2015年2月23日月曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(120) 「第18章 吹き飛んだ楽観論-焦土作戦への変貌-」(その4) : 「ブッシュ政権内の惨事便乗型資本主義者たちはイラクの過去を消し去るどころか、混乱をかき立てただけだった」

千鳥ヶ淵戦没者墓苑のウメ 2015-01-20
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混乱の増幅、報復の繰り返し
ブッシュ政権内の惨事便乗型資本主義者たちはイラクの過去を消し去るどころか、混乱をかき立てただけだった。過去の歴史を一掃した白紙状態を作るどころか、昔ながらの対立抗争がふたたび表面化して復讐が復讐を呼び、カルバラのモスクで、サマラで、市場や省庁で、病院で、報復のための攻撃がくり返されることになった。

増派戦略で対応
こうなると、当然の帰結としてさらなる攻撃が必要になる。ショックの投与量を増やし、ボタンを長く押し続け、苦痛を、爆撃を、拷問を増大させることが求められる。

・・・リチャード・アーミテージ元国務副長官は・・・、問題はアメリカの態度が生ぬるいことにあると結論するに至った。

「人道に配慮した連合軍の戦法が、けっきょくはイラク人をまとめるのを困難にしている今のような状況を生み出した。(第二次世界大戦後の〉ドイツや日本では、人々はショックに打ちのめされ疲れ果てていたが、イラクの状況はそれとは正反対だ。われわれが敵に対して迅速な勝利を収めた結果、ドイツや日本とはまるで違う状態が生まれた。(中略)われわれはショックも受けず、怯えてもいないイラク国民を相手にしているのだ」。

二〇〇七年一月の時点でも、ブッシュと側近たちは大規模な「増派」を行なってイラク統治の「ガンとなっている」サドル師を退治すれば、イラクを掌握できると確信していた。・・・まず「バグダッド中心部から抵抗勢力を一掃し」、サドル師の軍隊がバグダッド北東部のサドルシティーに移動すれば、「このシーア派拠点も武力制圧する」という筋書きだった。

国丸ごと消滅しつつあるイラク
国民の一部どころか国を丸ごと消去しようという戦術が取られた結果、イラクはまさに消滅し、崩壊しつつある。

最初に姿が見えなくなったのは - こうした場合の常で - 女性と子どもだった。女たちはベールに身を隠して家の中に引きこもり、次に学校から子どもたちの姿が消えた。二〇〇六年時点で児童の三分の二は学校に行っていない。

次に姿を消したのは、医師、大学教授、起業家、科学者、薬剤師、判事、弁護士など各分野の専門家だった。アメリカの侵攻以降、暗殺部隊によって推定三〇〇人の学者が殺害されたが、そのなかには大学の学部長も数人含まれる。イラクから脱出した学者は数千人に及ぶ。医師の運命はさらに悲惨で、二〇〇七年二月までにおよそ二〇〇〇人の医師が殺害され、一万二〇〇〇人が国外へ脱出した。

二〇〇六年一一月、国連難民高等弁務官事務所は推定三〇〇〇人のイラク人が毎日国外へ脱出していると報告している。同事務所によれば、二〇〇七年四月までに四〇〇万人のイラク人が自宅退去を余儀なくされたが、これは概算で国民の七人に一人にあたる。これらの難民のうち、アメリカが受け入れたのはわずか数百人にすぎない。

ブームとなった「誘拐」ビジネス、新たな成長産業となった「拷問」
イラクの産業がことごとく崩壊する一方、国内でブームとなった数少ないビジネスのひとつが「誘拐」だった。
二〇〇六年初めの三ヵ月半だけで、イラクでは二万人近くの人が誘拐された。国際メディアが注目するのは欧米人が誘拐されたときだけだが、被害者のほとんどは出勤か帰宅途中で連れ去られた専門職のイラク人だった。家族は米ドルで何万ドルもの身の代金を用意できなければ、死体安置所で遺体を確認するしかなかった。
「拷問」も新たな成長産業となった。人権団体の調べによると、イラク警察が拘束者の家族に拷問をやめる引き換えとして数千ドルを要求するケースは数え切れないほどあるという。まさに惨事便乗型資本主義のイラク国内バージョンと言っていい。

更なる増派と爆撃の繰り返し
その土地の住人が自分たちの過去を放棄するのを拒めば、たちまちある国を「白紙状態」にするという夢想は、その”分身”たる「焦土作戦」へと変貌する。そして「すべてを作り直す」という夢想は「すべてを破壊し尽くすこと」へと形を変えるのだ。

イラク全土を巻き込んだ予期せぬ反乱は、戦争立案者たちの破壊的な楽観論が産み出したものにほかならない。それは一見無害で理想的な響きすらあった「新たな中東のモデル国家」という言葉によって、すでに運命づけられていたのだ。イラク崩壊の根源には、新たな物語を書き込むための白紙状態を要求するイデオロギーがあった。そして真っ白なキャンバスが得られないことが明らかになると、その信奉者たちはなんとか約束の地にたどり着こうと、さらなる爆破と増派をくり返していったのである。

敗北、あるいは成功の新局面
うち続く失敗、敗北
二〇〇四年四月、私(著者ナオミ・クライン)の乗ったバグダッド発の飛行機は、治安が悪化する一方のイラクから逃げ出す外国請負業者の関係者で満席だった。ファルージャとナジャフは完全包囲され、その週だけで一五〇〇人の請負事業関係者がイラクを去り、今後もさらに多くの脱出者が続くと予想されていた。

『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば、二〇〇七年五月までに九〇〇人以上の請負事業関係者が命を落とし、「一万二〇〇〇人以上が戦闘に巻き込まれ、あるいは職務中に負傷した」。企業をイラクに誘致しようと全力を挙げたプレマーの努力も空振りに終わった。HSBCしかり、合弁事業計画を保留にしたプロクター&ギャンブルやゼネラル・モーターズもしかり。かつて「ウォルマート一店でイラク全土を乗っ取ることができる」と豪語した投資顧問会社ニュー・ブリッジ・ストラテジーズも、「マクドナルドのイラクへの出店は当分ありそうもない」と負けを認めている。ベクテルの復興事業契約が水道や電気システムの運営管理を行なう長期契約へとスムーズに移行することもなかった。二〇〇六年末の時点で、ブッシュの反マーシャル・プランの中心にあった民営化復興事業のほとんどは途中で放棄され、なかには一八〇度方針転換したケースもある。

イラク政策の方針転換:イラク企業の復興事業参加、イラク国営工場の再稼動
イラク復興事業の監査にあたったスチュアート・ボーウエン特別監査官の報告によれば、イラク企業が直接契約した数少ない事業のほうが「効率的かつ安価であり、イラク国民に職を与えたことで経済も活性化させた」という。イラクという国についての知識もなくアラビア語も話せない動きの鈍い多国籍企業(護衛として日給九〇〇ドルの傭兵を雇うなど、諸経費が契約予算の五五%にも上る)を使うのではなく、当のイラク国民に資金を出して自国の復興を任せたほうがよほど効率がいいことが判明したのだ。

バグダッドのアメリカ大使館で医療顧問を務めるジョン・C・パワーソックスは、イラク復興の最大の問題はあらゆることをゼロから作り直そうという考えだ、と言い切る。「二年間で医療保険制度を丸ごと変えようなどというのではなく、低予算で少しずつ手直しをしていく方法を取れたはずだ」と彼は言う。
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