2012年9月16日日曜日

昭和17年(1942)8月31日 川口支隊、ガダルカナル島上陸。 マレー、スンガイルイ村住民虐殺事件

東京 江戸城(皇居)二の丸雑木林
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昭和17年(1942)
8月26日
・日本兵士覚醒連盟と日本人反戦同盟延安支部が連合、在華日本人反戦同盟華北連合会となる。
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8月26日
・日本海軍、オーシャン島占領。
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8月26日
・夜、一木支隊第2梯団・横須賀鎮守府第5特別陸戦隊の船団、ショートランド入泊。
27日午前5時30分、第24駆逐隊に支隊人員350、速射砲4門、糧株1300名1週間分を急遽搭載して、27日午前5時30分ショートランド出発。
第8艦隊はガダルカナルの米軍機を理由に、上陸1日延期を命令、午後5時30分ショートランドに戻る。
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・夜、川口支隊歩124連隊第2大隊(鷹松少佐)、輸送船から第20駆逐隊(駆逐艦4隻)に洋上移動しガダルカナルへ。
28日午後2時~4時、米機攻撃で駆逐艦「朝霧」1艦沈没、戦死62。ショートランドに戻る。
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8月26日
・フランス、自由地区でのユダヤ人狩り
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8月27日
・台風が西日本を通過。~29日。死者891人、家屋全壊33,283戸
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8月27日
・レニングラードでソ連軍攻勢開始(第1次ラドガ湖戦)
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8月28日
・連合艦隊旗艦「大和」、トラック島春島第2錨地入港。
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8月28日
・参謀総長、「ソロモン方面め状況に応ずる『カ』号(ソロモン諸島要地奪回)及び『レ』号(ポートモレスビー攻略)作戦緊急処計案」を決裁。第2師団が第17軍戦闘序列に編制。
9月4日、青葉支隊長(歩第2旅団長)那須弓雄少将、ラバウル着。

この時点では、第2師団はポートモレスピー作戦を目的としていたが、川口支隊の攻撃失敗の結果、9月17日、ガダルカナル奪回に転用すると杉山参謀総長が上奏
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8月29日
川口支隊、ガダルカナル島上陸開始
午前10時、川口支隊第1大隊主力450・一木支隊第2梯団一部300、ショートランド発。
午後10時30分、ガダルカナル島タイボ岬上陸。輸送を担当した第24駆逐隊は米軍ルンガ泊地攻撃を命じられるが、敵機在空を理由に、攻撃せず、揚陸後撤退。
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8月30日
本間雅晴中将、待命。31日、予備役編入
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8月30日
マレー、スンガイルイ村住民虐殺事件
29日、ネグリセンビラン州スンガイルイ村で中国人がマレー人自警団員を殺害したとの訴えが日本軍にあり、近くのバハウの警備司令官橋本忠少尉は、歩兵第11連隊第7中隊29人と討伐に向う。「陣中日誌」には村を焼き住民80人を殺害とある。
証言によれば、村の男全員を縛り、前に子供を並ばせ、女は家に閉じ込める。
マレー人殺害を認めないので、機関銃・銃剣で殺害し、家を焼く。虐殺は350人ともいう。
橋本忠は、日本に帰還後、召喚され、シンガポール戦犯裁判で有罪処刑。
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8月30日
・ドイツ、ルクセンブルク併合宣言。ルクセンブルク住民ゼネスト抵抗。
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8月30日
・~9月2日。アラム・ハルファ尾根の戦いでロンメル将軍の攻勢、再度挫折
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8月31日
・午前8時、川口支隊主力(国生勇吉少佐第1大隊、渡辺久寿吉中佐第3大隊、一木支隊残兵集成1個大隊、田村昌雄少佐1個大隊の計4個大隊)、支隊長以下1,200、駆逐艦8隻でショートランド発。
午後9時30分、タイボ゙岬西方2km上陸。
以降9月7日迄に輸送続行。輸送人員は陸軍5,400・海軍200、使用艦艇延べ50隻。
但し、輸送できた兵器は、高射砲2・野砲4・山砲6・速射砲14、糧秣は一木・川口両支隊の給養兵額の約2週間分のみ。

