北の丸公園 2014-11-04
*第六部 暴力への回帰 - イラクへのショック攻撃
ショックを基本とする作戦のリスクのひとつは、「予期せぬ結果」を招きかねないこと、すなわち予想されていなかった反応を引き起こす可能性にある。たとえば、ある国のインフラ設備や送電網、経済システムなどを広範囲に攻撃した場合、相手国の国民の戦意を喪失させるどころか、激しい反発によってきわめて困難な事態に陥る可能性もある。
- ジョン・N・T・シャナハン中佐「ショックを基本とする作戦」、米空軍専門誌『エアー・アンド・スペース・パワー』(二〇〇一年一〇月一五日号)
第16章 イラク抹消
- 中東の”モデル国家”建設を目論んで -
9・11後の世界においては、憤重な暴力の行使が治療的効果をもたらすと私は考えていた。
- 『ワシントン・ポスト』紙コラムニストのリチャード・コーエン、イラク侵攻を支持して
2004年3月、著者がイラクに滞在していた頃の状況:
イラクには、奪い取れるものが山ほどあった
この頃、「この国がベクテルやエクソン・モービルに売り払われるというのは、・・・。それは現実にアメリカ政府が大統領特使としてイラクに送り込んだポール・プレマーの指揮下で実施され、すでに初期段階に入っていた。それまで何カ月にもわたって、私はホテルのイベント会場で開催された展示会をいくつも取材しては、イラクの国家財産が売り払われる様子を報告してきた。・・・ワシントンDCで開かれた「イラク再建2」と題された会議の席上、ある参加者は私に真顔でこう言った。「まだ流血が続いているときこそが投資に最適の時期です」」
「イラクには、奪い取れるものが山ほどあった。世界第三位の石油埋蔵量だけではない。イラクはフリードマンの放任資本主義構想を基本とするグローバル市場化の流れに、最後まで抵抗した地域のひとつだった。ラテンアメリカ、東欧、アジアを征服してきたグローバル市場推進派にとって、アラブ世界は最後の未開拓地だったのである。」
アルゼンチンの作家ロドルフォ・ウォルシュの警告
「過激な暴力はそれによって利益を得るものから私たちの目をそらすのが常だ」(「ある作家から軍事政権への公開書簡」)。
「私たちはとかく、戦争が起きた理由は石油だ、イスラエルだ、ハリバートンだ、とひとことで片づけようとする。イラク戦争にしても、反対した人々のほとんどは、それを自分の力を過信したアメリカ大統領と、勝者として歴史に名を残そうとしたイギリス首相が手を租んだ愚行だとみなしていた。
戦争とは理性的な政治的選択であり、イラク侵攻の立案者たちがすさまじい暴行の限りを尽したのは、中東諸国の閉鎖的経済を平和的手段で開放できなかったからであること、そしてイラク側の反撃は米英にとっての利害の大きさに比例して拡大したことを認識する者はほとんどいなかった。」
イラク戦争を支持する知識人の多くが好んで用いたモデル理論
「イラク侵攻の正当性を国民に説得するのに大量破壊兵器の恐怖が使われたのは、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官が説明したように、それが「誰もが納得する問題」、言ってみれば大衆迎合的な口実となったからである。
それより高尚な理由として戦争を支持する知識人の多くが好んで用いたのが「モデル」理論だった。
この理論を推進する専門家(多くはネオコンに属する)によれば、テロの源はアラブ・イスラム世界の各地に点在するという。たとえば9・11の実行犯はサウジアラビア、エジプト、アラブ首長国連邦、レバノンの出身者から成り、イランはヒズボラに資金援助を行ない、シリアはハマス指導部に拠点を提供し、イラクはパレスチナの自爆テロリストの家族に送金している、と。
イスラエルへの攻撃をアメリカへの攻撃とみなし、両者を同一視するこれらの戦争支持派にとっては、これだけでアラブ・イスラム世界全体がテロリストの温床になる恐れがあると考えるのに十分な根拠となったのだ。」
