2016年9月6日火曜日

京都、石峰寺 「若冲の無常 竹林の石像に」 (『朝日新聞』2016-09-05「訪ねました」欄) 姿いろいろ かつて千体 / 離れて1体 本人の像?

京都、石峰寺

若冲の無常 竹林の石像に
(『朝日新聞』2016-09-05訪ねました)

(略)

姿いろいろ かつて千体

若冲は1716年、京の台所・錦小路にある裕福な青物問屋に生まれた。
早くに父を亡くし、家業を継いだ。
40歳で弟に譲ってからは絵に専念し、「動植綵絵(さいえ)」などの傑作を残した。生涯独身を通したという。

1788年、京都の市中を焼き尽くした「天明の大火」で、家も財産もすべてを失った。
縁のある寺を転々とし、晩年は石峰寺の門前にある家で暮らした。

裏山に進むと竹林が広がり、山肌に沿って、不思議な石像がたくさん配置されている。
表情も格好も様々だ。

「五百羅漢」と呼ばれ、若冲が下絵を描いて石工に彫らせて作った。

かつては約千体あったといわれるが、散逸したり風化したりして、今では530体ほど。
風雨にさらされ摩耗しているものもある。
「形あるものはいつかなくなるという無常を表そうとしたのかもしれませんね」と住職は話す。

この日は許可を得て撮影したが、五百羅漢は本来、写真撮影もスケッチも禁止。
柵の中に入ったり、場所を占領したりする人が後を絶たないからだという。
07年には、小学生がいたずらで石像30体を倒し、3体が大きく壊れた。
京都の専門業者に頼み、米粒ほどの破片を拾い集め、はめこんでいく緻密な作業を続けて修復したという。
「どれだかわかりますか?」。
細田さんは目をこらしたが、見分けがつかなかった。

離れて1体 本人の像?

「実は、この竹林の風景は昔と大きく変わってしまいました」と住職が言った。
京都市が昨年、隣接する墓園の通路を整備するため石像のすぐうしろまで土地を削ったため、以前より光が入るようになり、明るくなった。

かつては薄暗い竹林のなかにスポットライトのように光が差し、石像を照らした。
細田さんも「確かに、前に来たときは、もっとうっそうとしていましたね」と話した。

斜面の下に1体だけ、ぽつんと離れた石像があった。
ひざを立て、体を横たえ周囲を眺めている。若冲本人をあらわしたと言われている。

命日の9月10日には「若冲忌」が営まれる。
今年は同日まで秋の特別展があり、寺が所有する若冲の作品を公開している。

若冲の墓は、本堂の南側にある。
墓石には「斗米庵若冲居士墓」。
晩年の若冲が生活のために、絵1枚を米1斗と交換していたことに由来するという。

墓からは、京都・深草の街並みを見渡すことができた。
(長谷川陽子)


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