)さん(故人)が私財を投じて建立した。横浜市内で関東大震災に遭い、避難する途中、電柱に縛り付けられて殺害されていた朝鮮人を目撃。当時尋常小学校2年生だったが、「朝鮮人が暴動を起こす」といったデマをもとにした虐殺事件への贖罪(しょくざい)の気持ちを持ち続けていたという。

追悼会は、毎年9月1日に慰霊のために碑を訪れてきた市民グループや個人が実行委を立ち上げ、企画した。

代表で元小学校教員の山本すみ子さん(74)は「横浜市立中学校の副読本から虐殺をめぐる記述の一部が削除されるなど、歴史が書き換えられる危機感があった」という。

この日は約120人が参加し、山本さんは「碑があることで人々が集い、思いを共有できる」と石橋さんへの感謝を口にした。その孫にあたる隆さん(43)=同市神奈川区=も参列し、「多くの人が集まってくれたことを墓前に報告したい」と話した。

祖父は2007年に他界するまで朝鮮人虐殺について一切口にしなかったという。碑を取り上げた新聞記事で「多くの日本人が朝鮮人を虐殺したり、虐殺を目撃したりしているのに、口をつぐんでいる。恥ずべきことだ」と語っていたのを知ったのは最近のことだ。

今回、実行委に誘われて足を運んだ隆さんだが、「祖父の言葉を大事にし、朝鮮人虐殺がどのように行われたのか勉強していきたい」と話す。「虐殺の実態は不明な点も多い。過ちを繰り返さないためにも真相究明が必要」と山本さん。実行委では今後も追悼会の開催を続けるとともに歴史の掘り起こしを進め、語り継ぐための記念館づくりなどにも取り組んでいきたいという。

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