2015年10月28日水曜日

昭和18年(1943)11月1日~4日 明石順三(兵役拒否のキリスト教徒)懲役10年 東条首相・陸相・外相兼務(昭和19年2月参謀総長兼務) ブーゲンビル島沖海戦 朝鮮人学生志願兵推進の運動

昭和18年(1943)11月
この月
・第55師団長古閑健中将更迭。後任花谷正中将。ビルマ方面軍高級参謀片倉衷の工作。参謀長以下幕僚も交代。第55師団は隷下に桜井徳太郎少将指揮の第55歩兵団をもつ。

「師団首脳部は積極主義の者と入れ換われり。古閑中将は予備役編入、宇都宮師団長に補せらる。消極退嬰なりしにより具合悪かりし」(「桜井日記」)。
花谷(少佐)・片倉(大尉)は満州事変当時の関東軍のリーダ(板垣大佐・石原中佐の下)。桜井(少佐)は広安門事件(昭和12年7月26日)の主役。

丁度この頃、英軍側も陣容を変え、アラカン地区防衛の第26インド師団と交代し、第5、7の2個師団が進出。これらの師団をもつ英第15軍の第1目標は、プーティーダウン・マウンドオ道の奪回。
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・高松宮、近衛に「時間が切迫しているので各方面の意見を聞きたい。原田のような男はいないだろうか」と相談。近衛は即座に女婿細川護貞を推薦。細川は各方面の情報を集めては、高松宮の許に届け、細川はほぼ毎日高松宮と接する。
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・「昭和十八年十一月号の巻末には、日本編集者協会・中央公論編集部の連名で、大詔のままに思想戦士として自ら任ずる旨の「宣誓」を掲げていた」(「中央公論社七十年史」)。
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・国民精神文化研究所を教学錬成所に改組
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・兵役拒否のキリスト教徒明石順三、反戦・国体変革・不敬罪で10年の懲役。
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・大日本麦酒、桜麦酒を吸収合併。東京麦酒は閉鎖。
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・黒木博司中尉、呉海軍工廠水雷実験部で、93式魚雷を改造した人間魚雷の試作を関係者に説き、設計概念図を起こす。
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・「出版工クラブ」(明文社)解散。最後まで残った印刷労働者の組合。
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・植民地フランス軍4個師団、イタリア戦線に到着。
  翌年7月22日に他戦線に転出される迄の間のフランス軍戦死者約1万人、同期間のアメリカ軍戦死者1万8千、イギリス軍戦死者1万4千に次ぐ。
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・ポーランド、国内軍ブル・コモロフスキ将軍、ポーランド労働者党が蜂起を開始するに十分な力を持っていると報告。
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11月1日
・農林省・商工省・逓信省・鉄道省、廃止(企画院、廃止)。農商省・軍需省・運輸通信省、設置。
農商大臣:山崎達之輔、軍需大臣:東條英機(兼任)・岸信介次官兼国務大臣、運輸通信大臣:八田嘉明。
東条首相・陸相・外相兼務。昭和19年2月、参謀総長兼務。
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11月1日
・兵役法改正公布。国民兵役を45才迄延長。
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11月1日
・内閣印刷局、大蔵省印刷局となる
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11月1日
・防空局を防空総本部とする
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11月1日
・西村輝雄「歴史教育の根本問題」、弁証法的唯物論的史観であるとして発禁
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11月1日
・米ハルゼー軍主力第3海兵師団(アレン・ターネイジ少将)、ソロモン群島北部のブーゲンビル島中西部タロキナ岬上陸。
8~17日、ブーゲンビル島沖航空戦
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11月1日
・「今日から軍需省、運輸通信省、農商省が新設される。
これを槻会に「首相権限を画期的に強化」したという。同じことが従来、何回新聞に出て伝えられたろう。
物を書くものの非良心的なことが時局を悪化せしめる。
朝、畠に行くと、ある男が垣の枝を折っている。大喝してやった。
日本人のモラールの低下したことは驚くの外はない。こんな国民が指導など断じてできるものにあらず。戦争の際は、他の面のみ強調される事、また物資が不足する事、気が荒くなる事、道徳方面の統制力が弱化する事、そんなことからこうした低下現象が生れるのだ。
戦争というものについて考えざるを得ない。」

