赤坂真理さん
1964年生まれ。「東京プリズン」で毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞など受賞。他著に「愛と暴力の戦後とその後」「ヴァイプレータ」など。
戦後70年の節目の夏、安倍政権は国民の理解が進んでいないのを知りながら、安全保障関連法案の成立を急いでいる。戦争を知らない世代の視点で日本の戦後を問うてきた作家の赤坂真理さんは、背後にある日米のいびつな関係に着目する。私たちは戦後日本が築いた民主主義、歩んできた歴史とどう向き合うべきか。
いびつな日米関係
よじれと鬱屈秘め
迫れぬ戦争の核心
- 最近は女性誌にも、安保関連法案の特集が組まれています。
「何が何でも9月中に成立、という勢いで、衆院特別委員会で強行採決しましたね。安倍晋三首相の売りはスマートさだと言われてきましたが、国会でのひどいヤジや、党首討論でポツダム宣言を『つまびらかに読んでいない』と口にした一件など、驚くことが多い。今回の法案にも、私には、わけのわからない熟語が並んでいます。『存立危機事態』に『重要影響事態』。重要案件なのに漢字でけむにまこうとしていませんか」
「そうした動き以上に、法案を成り立たせている日米関係の構造が見えて興味深かっだのが、今春、首相が米議会で行った演説『希望の同盟へ』でした。ある意味、衝撃的。日本の国益の主張も立場の説明もなく、笑っちゃうほどアメリカ人の一員になりきったようなスピーチだったからです」
- たとえば、どんな箇所が?
「『申し上げたいことは多々あるが』と訳されたくだりです。『tell』いう動詞を使っていて『discuss』(議論する)などではない。全面的に対米追随するのは決まった上で、お伝えすることを持ってきました、という感じ。安保法制もTPP(環太平洋経済連携協定)も進めます、成就させます、と約束して、アメリカをたたえる。意に沿うことが日本の政治、と信じているふうでした。政治の言葉というよりラブソングのようでもあって」
- 安保法制論議の先にある改憲の動きを、どう見ますか。
「拙速です。他国まかせで思考停止している国が、そんな段階にあるとは思えません。そもそも憲法の『憲』という意味一つ、説明できる日本人がどれだけいるでしょうが。私は知的な知人20人ほどに聞きましたが、『おきて』と答えたのは1人だけでした。意味もよくわからないのに、何となくわかった気になってしまう、この国のいびつさを直視することから、まず始めるべきです」
■ ■
- 赤坂さんの小説「東京プリズン」は、1980年にアメリカの高校に留学した少女が、まさに自らの手で日米の戦後史に問いを立てた、自伝的な小説でした。
「私の場合、留学経験をアメリカ万歳、と直結できた安倍さんと逆だったのです。いじめられたわけではない、ましてや物質的な豊かさの差を意識させられた年上の世代とも違う。それでも、日本人が敗戦国の二等市民であるという鬱屈の念を抱きました。ずいぶんたって、母が極東軍事裁判の資料の下訳に携わったことがあると知るのですが、戦争中の記憶や戦後アメリカへの思いを封印したまま私を留学させた理由とあわせて、日本人に『口にできないこと』がある理由を考え続けてきました」
「東京大空襲や原爆投下を受けながら、戦後、日本人はなぜこれほど、かつての敵を愛したのか。軍国主義よりアメリカ民主主義の方がいい、というのは当時の実感だったのでしょうが、自分たちをたたきのめした国のお陰で復興し、豊かに暮らせている現実は、どこかよじれていたはず。闘う対象が見えにくい葛藤の中、日本人は『よじれ』と『鬱屈』を不問にし、敗戦を『なかったこと』にしたかったのでしょう」
- 昭和天皇の戦争責任にも踏み込みました。怖くはなかった?