艦艇輸送はその後順調に進捗
9月1日夜、駆逐艦4隻で川口支隊第1大隊残部465名が、2日夜には、敷設艦「津軽」と駆逐艦2隻・哨戒艇2隻で、野砲・高射砲・人員約150名と弾薬糧林が輸送、揚陸。
4日、ニューギニアのラビへ充当予定で急遽ガダルカナル転用になった青葉支隊の一部、歩兵第4連隊第2大隊(田村昌誰少佐)、一木支隊残部と共に、駆逐艦各3隻から成る二輸送隊によってタイポ岬へ送られ、これも無事上陸。
午前8時30分、夕立隊(吉川潔中佐)、タイボ岬に陸兵揚陸後、ルンガ泊地に進入、飛行場砲撃、米艦2撃沈。飛行場は約1時間燃え続ける。
5日夜、駆逐艦5隻で人員370名・弾薬糧株をタイポ岬に揚陸。
7日夜、駆逐鑑3隻が野砲兵第2連隊第1中隊をタイポ岬に、別の駆逐艦2隻が海軍通信部隊をガダルカナル北西端カミンポに揚陸。

岡明之助大佐1個大隊、川口支隊長が主張し舟艇機動によりエスペランス付近上陸。
9月1日午前6時、岡大佐指揮の舟艇機動部隊は「佐渡丸」「浅香山丸」で駆逐艦2に護られ、ショートランド出港、夕刻、ロング島南方海上で舟艇移乗、2日午前4時30分までに第1仮泊地ロング島南岸に舟艇群を集結。使用舟艇は、高速艇甲乙各1隻、大発28隻、小発31隻、搭載人員約1千
。2日午後3時、舟艇部隊はロング島南岸発。2日午後は強風と豪雨で舟艇群は荒れ狂う海に翻弄される。
3日午前4時頃、第2仮泊地フィンナナ島北岸着。同日午後2日、同島発。
4日午前4時頃、第3仮泊地セントジョージ島南岸着。午前9時10分頃、飛行機が舟艇群上空を旋回して去る。30分後、戦闘機と軽爆撃機計13機が銃爆撃を加える。舟艇部隊は機関銃で応戦するが、舟艇の損害は1/3に及ぶ。舟艇損傷を応急修理し、午後5時舟艇移乗を開始するが、干潮のため珊瑚礁により、離礁も発進も出来ず、午後7時半頃ようやく出発準備完了。部隊が海へ出た頃、風浪は激しく波は高く、舟艇内に海水が入り込む。エンジン故障も多発し、方位も失い、舟艇群約60隻は支離滅裂となる。

午前4時20分ガダルカナルが見え始める。同40分、敵機2機が上空旋回。10分後、空襲開始。第2大隊鷹松少佐戦死。
5日午前5時40分頃、船舶工兵第1連隊長脇谷中佐の舟艇がマルボボ(カミンボ南西約4.5km)に辿り着く。数隻がこれに続く。
9時20分頃、岡大佐の舟艇がガバンガ(カミンボ南西11km)着。
午後6時頃、岡大佐は舟艇で移動し、大半が到着したマルボボへ移動。この時点で、どれだけが集結したのか記録はない。

艦艇輸送と舟艇機動の結果、日本軍はルンガ地区の米軍によって東西に分断される形となる為、17軍司令部は川口支隊主力の攻撃力低下を懸念し、ラビ方面増援予定の青葉支隊の一部(歩兵第4連隊第2大隊と野砲1中隊基幹)を、海軍諒解の下にガダルカナルに転用、タイポ岬に上陸させ川口支隊増強を図る。
川口少将がガダルカナルで掌握する兵力は約5個大隊6千になる。
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8月31日
・南海支隊、イスラバ占領
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8月31日
空母サラトガ、日本潜水艦攻撃で大破。珊瑚海。
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8月31日
・警視庁が不良少年の一斉検挙を開始する。
9月15日までに2万2000人を取り調べ、1,857人を送検
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8月末
・ユーゴスラヴィア、チトー率いるパルチザン、西ボスニア・中央ボスニアの大部分を制圧。
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