「どこに行っても中野正剛の死が問題になる。如是閑は、非常に負け嫌いだったから自分の意志通りにならぬのを悲観したのだろうという。」(清沢『暗黒日記』)
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11月1日
・ソ連軍、クリミアのドイツ軍に通じる陸上ルートを遮断
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11月2日
・11軍2・13師団、常徳殲滅作戦開始。
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11月2日
・ブーゲンビル島沖海戦。タロキナ上陸の米軍攻撃の日本艦隊と米艦隊の激突。
1日、日本軍は、駆逐艦「天霧」「夕凪」「文月」「卯月」4隻にタロキナ逆上陸部隊を乗せ出撃。また、第5戦隊司令官大森仙太郎少将は、麾下の第5戦隊(重巡「妙高」「羽黒」)・伊集院松治少将(ベララベラ海戦後、昇進)率いる第3水雷戦隊(軽巡「川内」駆逐艦「時雨」「五月雨」「白露」)・大杉守一少将の第10水雷戦隊(軽巡「阿賀野」駆逐艦「長波」「初風」「若月」)をもって連合襲撃部隊を編成、エンプレス・オーガスタ湾に集結の米艦船撃滅に向かう。
午後7時45分、哨戒中の米偵察機はブーゲンビル島に接近する大森部隊を発見、スタントン・メリル少将は麾下の第39任務部隊(軽巡「モンペリー」「クリーブランド」「コロンビア」「デンバー」駆逐艦オースバーン」「ダイソン」「スタンリー」「クラクストン」「スペンス」「サッチャー」「コンバース」「フート」)をエンプレス・オーガスタ湾に展開、日本艦隊を待ち受ける。
逆上陸作戦は米機に発見された為中止となり午後10時30分に反転するが、連合襲撃部隊はタロキナ沖へ侵入。

2日午前0時49分、レーダー射撃により「川内」大破、第3水雷戦隊の混乱により「五月雨」「白露」が衝突し戦闘不能。レーダー射撃は「羽黒」にも打撃を与え、またも自陣の「妙高」と「初風」が衝突。
午前1時16分、大森少将は隊列を立て直し反撃、「デンバー」「スペンス」に命中弾を浴びせる。メリル隊も被害が出始め、煙幕を展張し回頭を始める。大森少将は米巡洋艦3隻、駆逐艦3隻を撃沈と戦果を誤認、戦闘を終了し艦隊を反転させる。
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11月2日
・「朝例により百姓。そこへ池辺秀人君〔ミシガン大卒、ウテナ化粧料工場長〕来たる。お昼を一緒に食う。百姓の話しなどす。辞したのが午後三時頃。それから日支同盟条約のことを書く。
同盟条約は攻守同盟のことだ。しかるにこれは戦後基本条約である。この目的は重慶工作だ。この政策を二年以前に実施したら!
撤兵を何といっても承認しなかったのは東条ではないか。その東条が今、これに率先して承諾するのだ。
グルーのいわゆるフランクリー・オポーチュニストだ。だが現下の政策としては当然のことで批難する事にならぬ。」(清沢『暗黒日記』)
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11月2日
・独、自由インド仮政府承認。
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11月3日
・満洲文芸春秋社創立
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11月3日
・「今日は、明治天皇祭だ。明治天皇の御偉大さ。
東亜戦争の責任者たち---政治家も文士も---は、明らかに明治天皇の御方針に不満なのだ。日露戦争があまりに「米英的だ」というのはその一つの例である。」(清沢『暗黒日記』)
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11月3日
・仏、抵抗運動諮問議会召集。
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11月4日
・ソウル、第2回法文系大学専門学校長会議。志願しない学生に休学命じるなど決定。
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11月4日
・ソウル、鍾路区の学徒出陣推進団体「翼賛会」第1回会合。朝鮮軍・総力連盟も出席、5地区に分割して志願者選別・説得。
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11月4日
・中枢院激励団、参議・顧問70人中37人連署で結団、全国遊説。
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1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

11月1 日と言えば秩父事件!