2014年11月16日日曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(110) 「第16章 イラク抹消 - 中東の”モデル国家”建設を目論んで - 」(その2) : 『衝撃と恐怖』のマニュアルにはこうある。「攻撃の成果を映した映像がCNNを通じてリアルタイムで世界中に放映されると、連合軍の支持者には確実にプラス効果を、潜在的脅威とされる側の支持者には決定的なマイナス効果をもたらすことができる」

清水濠 2014-11-14
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湾岸戦争をやり直すとしたらどうするか:
『衝撃と恐怖 - 迅速な支配を達成するために』
 「湾岸戦争後に生まれたゲーム・セオリーのひとつに、ドナルド・ラムズフェルドの心を捉えた『衝撃と恐怖 - 迅速な支配を達成するために』がある。これは一九九六年にアメリカ国防大学の独自路線の戦略家グループが発表した論文で、万能の軍事理論であるとはしているものの、実際には湾岸戦争をやり直すとしたらどうするかという観点から書かれたものだった。
代表執筆者のハーラン・ウルマン元海軍司令官によれば、このプロジェクトのきっかけは、湾岸戦争の空軍司令官チャック・ホーナー将軍の言葉にあったという。対イラク戦でいちばん苛立ったのは何かと問われ、ホーナーはどこに「針を突き刺せば」イラク軍を倒せるかわからなかったことだと答えた。
・・・『衝撃と恐怖』の執筆者たちは、米軍が再びサダム・フセインと一戦を交えることになれば、今度ははるかに容易に「急所」を見つけられると確信していた。というのも新しい人工衛星技術と飛躍的に進化した高性能ミサイルのおかげで、かつてないほど精確に「針」を突き刺すことが可能になったからだ。」

もうひとつの利点:米軍の技術の進歩とイラク軍の弱体化
 「イラクを相手にする利点はもうひとつあった。
米軍が、進化したハイテク技術(あるコメンテーターは湾岸戦争当時と比べたら「アタリとプレイステーションの差」に等しいと表現した)を活用して今一度(砂漠の嵐作戦)をやり直せればと夢見る一方で、イラクの軍事力は急速に弱体化していた。経済制裁による打撃に加え、国連の大量破壊兵器に関する査察活動によって、イラクの軍事力はもはや解体同然の状態だった。イランやシリアと比べても、イラクはもっとも勝ちが見込める相手だったのである。」

実際にモデルに選ばれたら、イラクはどうなるのか?
 「この点についてトーマス・フリードマンはずばり、「われわれがイラクで行なおうとしているのは国家の建設ではない。新たな国家の創設である」と書く。豊富な石油資源を有するアラブの大国を物色し、そこにゼロから国家を創るのは当然であるばかりか、二一世紀における「崇高な」試みだと言わんばかりである。
フリードマンもいったんはイラク戦争を支持しながら、侵攻後にあれほどの大虐殺が行なわれるとは思いもしなかった、と弁明した多くの人々のうちの一人だった。
・・・イラクは地図上の空白地帯でもなんでもない。その歴史は古代文明発祥にまでさかのぼり、国民には帝国主義に激しく抵抗してきた誇りと強烈なアラブ・ナショナリズム、そして篤い信仰心がある。しかも成人男子の大多数は軍事訓練を受けている。もしイラクで「国家の創設」が行なわれるとしたら、すでにそこに存在していた国家はどうなるというのか? 当初からの暗黙の前提は、壮大な実験を行なうためにはまず国の大部分を消し去り、きれいに片づける必要があるという考え方だった - すなわち、桁外れの植民地主義的暴力の是認を核心に据えた考え方である。」

1970年代にチリやアルゼンチンで実験済み
 二〇〇三年のイラクと同じく、一九七三年のチリもアメリカに反抗的な南米大陸全体にとってのモデルケースとみなされ、その後長年にわたってそのように扱われてきた。
七〇年代にシカゴ学派の学説を実行に移したチリ、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルといった国々の暴力的政権は、理想的な国家を新たに誕生させるためには、その国のあらゆる層の人々と文化を「根こそぎ」引き抜かなければならないという認識のうえに立っていた。

 アルゼンチンでクーデターが発生した一九七六年、何千人という若い活動家が自宅から連れ去られるなか、同国の軍事政権は米政府から全面的な資金援助を受けていた(「なすべきことがあるなら迅速に行なうべきだ」とキッシンジャーは言った)。この年、アメリカのジェラルド・フォード政権では、チェイニーが首席補佐官、ラムズフェルドが国防長官の座にあり、キッシンジャー国務長官のもとで特別補佐官を務めていたのは野心あふれる若きポール・プレマーだった。彼らは軍事政権を支持したことに関して真実や正義を追及されることもなく、その後も長きにわたって高給職に就いてきた。そして三〇年の年月を経てふたたび表舞台に登場した彼らは、イラクで驚くほど似通った実験を - しかもはるかに暴力的な形で - 実施することになる。

