2015年10月1日木曜日

まど・みちお流20代のシュール(『朝日新聞』) / 『まど・みちお全詩集』に寄せて (吉野弘) : <なぜ私が戦争協力詩を書いたのか、またそれがなぜ記憶になかったのか、を私なりに考えて みます。まずなぜ書いたか、ですが、私が無知で、ぐうたらで、臆病だったことを別にすれば、たぶん私は非常に昂っていたのだろうと思います。>

『朝日新聞』2015-09-29

 まど・みちおさん(1909~2014)が20代に書いたシュールな詩や自由律俳句など、最初期の作品が見つかった。18日に出た伊藤英治・市河紀子編『続 まど・みちお金詩集』(理論社)に収められている。近年発見された戦争協力詩もあり、100歳まで書きつづげだ稀有の詩人の詩業の全容が明らかになる。

 『続 全詩集』は、1934~89年の詩約1200編を収めた『まど・みちお金詩集』(92年)の続編。90~2009年の詩約520編と、『全詩集』刊行後に見つかった戦前からの約200編、合わせて約720編を収める。

 (略)

 『全詩集』を出すとき、まどさんは戦時中の戦争協力詩2編を収め、自己批判した。その後、台湾文学研究者の中島利郎さんが「たたかいの春を迎えて」 「てのひら頌歌」 「妻」 (42年)の3編を見つけ、2010年春に公表した。

 『全詩集』を編んだ伊藤さんは、続編を準備中の10年末に病没した。遺志は同じフリーランス編集者の市河さんに引きつがれた。

 「妻」では聖戦完遂をめざす高揚感をこう歌いあげる。「この戦争は/石に噛りついても勝たねばならないのだよといえば/お前は しずかに/私のかおを見まもり/ふかい信頼のまなざしで/うなずきかえす」

 市河さんは編集後記で、「ちいさな生命のひとつひとつを見つめるまどさん」のような人をものみ込む戦争について、私たちがどう考えるのか、「これらの戦争協力詩が投げかける問いは重い」と書いている。

 (略)

 記事にある新たに見つかったシュールな作品については、一旦おいて、『全詩集』刊行に際して吉野弘さんが書かれた「『まど・みちお全詩集』に寄せて」により、まどさんの戦争協力詩について見てみる。


『まど・みちお全詩集』に寄せて     吉野弘

(略)

 さて、全詩集に収録された二篇の”戦争協力詩”と、これについての、まどさんの言葉「あとがきにかえて」は胸に沁みるものです。

 どのような事情で戦争協力詩を書き、また、記憶になかったというこの詩がどのようにして全詩集に収録されたかについては、「あとがきにかえて」に譲ることにしますが、私の胸に沁みたのは、まどさんがこの詩を敢えて全詩集に収めたこと、御自身の過去を隠蔽なさらなかったことす。

 まどさんはこの文章の中で御自身のことを<私はもともと無知でぐうたらで、時流に流されやすい弱い人間です。>と書き、更に<この作品を公表して、私のインチキぶりを世にさらすことで、私を恕して頂こうと考えました。>とも記しています。なんとも厳しい自己処断です。

 まどさんは続けてこう記しています。

 <なぜ私が戦争協力詩を書いたのか、またそれがなぜ記憶になかったのか、を私なりに考えて
みます。まずなぜ書いたか、ですが、私が無知で、ぐうたらで、臆病だったことを別にすれば、たぶん私は非常に昂っていたのだろうと思います。>

 このあとに昂奮の原因が回顧されているのですが、その一は、真珠湾攻撃と宣戦布告、その二は、まどさんの師・北原白秋の死(昭和十七年十一月)、その三は、まどさん御自身が召集されたこと(昭和十八年一月)で、丁度その頃、ガダルカナル島の攻防で日本軍は絶望的な状態にあり、まどさんが入隊して前線行きとなれば明日の生命も知れぬという状況だった。このような状況の中で<前線へ赴く臆病な私を臆病な私が、慰め、説得し、励まそうとしたのではなかろうか。>と回想されています。

 もう一つ決定的だったのは、師・白秋が他界する前「大東亜戦争・少国民詩集」の刊行を企画し、まどさんも誘いを受けていたことのようです。白秋他界後に刊行された『少国民のための「大東亜戦争詩」北原白秋氏に捧ぐ』の「あとがき」から推察して、二篇の戦争協力詩を書いたのは、多分、白秋の死から、まどさんの入隊までの二ヵ月余りの間のこと、とも回想されています。

 また、これを書いた記憶がなぜ無かったかについては<このように昂り昂った中での作詩というのは、おそらく即興の書流しで、そのために書いたという印象が希薄だったのではなかろうか。>と述べ、御自身を「ひどい健忘症」と規定し<人間は自分に都合の悪いことはすぐに忘れるといいますが、それもあったのかと思われます。>と、痛烈な自己批評の矢を御自身に放っておられ、まどさんの傷の深さが思われました。全詩集で、このような、まどさんの傷の痛みに出会うとは予想もしていませんでしたので、敢えて所感を記した次第です。

 (略)

(季刊『飛ぶ教室』四五号/一九九三年二月)

熱狂、なんだな。




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