戦争支持派は、「この地域がテロを生み出すのは・・・この地域に市場経済民主主義が欠如しているからだ」、と結論づける。
「アラブ世界を一気に征服するのは不可能だから、まず一国を足がかりとすることが必要になる。
アメリカがその国へ侵攻し、「アラブ・イスラム世界のど真ん中にほかとは異なる国家モデル」(・・・トーマス・フリードマンの言葉)を打ち立て、そこから周辺地域全体に民主主義/新自由主義の波を広げようという構想である。
アメリカン・エンタープライズ研究所の研究員ジョシュア・ムラブチックは、そうなれば「テヘランやバグダッド」で起きた「津波がイスラム世界全域を覆う」と予想し、ブッシュ政権の顧問で超保守派のマイケル・レディーンは、目的は「世界を作り変えるための戦争」だと表現している。」
ワシントン・コンセンサスに逆らったせいで外国の侵攻を招いた先例:
1999年のNATO軍によるセルビア空爆
「*ワシントン・コンセンサスに逆らったせいで外国の侵攻を招いた、という」事実、「これにはすでに先例がある。一九九九年にNATO軍がセルビアを空爆した表向きの理由は、スロボダン・ミロシュヴィッチの残忍な人権侵害が世罪に脅威を与えているため、というものだった。
ところがコソボ紛争終結から何年も経過してから、クリントン政権で国務副長常を務めたストローブ・タルポットと紛争中に交渉にあたった政府高官が、当初の理想論とはまったく異なる真相を次のように明かした(このことはほとんど報道されなかった)。
「この地域全体の国々が、経済改革と民族間の緊張緩和、そして市民社会の拡大を求める一方、ユーゴスラビア政府は終始それとは逆方向へ進もうとしていた。NATOとユーゴスラビアが衝突に至ったのも当然だった。NATOによる空爆の理由は、コソボで窮状に陥ったアルバニア人を救うためではなく、ユーゴスラビアが政治的・経済的改革の流れに抵抗したためだという説明がもっともふさわしい」。
これはタルポットの元広報担当ジョン・ノリスが、二〇〇五年の著書『衝突コース - NATO、ロシア、コソボ』で明らかにしたことである。」
モデル理論=三位一体計画=「新たに民営化された国家を欧米多国籍企業が食い物にする自由」
「この理論のロジックによれば、テロとの戦い、資本主義世界の拡大、選挙の実施の三つはひとつのプロジェクトに統合される。すなわち、中東からテロを「一掃」し、巨大な自由貿易ゾーンを構築したのちに事後承認としての選挙を実施して動きを封じるという三位一体計画である。
のちにブッシュ大統領はこれを「問題のある地域に自由を広める」という単純なフレーズで表現したが、それが民主主義実現にかける純粋な思いからくるものだと誤解した人も少なくなかった。
だがここで言う「自由」とは、・・・。それは七〇年代のチリや九〇年代のロシアに提示されたような自由、つまり新たに民営化された国家を欧米多国籍企業が食い物にする自由であり、これこそがモデル理論の中核にある考えにほかならなかった。
二〇〇三年五月、プッシュ大統領がイラク戦争の大規模戦闘終結宣言からわずか八日後に発表した「中東自由貿易圏構想」は、このことを明白に裏づけている。そしてこのプロジェクト担当者に任命されたのが、ディック・チェイニーの長女で、ロシアのショック療法に携わった経験を持つリズ・チェイニーだった。」
モデル理論適用の最初の一国:イラク
「アラブの国に侵攻し、そこをモデル国家に変革するという構想が9・11以降、流布し始めると、いくつかの国が候補として挙がってきた。
・・・が、もっとも好ましい条件を備えていたのはイラクだった。豊かな石油資源に加え、・・・アラブ世界の中心的な位置にあるイラクは軍事基地を設けるにも好都合だった。しかも自国民を化学兵器で殺した過去のあるサダム・フセインは、憎悪の対象としても申し分ない。そしてもう一点、見落とされがちだが、イラクはすでに一戦を交えた馴染みの相手だった。」
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