「怖かっだですよ、もちろん。でも連載段階で、励ましてくださった方がいたのです。お父さんがシベリアに抑留された方で、重要な問題だからぜひ書いてほしい、と。自分自身の積年の疑問でもあった。近現代史をたどれば必ず天皇問題に突き当たるのに、『天皇って何ですか』と聞かれて、冷静かつ論理的に説明できる日本人はあまりいない。リベラルな立場の人であっても」
「結局、戦後70年たっても、私たちは戦争の核心に迫り切れていない、と思うんですね。戦争体験を語り継ぐ尊い努力をしている人たちはいて、メディアも毎年報じてきた。でも、残念ながら夏の風物詩の面もある。『こんな無残な死に方や苦しい生活がありました』という語り口だけでは、遠い昔話と受け取られていく」
- 何が必要ですか。
「メカニズムを解明し、検証することに尽きます。天皇を中心に据え、責任者がわからないまま戦争を始めて敗戦に至った権力構造とは、何だったのか。なぜ国全体の利益を求める議論にならなかったのか。それらは今の社会にも脈々と生き続けているものです。過去と現在は地続き。検証を怠れば、同じ惨事が繰り返されます」
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- 赤坂さんはアメリカの覇権主義に憤る一方、その民主主義を高く評価もしていますね。
「鶴見俊輔さんの本に大好きな逸話があります。ハーバードの学生だった鶴見さんは、真珠湾攻撃後、敵国民の無政府主義者として逮捕された。でも問題なく大学を卒業できたのは、ハーバードがアメリカの歴史より古いからだ、と。国家に先立つ民の存在。国民でも人民でもない、ひとくくりにできない草の根の市民=PEOPLE。たった一人の異論であっても受け止め、議論を尽くす - そういう懐の深さを、私自身も感じたのです。アメリカという国家ではなく、人々の中に根付く民主主義、それこそが私たちが真にめざすべき価値ではないでしょうか」
- 「私たち」と複数形を使うことが多いですね。なぜですか。
「『私』と『私に理解不能なあの人』という、二分法で見たくないからです。知性がないと政治家を批判するより、それは自分自身の問題でもありはしないか、社会全体の映し絵ではないか、と問うてみること。自分に関係があると考えなければ、本当に真剣に取り組むことはできないでしょう」
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想像力あふれる
射程長い言葉
異国・未来に届け
- 「私たち」の民主主義の実現のために、何が必要でしょう。
「やはり教育じゃないかな。大人が子どもに歴史観や価値観を押しつけるようなことではなく,愛国教育でもありません。相手になりきったらどんなものが見えるか、『しくみ』を体感してみることです」
「私は小説に仮面劇やディベートを持ち込みましたが,アメリカの小学生向けに書かれた,ゲーム形式の平和学の本を別の機会に読み,教えられました。多様な立場になって議論、交渉する。たとえば武器商人役が,もうかるけれど殺し合いが進むと顧客ゼロになるからやめよう,という結論に自らたどりつく。そして,風力発電を起業する。なかなか感動的ですよ。考えが違う人同士が同じ目標をめざす。それが本物の対話だと思いますから」
- 根回しや空気を読んでばかりの日本では、難しそうですが。
「文学の言葉、つまり想像力が民主主義の現実をつくると信じています。それは小説や詩の中だけにあるのではなく、政治の現場にもある。たとえばワイツゼッカー元ドイツ大統領が戦後40年の年にした演説に、私は揺さぶられました。心に刻むべきは、戦いで傷ついた、すべての人々であると。ナチスの犠牲になったユダヤ人のみならず、殺された少数民族や同性愛者ら追いやられた人々、そして人々が負わされた重荷のうち最大の部分を担った女性たちを思い浮かべよ、という趣旨です」
「翻って日本の政治家は本音主義で、理想が語れない。これまでの枠組みを強化しただけの、安倍首相の米議会でのプレゼンが、最たるものです」
「想像力あふれる言葉は『射程の長い言葉』でもあります。異国の人、未来の人にも届け、と願って投げる言葉。改憲の話に戻れば、白黒つけることを急ぐ現在の風潮にあらがい、粘る力を、私自身も含めて育てたい。私たちは『知らない』 『わからない』 『まだ答えは出せない』と言っていくべきだと思います」
- その勇気が一歩になる。
「私はゴリゴリの護憲派ではありませんが、粘るために、9条を置いておく効果はあると考えています。9条がこれだけ長く持ちこたえた理由は何か。人々が何を託したのか。あるいは仮に改憲して軍備を拡充したら、どのくらいの予算が必要か。そんな問いを明確に立てていく。これもひとえに、想像力の問題なんですよね」
■取材を終えて
「スローガンを掲げる集団を信じない」と、赤坂さんは言う。文学者の声明などにも参加したことがない、個人主義者である。その人が「私たち」という複数形で、この国の政治を語った。一言ひとこと考え、ある時は直感的にたたみかけるように。我が事として考えるのを怠る、看板だけの民主主義が、本当の危機なのだ。発する言葉は、しなやかにして厳しく、ずしりと重かった。
(藤生京子)
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