2019年3月27日水曜日

大阪市長に立候補した松井一郎のもっとも訴えたい公約は「重大虐待ゼロ」 ; 都構想が進まないから、「死んでも死に切れない」とか、「民意を問う」とか言っておきながら。 その為に府知事を辞めて市長に出ておきながら。 取ってつけたような「重大虐待ゼロ」という松井一郎









2019年3月26日火曜日

ネコの渡来は弥生時代だった 歴博展示室が36年ぶり刷新(産経); →従来、イエネコは経典などの重要書物をネズミの害から守るため奈良~平安時代に渡来したとされてきた   →近年、遺跡から弥生時代中期頃のイエネコと推定される骨が出土。日本への移入時期が数百年さかのぼった


東京新聞:<働き方改革の死角>手当増 給与減の怪 派遣社員「納得できない」;「派遣社員に通勤手当が支給されていない問題で、派遣会社大手のパソナが無期雇用に転換した派遣社員に、通勤手当の支給を開始したのと同時に基本給の時給を減額した.....」   






報ステ 後藤謙次 ; 2月に入り、沖縄は2つのメッセージを送っている。つまり「県民投票によるノー」と、「1ヶ月間話し合いましょう」というもの。 これらに対する政府の答えが、今日の土砂投入になる。つまり対話は断ち切るという、政府側の非常に頑なな態度が表面化してしまった。 軟弱地盤について工事が永遠に続いてしまうと、逆の意味で普天間の固定化という事態が起きてしまう。 また.....「工事の視察に行ったか」と問われ、3人とも「一度も行ってない」と。沖縄に寄り添うという内閣の常套句、それは実は心がなかった。 ← 安倍晋三の「誠意」や「丁寧」はウソ!   













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2019年3月25日月曜日

北の丸公園 千鳥ヶ淵 代官町通りの染井吉野 花海棠 ハナダイコン 2019-03-25

3月25日、はれ
今日の北の丸公園。
染井吉野に限定すればまだ二分咲き程度(それ以下かも?)じゃないだろうか。
公園内、代官町通りで賑やかそうに見えるのは山桜など染井吉野以外の桜だ。

ただ、千鳥ヶ淵に関して言えば、染井吉野も三分咲き位にいってるようにも見える。

今日は武道館で日本大学の卒業式があったので、
桜の周辺は、
卒業記念写真を撮る人、
花見のお昼をとってる人、
夜の花見の場所確保のブルーシートやらの道具類、
これらが入り混じってすごくややこしくなっていた。

桜ばっかりじゃなく、花海棠、ハナダイコンもそろそろ見頃になるよ。


▼これは赤実大島








鎌倉 安国論寺の枝垂れ桜 長勝寺の染井吉野 2019-03-24

3月24日(昨日) はれ
大巧寺~本覚寺~妙本寺と廻ったあと、
安国論寺と長勝寺に足を伸ばした。

両寺ともに見頃にはまだ少し時間がかかるようだった。
安国論寺の展望台からは、朝には横浜から見えた富士山だったが、午後2時頃だともう見えなくなっていた。

▼安国論寺





▼長勝寺




【大阪府知事選/市長選 ; 安倍晋三・菅義偉は「維新」派なんだね】 菅官房長官は.....松井氏に電話で「油断するなよ」と伝えた / (市長選の松井氏は42%対46%で柳本氏に苦戦、との記事を見て)安倍首相は困惑顔で「どうしてこうなっちゃったの?」と官邸幹部に語ったとか。







「学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄えるはずがない。」(『文芸の主義』 森鴎外)



文芸の主義
森鴎外

 芸術に主義というものは本来ないと思う。芸術そのものが一の大なる主義である。
 それを傍から見て、個々別々の主義があるように思うに過ぎない。

 Emile Zola(エミール・ゾラ)なんぞは自家の芸術に自然主義という名をつけていた。そうして書いているうちに、しだいにその主義というものに縛せられてしまって終に出した二、三部の作は、すこぶる窮屈なものになっていた。
 近ごろイタリヤの Fogazzaro(アントニオ・フォガッツァーロ)が死んだ。Il Santo(フォガッツァーロの小説)あたりであらわしていた、カトリック教に同情した心持を寺院の側からの抑圧を受けて、いっそう保守的にあらわそうとして、死ぬる前に一の小説を書いた。しかしそれはカトリック主義のようになって、芸術上の品位は前の作より下がっている。なんでも主義になって固まってしまっては駄目らしい。

 自然主義ということを、こっちでも言っていたが、あれはただつとめて自然に触接するように書くというだけの意義と見て好い。それは芸術というものがそうなくてはならないものである。
 自然主義というものに、恐ろしい、悪い意義があるように言い触らしたのは、没分暁漢の言か、そうでなければためにするものの言である。もっともおかしいのは自然主義は自由恋愛主義だという説である。自由恋愛は社会主義者が唱えているもので、芸術の自然主義というものには関係がない。自由恋愛が作品に現われたことがあるとしても、それは一時西洋で姦通小説だの、姦通脚本だのというものが問題になっていたと同じことで、真の芸術の消長には大した影響はない。

 近ごろは自然主義ということが話題に上ることが少なくなって、その代りに個人主義ということが云々せられる。
 芸術が人の内生活を主な対象にする以上は、芸術というものは正しい意義では個人的である。この意義における個人主義は、哲学的に言えば、万有主義と対している。家族とか、社会とか国家とかいうものを、この個人主義が破壊するものではない。

 Stirner(マックス・シュティルナー)の人生観のように、あらゆる観念を破壊して、跡に自我ばかりを残したものがあって、それを個人主義とも名づけたことがある。あれは無政府主義の土台になっている。しかしあれは自我主義である。利己主義である。
 利己主義は倫理上に排斥しなくてはならない。個人主義という広い名の下に、いろいろな思想を籠めておいて、それを排斥しようとするのは乱暴である。
 無政府主義と、それといっしょに芽ざした社会主義との排斥をするために、個人主義という漠然たる名をつけて、芸術に迫害を加えるのは、国家のために惜しむべきことである。

 学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄えるはずがない。

(読み易くするために改行を施した)




2019年3月24日日曜日

鎌倉 妙本寺 染井吉野と海棠と新緑モミジのコラボ すごくいいよ 2019-03-24

3月24日 
妙本寺。
染井吉野と海棠と新緑モミジのコラボ。
すごく良かった。

ここでは過去に満開の染井吉野と咲き誇る海棠のコラボや
夥しく散り去る染井吉野
を見たことがある。

しかし、咲き始めの溌溂として伸びやかな染井吉野や海棠、生命力溢れる新緑モミジ、
これもいいな。












鎌倉 本覚寺の枝垂れ桜 もう少しで見頃に 2019-03-24

3月24日 はれ
本覚寺の枝垂れ桜がもう少しで見頃を迎える。





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