京都 祇園 2013-08-13
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1771年(明和8)
4月
・モーツアルト、「レジナ・チェリハ長調」(K.108(74d))、「女王・童貞聖マリアのためのリタニア変ロ長調」(K.109(74e))、オッフェルトリウム「女より生まれた者の中で ト長調」(K.72(74f))を作曲。
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5月2日
・藩政改革に着手した米沢藩主上杉治憲(鷹山)、儒学者細井平洲を招く
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5月14日
・フランス、プロヴァンス伯とサルディーニャ王ヴィットリオ・アメデオ3世の王女ルイーズ・マリー・ジョゼフィーヌが結婚。
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5月16日
・米総督ウィリアム・トライオン、ノースカロライナ農民のレギュレータ(世直し)運動鎮圧
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6月20日
・ハンガリー人ベニョフスキー(26)、長崎出島の蘭商館長あてにロシア南下の警告書簡送る
ペニョフスキーの反乱。
1771年春、ハンガリー人流刑囚ペニョフスキー、カムチャッカ半島西海岸ボリシュレツクで反乱。
ロシア軍艦を略奪、日本列島沿いに南下、マカオを目指す。
途上、安房・奄美大島に寄港し長崎オランダ商館長に救助を求める手紙を書く。
文中にロシアの松前島(蝦夷地)攻略の野望について書かれてあり、商館長アルメナウルトは日本人オランダ通詞に伝達。
晩秋の頃、ペニョフスキー警告文が幕府に届く。
仙台藩医工藤平助(築地在住)は、これに衝撃を受け、大通詞吉雄耕牛の協力でロシアの歴史・地誌を調査、一方、弟子の松前藩士と蝦夷地の本格的調査を始める。
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7月
・モーツアルト、交響曲(第12番)ト長調(K.110(75b))作曲。
夏、「救われたベトゥーリア」(K.118(74c))、ミサ・ブレヴィスヘ長調(K.116(90a))(未完)、劇的セレナータ「シピオーネの夢」(K.126)作曲。
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7月20日
・虹の松原一揆。
唐津藩領の農民・漁民2万人、新税廃止など要求して一揆。
24日、要求が通り、一揆は解散。
宝暦12年(1762年)水野忠任は、三河岡崎から唐津藩(6万石)へ転封、財政改革に着手、海浜や川縁の荒地(砂入地・遊水地)への課税、楮専売化など税増収策を講じる。
明和年間、凶作が重り領民の不満は一揆へと発展。
この月20日早朝、鍋・鎌をさげた農民が、海からは漁民が、虹ノ松原に集結、2万5千となる。
農漁民と藩とが5日間対峙するが、天領地の大庄屋の仲介によって24日、一揆集結が解除。
一揆首謀者冨田才治らと藩との交渉により、8月9日、税制改正は完全に撤回。
一揆首謀者は、明和9年3月31日、少年1名を除く才治ほか3名が西の浜の刑場で処刑。
唐津藩水野家第4代藩主忠邦は幕閣入りを熱望、転封運動を積極的に行い浜松へ転封後、老中に昇進。
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7月30日
・イギリス、詩人トマス・グレー(55)、没。
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8月8日
・勝山藩の検見騒動。
各村々の庄屋層が中心となって団結、幕府地方役の権威を背景に定免制から検見制に切り替え増徴を図ろうとした藩の意図を打ち砕く。
藩は、年貢増徴のため元禄10年以来の定免制を検見制に改めるため、江戸からの地方役人2人の指導でこれを実現しようとする。
庄屋達は城下尊光寺で協議し、夜、一般百姓も集まり九頭竜川原で篝火を焚き騒いだ。
藩役人が出動して解散を促すが、検見撤回の藩書付が出ない限り動かないと強硬。
藩は検見制実施撤回を伝え、幕府役人2人は江戸へ引き揚げる。
百姓側は、藩勝手役として京都から来ている商人高橋丈右衛門罷免と、彼に家を提供している打波屋伊八追放をも要求するが、これは認められず。
この件では頭取吟味もなく、庄屋を中心とする領内惣百姓の団結を誇示する行動のみで藩の意図を打ち砕く。
一揆願書に、「諸国売買値段(楮)より下値に被仰付、難儀至極に奉存候間、持主勝手売に仕候様奉願上候」と、「諸国売買値段」との比較による「下値」の不利に対して抗議。
価格問題と一体に結びつく「持主勝手売」要求。
この要求の前提条件は、一方での小商品生産展開と、他方での、国益論に支えられた特産物導入策をともなう殖産・専売政策の展開であり、しかも、それが全国的な規模で個別藩の政策方向を規定し始めた事である。
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8月13日
・モーツアルト(15)、第2回イタリア旅行(1771年8月13日~1771年12月15日)
モーツアルト父子、再びザルツブルク出発。
カイトゥル→ヴァイドリンク→ザンクト・ヨーハン(1泊)→クンドゥル→インスブルック(1泊)→シュタイナッハ→ブレッサノーネ(1泊)→ボルツァーノ→トレント(1泊)→8月17日ロヴェレート
8月14日
・モーツアルト父子、インスブルック着(この年3月に戻ったばかり)。
15日、ブレンナー峠越え。ブレッサノーネ着。
17日午前9時、ロヴェレート着、ピッツィーニ男爵とブリーディ博士を訪問、10時半、再び旅を続け、ヴァイオリニストのアントーニュ・ロッリに会う。
午後1時、アーラ到着。宿舎はピッツィーニの兄弟達の家。ヴェネチアのテアートロ・サン・ベネデットと1773年カーニバル用オペラの契約(モーツァルトは作曲せず)。
18日、ヴェローナ着。ルジアーティ家に宿をとる。20日、ヴェローナ発。
21日午後7時過ぎ、ミラノ着。
29日、祝典劇「アルバのアスカーニョ」(K.111)の台本届く。マリア・テレジア依頼による第3皇子フェルディナント大公の婚儀のための祝典用オペラ。作曲開始。
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8月30日
・モーツアルトと共にオペラを依頼されたヨーハン・アドルフ・ハッセ(イタリアで学び、ナポリ派巨匠と称されるドイツの代表的オペラ作曲家)、ミラノ着。
31日、モーツアルト、ハッセを訪問。モデナ大公女拝謁。
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