2015年2月11日水曜日

明治38年(1905)3月12日~25日  『直言』第7号「日本之新聞」、奉天附近の大会戦は、世界戦史上もっとも惨烈を極めたもので、日露両軍の死傷者は20万を超え、「満洲の曠野は両国同胞の鮮血を吸ふに倦(あき)しなるペし」と記す

江戸城(皇居)梅林坂 2015-02-10
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明治38年(1905)
3月12日
・中国、北洋常備軍第4鎮編成。
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3月12日
・参謀次長長岡外史少将、「明治38年3月11日以降における作戦方針」、桂首相・山県元帥に提示。満州作戦は鉄嶺までとしウラジオ・樺太を支作戦とする。満州軍総参謀長児玉大将は賛意。
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3月12日
・『直言』第6号発行。

社説「世界の潮流」。
1月15日ブリュッセル、国際社会党(第2インター)本部委員会、フランス社会党(ジョーレス派)代表ジャン・ロンゲ提案、日本政府の社会主義者弾圧抗議、日本の社会主義者への同情、決議を掲載。

「万国社会党本部は日本社会党を犠牲となしつつある日本政府の追啓に対し、殊に社会主義協会の解散、及び万国社会主義者の経典たる『共産党宣言』を訳載したりと云ふ単純なる理由を以て、『平民新聞』の発売を停止したる事実に対して絶対に反抗す。而して万国労働者の共通利益の為めに奮闘せる日本社会主義者に対し、多大の同情を表す。」

委員会議ではフランス社会革命党の代表ヴァイヤンが、フラソス社会党諸派の合同統一に関する協議の進展を報告し、イギリス社会民主同盟の代表ハインドマンは階級闘争の舞台における革命的社会党の勢力統一を、フランス社会党に希望するとともに各国の党がこれに倣うべき旨の決議案を提出して可決された。次いで来春開催予定の万国大会における各国代表権および投票方法に関しては、ハイソドマンの提議でベルギーのヴァンダーヴェルト、オランダのファンコール、本部幹事ヴィクトル・セルウイの3名が調査委員に任命され、その審議決定に俟つこととなった。
最後に会議は最近、フランスのマルセイユで病死した人道の戦士ルイズ・ミシェル女史に哀悼の意を表し、閉会後ドイツ代表べーベルは平民館に集合した3,000余の聴衆を前に、万国社会党の進歩発達を明らかにする大演説をおこなった。
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3月12日
・志村喬、誕生。
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3月12日
・ロシア、午前会議、継戦方針決定。
蔵相ウィッテは停戦建白。海相アウエラン・陸相サハロフの両大将は必勝計算を披露。
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3月13日
・担保付社債信託法・鉄道抵当法・工場抵当法・鉱業抵当法、それぞれ公布。
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3月16日
・鉄嶺を占領。
26日、軍政署の業務開始。9月までの7ヶ月間で捕えた「間諜容疑者」96(死刑15、監禁14、第4軍司令部送致4、放免63)。
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3月16日
・ロシア第2太平洋艦隊、マダガスカル・ノーシベー湾発。
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3月16日
・イタリア政府、フィロナルディ会社からソマリアを引き継ぐ。
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3月17日
・長崎の三菱造船所第三船渠竣工。開業式挙行。
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3月17日
・アルバート・アインシュタイン、光量子仮説論を完成。
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3月19日
・『直言』第7号発行

社説「戦後思想界の準備」(木下尚江)。「毎日新聞より転載」。
当局者が二、三の社会党員を処罰して社会党の発生を防ぎ得ると思うのは社会の趨勢に盲目なるものと論じ、社会党に対する「日本全国に普く散在する彼等の擁護者の、案外に侮るべからざる諸勢力」を指摘。

幸徳秋水「露国革命のあたうる教訓」。ヴェラ・ザスリッチ、ソフィア・ペトロフスカヤなど。

「日本之新聞」。
奉天附近の大会戦は、世界戦史上もっとも惨烈を極めたものであって日露両軍の死傷者は20万を超え、「満洲の曠野は両国同胞の鮮血を吸ふに倦(あき)しなるペし」と記す。

コラム「平民社より」(堺利彦)は、世界語としてのエスペラント語を紹介。堺は、エスペラント語の紹介者として知られる東京帝国大学史料編纂員(のちに教授)の黒板勝美と交友があり、この記事も黒板の談話をもとにつくった、と述べている。

「俘虜諸君に告ぐ」は、革命の祖国に帰るべき捕虜に次のように呼びかける。
「日本の各地に幽禁せらるゝ露国の『俘虜』諸君に告ぐ、国際法は諸君を呼んで『俘虜』と云ふ、然れ共吾人は今敢て同胞の情愛を以て諸君に一言する所あらんとす」
という書き出しで、彼らに深厚な同情を表したうえで、これから革命の祖国へ帰る諸君には・諸君の祖国にたいし、また空しく討死した諸君の同僚にたいしてあらたに重大な責任があることを自覚せよと訴え。

「……去れば諸君、吾人は熱心に諸君に忠告す、乞ふ直に人生社会の理想を捉へて、躊躇無く之を諸君の祖国に建設せよ、民主々義を発揚せよ、社会主義を実行せよ、四海同胞の理想をして諸君の間に顕現することを得せしめよ、復(ま)た剣を執て兄弟相殺すが如き無道の人となること勿れ・…‥
記憶せよ、諸君、廿世紀初年の露西亜は猶ほ十九世紀初年の仏蘭西の如き也、西欧諸国の革命が常に仏蘭西の合図を待ちしが如く、今や東洋の諸亡国は露国革命の信号を見て復活せんと待ち構へつつある也 ー 支那を看よ、朝鮮を看よ、吾人豈に諸君の発憤を禱らざるを得んや」
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3月21日
・4代目橘家円喬・三代目柳家小さんら、落語研究会結成。東京日本橋常盤木倶楽部で第1回口演開催。
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3月21日
・ロシアを牽制して英・アフガニスタン協定締結。
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3月22日
・参謀次長長岡外史少将提唱の幹部会議。寺内陸相・軍務局長宇佐川一正少将ら。
樺太作戦のため第13師団を4月1日に動員。師団長原口兼済中将・参謀長小泉策郎大佐(留守第10師団参謀長)内定。
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3月22日
・貴族院令、改正。伯爵・子爵・男爵議員は143人以内、勅選議員は125人以内と定められる
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3月23日
・参謀総長山県有朋、「政戦略概論」を桂首相・曾禰大蔵・小村外相に提示。
ロシアはなお戦争継続の意志有り・日本軍の損耗著しいと指摘。兵員将校不足、税制困難など、戦争遂行上の問題点を指摘。満州で更にハルビンに進撃し、一方、ウラジオを攻撃する方針。
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3月24日
・原敬、古河鉱業副社長に就任。
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3月24日
・島田三郎、「国家の安危を分担する者は国政に参与する権利あるべし」(「毎日新聞」)。
議会が大衆課税を議決し、「一部階級の代理たらんとす」る傾向を阻止するため、戦後は「選挙権拡張を主張」すると告白。戦前は、国民が望まぬのに選挙権を与えれば軽用されると、普選・選挙権拡張に反対していた。
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3月24日
・第1回4分半利付英貨公債3千万ポンドの契約成立。
29日ロンドン・ニューヨークで応募開始。
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3月24日
・米大統領、高平小五郎駐米公使に講和条件の内示希望。日本、明示を回避。
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3月25日
・大蔵省、第4回国庫債券1億円発行。
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3月25日
・島田三郎(52)、横浜・横浜座で開かれた議会報告演説会で演説。聴衆2千余人。
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