集団的拷問としての戦争
「衝撃と恐怖」作戦:広く大衆に恐怖を与えること
 (イラクでは)一九九一年の湾岸戦争の際には、およそ三〇〇発のトマホーク・ミサイルが五週間にわたってイラクに撃ち込まれたが、二〇〇三年にはたった一日で三八〇発以上が発射された。
「大規模戦闘」が行なわれた三月二〇日から五月二日までの間に、米軍はイラクに三万発以上の爆弾を投下し、二万発の精密誘導巡航ミサイルを発射したが、これは過去に発射されたミサイル総数のじつに六七%に相当する。

 無差別攻撃を禁止する戦争法に公然と逆らい、この作戦は - その執筆者らが強調したように- 攻撃目標を敵の軍事力だけに絞らず、「社会全体」に向けることを標榜している。つまり、広く大衆に恐怖を与えることがこの戦略のカギなのだ。

戦争はテレビで生中継する見世物
 もうひとつ、「衝撃と恐怖」作戦を特異なものにしている要因は、戦争をテレビで生中継する見世物だとみなす鋭い認識である。しかもその映像は、同時に多様な視聴者 - 戦う相手からアメリカ国民、そして世界のどこかで騒擾を企む者まで - に届けることができる。

『衝撃と恐怖』のマニュアルにはこうある。「攻撃の成果を映した映像がCNNを通じてリアルタイムで世界中に放映されると、連合軍の支持者には確実にプラス効果を、潜在的脅威とされる側の支持者には決定的なマイナス効果をもたらすことができる」。

イラク侵攻は当初から、アメリカ政府が全世界へ与えるメッセージ - 爆弾投下や耳をつんざく爆撃音、大地を揺るがす地響きによって表現されるメッセージとして立案されたのだ。

ジャーナリストのロン・サスキンドは、著書『一パーセントの原則』のなかでこう指摘する。ラムズフェルドとチェイニーを「イラク侵攻に駆り立てたいちばんの原動力」は、「破壊兵器を保有しようなどという不埒な考えを持つ者、すなわちいかなる形にせよ、アメリカの権威に刃向かおうとする者に振る舞い方を教えるために、ひとつの実演モデルを作ってやろう」という願望だった。それは戦略とは呼ぶに値しない、「人間行動に関するグローバル規模の実験」にすぎないのだ、と。

ラムズフェルドの「恐怖」のマーケティング戦略:テロリストとの共通点
 ラムズフェルドはビジネス界で身につけた手腕とメディア対策のノウハウを集約し、アメリカの軍事政策の中心に「恐怖」のマーケティング戦略を据えた。・・・ラムズフェルドの戦争は、核爆弾以外のありとあらゆる兵器を投入し、それによって人々の感覚を攻めたて、感情を翻弄し、永続的なメッセージを伝えるための一大ショーを展開することだった。攻撃目標も入念に検討したうえで、象徴的価値の高い、テレビ向けのインパクトの強いものが選ばれた。

 こうしたラムズフェルドの戦争理論(彼が提唱する軍改革プロジェクトの一部でもある)には、軍幹部たちの考える従来の「力対力」による戦闘戦略との共通点より(彼らは常にラムズフェルドの暴走を抑える側に立った)、彼が根絶するまで戦うと宣戦布告した当の相手であるテロリストとの共通点のほうがはるかに多かった。テロリストは正面からぶつかり合うことはせず、目を引くような派手な行動に出ることで敵の国民の戦意を叩き潰そうとする。それがテレビで放映されれば相手の脆弱さが露呈されるとともに、自分たちの残忍性を見せつけられるからだ。それこそが9・11の攻撃をしかけた側の論理であり、イラク侵攻の背後にあったのもまさにこの論理だった。

「衝撃と恐怖」の心理作戦:
混乱と退行を引き起こすための感覚遮断と過負荷、集団的拷問の実験台
 「衝撃と恐怖」は・・・「敵の国民の抵抗の意志に直接狙いを定めて」巧妙に練られた心理作戦だ・・・。その手法はアメリカ軍複合体の別の部門にとってはすでにお馴染みの手口、つまり混乱と退行を引き起こすための感覚遮断と過負荷だ。

 CIAの尋問マニュアルの影響が明らかに見て取れる『衝撃と恐怖』によれば、「簡単に言ってしまえば、「迅速な支配」とは情勢をコントロールし、敵の状況把握能力や認知力を麻痔させ、あるいは過重な負荷を負わせる」ことである。その目的は「敵を完全に無能な状態にする」ことであり、その具体的な戦略としては、「感覚とインプットをリアルタイムに操作すること、(中略)文字どおり”明かりをつけたり消したり”することで、潜在的攻撃者が自分たちの勢力、ひいてはその社会全体に関わる出来事や状況を理解し、評価する能力を奪い」、さらには「特定の領域における敵側の情報伝達および観察能力を剥奪すること」があるという。

 イラクは何カ月にもわたって、こうした集団的拷問の実験台にされたのであり、しかもそれは爆撃開始のはるか以前から準備されていた。
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