2015年2月5日木曜日

昭和18年(1943)8月1日~2日 「予日記をつけつつありというと、嶋中君危ないぞという。中央公論社の出版物を警視庁で持って行ったが、その中に馬場恒吾君や僕のものもありと。予もこの日記をつけながら、そうした危惧を感ぜざるにあらず。」(清沢『暗黒日記』)

ロウバイ 2015-02-05 江戸城(皇居)東御苑
*
昭和18年(1943)
8月
・山東省臨時参事会、山東省戦時施策要領採択、戦時工作委員会を山東省戦時行政委員会に改める
*
・満洲中央銀行、興農金庫を設立
*
・陸軍省、従来からの「軍隊内務書」を改訂し新たに「軍隊内務令」を制定。
*
・国家社会主義者田中正雄(皇国農民団体関東地方準備会、神奈川県翼賛連盟)、神奈川県特高に逮捕。昭和19年8月獄死。

昭和11年、後の昭和12年秋頃解散の国家社会主義団体愛国労働農民同志会から別れて、皇国農民団体関東地方準備会が結成され、広瀬健一・田中正雄らがメンバー。
まず川崎市の東京航空計器に働く工員田中正雄が検挙される。田中は、近藤栄蔵を中心に結成された神奈川県翼賛連盟会員(会員には京浜間の工場労働者が多い)でもあり、神奈川県特高は、工場の翼賛連盟の活動を、共産党フラクション活動とみなし、連盟会員の労働者25名を検挙。
田中の家宅捜査の結果、左翼的文献が押収され、広瀬と田中が師弟関係のため、広瀬は10月21日検挙。
広瀬は、大川周明・摘樸らを顧問とレ、津久井龍雄と政治研究室をつくり、「日本政治年報」「世界政治年報」を発刊、雑誌「政治公論」を主宰し、翼賛壮年団、皇国農民団体に喰い込んでいる。その思想・行動は一国社会主義(国家社会主義者)であり、近衛「新体制」支持者と思われる。
田中正雄は昭和19年8月、鶴見警察より横浜刑務所へ移監されると同時に獄死。
広瀬は横浜刑務所の未決に送られた後、昭和19年9月初め、満1ヶ年の拷問と拘留生活の後、起訴猶予で釈放。
*
・細川嘉六、東京拘置所へ移送
*
・桜井徳太郎、少将進級、第55師団歩兵団長として9月、アキャブ着任
*
・初の都議会選挙実施
*
・インドネシアのスカルノ、日本を訪問
*
・北樺太石油、ソ連中央石油人民委員会に採油作業停止通告、11月作業場閉鎖
*
・鑓田研一『新京 満州建国記3』(「新潮社」)、網野菊『雪の山』(「昭南書房」)、山本健吉『私小説作家論』、金素雲『朝鮮詩集』、渡辺一夫『ラブレー覚書』、『文学報国』創刊
*
・ケベックで米英軍事会議、「対日戦略長期構想」、日本本土空襲計画、四川省成都からの戦略爆撃提起(マッターホーン)
*
・ギリシャのレジスタンス組織「民族解放戦線(EAM)」・「民主ギリシア国民連合(EDES)」・「国民社会解放同盟(EKKA)」合同代表団、カイロを訪問。
ギリシア亡命政府とイギリス当局に対し自分達の代表を亡命政府閣僚として受入るよう要求、即座に拒否。
EAM強硬派は、ギリシア解放後、イギリスは国王政府を押し付けると判断、今のうちに国内政治勢力内でEAMの覇権を強める方針をとる。
既にこの年4月、EDES軍事組織指揮官ゼルヴァス大佐が国王に対し好意的な電報を贈る。
*
・ポーランド、国内軍ブル・コモロフスキ将軍(グロト・ロヴェツキの後任)、急進的インテリゲンツィアが共産主義に走る傾向が育っているとロンドンに報告、共産党の人気と大衆のラジカル化
*
・ドイツ『ルミャーンチェフ(紅潮)』作戦(ツィタデレ作戦後のソ連軍に対する反攻作戦)
*
初旬
大本営、南方軍にインパール作戦準備指示、実施決断はせず
*
8月1日
・国民政府主席の林森、重慶で没
*
8月1日
・韓国、徴兵令施行。
*
8月1日
・鎮海、海軍志願兵者訓練所、開設
*
8月1日
・東部ニューギニア・ウエワク壊滅
*
8月1日
・3月2日公布の兵役法改正施行。朝鮮(韓国)に徴兵制を施行。
*
8月1日
・日本占領下のビルマでバー・モー政府、イギリスから独立宣言。米・英に宣戦布告。日本・ビルマ同盟条約調印(ラングーン〔ヤンゴン〕)。ラングーンに大使館設置。初代大使沢田兼三。
*
8月1日
「予日記をつけつつありというと、嶋中君危ないぞという。中央公論社の出版物を警視庁で持って行ったが、その中に馬場恒吾君や僕のものもありと。予もこの日記をつけながら、そうした危惧を感ぜざるにあらず。
ただ予の場合は「現代史」を後日、書くために記録を止め直かんとするに過ぎず。」(清沢『暗黒日記』)
*
8月1日
・ドイツ、ゲッペルス、疎開を布告。
*
8月1日
・アメリカ『タイダルウェーブ(高波)』作戦。イタリアからのプロイエシュティ油田(ルーマニア)へのB−24による低空爆撃作戦。アメリカの爆撃機が大損害を受ける
*
8月1日
・ド・ゴール、フランス国防委員会議長に任命。ジローは最高司令官に就任
*
8月2日
・大本営政府連絡会議、「昭和十九年国家動員計画策定ニ関スル件」採択。

「・・・戦争指導上ノ要請ニ基キ米英戦力ヲ圧倒スベキ直接戦力就中航空戦力ノ飛躍的増強ヲ中心トシテ国家総力ノ徹底的戦力ヲ強化スル・・・」、「直接戦力就中航空戦力ノ飛躍的増強ヲ図ルヲ以テ第一義トシ・・・」と、航空主力の作戦に転換することを明らかにする。
この頃航空機生産は、月産約1100機で、600機は陸軍、500機は海軍が割り当てを受ける。
しかしこれでは統帥部の要求を充たさない為、連絡会議を機に、航空機増産態勢に努めようということになる。航空機増産は、あらゆる産業に優先するとし、国民動員に拍車がかかり、学徒動員も一層進む。

■この時点の船舶事情、兵力など。
この年(43年)3月~8月64万8887トンを失い、開戦以来の総喪失量は188万8447トン。造船は、43年8月迄で53万9209トン。9月初の船舶保有量は、約459万トンに低下し、開戦当時、企画院がの国力維持には軍民需計で最低580万トン必要としたそのラインを大幅に下回る。
民需用船舶は、開戦時の国力維持に必要とされた300万トンは一度も確保されず、必要量の半分以下、1/3に低下。
兵力は、9月15日の陸海総長の上奏によると、陸上兵力は約70個師団・約250万人を擁するが、うち南方配置は18個師団・約50万人。
海軍は、空母6を含む艦艇約200隻を保有するが、小艦艇不足が目立ち、可動潜水艦は僅か30隻、海上護衛にあたる駆逐艦・海防艦・駆潜艇・掃海艇等は計約100隻のみ。
致命的劣勢は航空兵カ。
陸軍の第1線機は約1800機、海軍は2500機、しかも搭乗員にはなお未熟練者が多く、実戦に耐えうる兵力はその2/3に満たず。
これに対し、参謀本部が推測した米英兵力は日本側に倍する兵力(実際、太平洋方面に配置の米軍兵力は、参謀本部判断の2倍)。
*
8月2日
・アルバニア共産党、抵抗組織バリ・コンダバールとムーキェ協定締結、のち撤回。
*
8月2日
・ドイツ軍、スターリングラードで降伏
*
8月2日
・ポーランド東部のトレブリンカ抹殺収容所で反乱成功
*
*

0 件のコメント: