2017年10月15日日曜日

「安倍政権の野望」は是か否か、選挙の争点はそこだろう  国難、国難というけれど(辻野晃一郎); 安倍氏にしろ、自民党にしろ、加計氏にしろ、「驕れるものは久しからず」だ。自分たちの驕りによって日本の民主主義を著しく傷つけた代償は、いずれ必ず自分たちで払うことになるだろう。


「国難突破解散」に大義はあるのか

(略)

確かに、北朝鮮情勢は深刻だが、いまさら戦前戦中に好んで使われた「国難突破」などという言葉を弄して危機を煽ること自体がレトリックじみて胡散臭い。実態が「森友・加計学園問題隠蔽解散」に過ぎないことは多くの国民の目に明らかだ。

なるほど、第二次安倍政権が発足してから、表向きの経済指標は好転したかに見える。円安・株高によって企業収益は過去最高水準に達し、有効求人倍率も直近の値で1.5倍を超え、バブル期以来の高水準となった。

完全失業率も2%台の低水準を記録している。経済優先主義的観点からは、アベノミクスには一定の効果があったと評価するのがフェアかもしれない。安倍政権が高い支持率を維持し続けてきた最大の所以はまさにここにある。

しかし、これは日銀を抱き込んだ金融緩和政策が短期的に功を奏してきたからであって、必ずしも実体経済が上向いているわけではない。

日銀は、デフレ脱却を名目として国の借金である国債を大量に買い続け今やその保有残高は430兆円を超えている。さらには、ETF(上場投資信託)を通じて上場企業株も年間6兆円の規模で買い続け株高を演出している。

一方で、これだけの「異次元金融緩和」をやり続けても、黒田日銀総裁が目標としてきた物価上昇率2%の達成は既に6回も先送りされている。

アベノミクス効果の持続を演出するために、このまま出口の見えない金融緩和を続ければ、日銀が債務超過に陥ったり、国の財政破綻を招いたりするリスクが高まっていることは認識しておかねばならない。

安倍政権の正体

(略)

大勢の犠牲を伴ったあの決定的な歴史の変化点を受け入れず、「美しい日本の再建と誇りある国づくり」と称して、列強の一角をなした時代に巻き戻すようなことをやろうと画策している人たちだ。その人たちに支持されているのが現安倍政権なのだ。

「世界の真ん中で輝く国創り」というスローガンの裏には、たとえ米国への隷属性を高めようとも、再び強国として世界を睥睨したい、という国家主義的野望があることを見抜かねばならない。

もともと、特定秘密保護法や安全保障関連法や共謀罪はそのためのものであるし、核兵器禁止条約への不参加や、北朝鮮問題でのトランプ米大統領の好戦的な国連演説に迎合した安倍総理の演説などは、前述の解釈を裏付けている。

しかし、これらの政治的行為は、70年余にわたる平和国家としての努力を無にし、国家の恥を広く世界に晒したようなもので、多くの国民の意識とは乖離している。

経済人の立場から最も憂慮すべきは、安保関連法をなし崩し的に成立させた一連の動きの中で、「武器輸出三原則」を撤廃し、「防衛装備移転三原則」なるものに置き換えて、事実上、軍事技術や武器の輸出ビジネスを解禁したことである。

経団連をはじめとした経済団体は、もろ手を挙げてこの動きを歓迎し、防衛省が主導して武器技術の海外展示会などに多くの日本企業が出展するに至っている。

戦争で儲ける国にしないために

(略)

戦後復興をリードした経済人には、中山素平氏や井深大氏のような気骨のある平和主義者としての経済人がいくらでもいたが、今はどうだろう。

儲かれば軍備でも原発でも大歓迎、ただし自分自身に災いが降りかからなければ、というような節操のないスタンスの身勝手な経済人ばかりが増殖しているように感じる。東芝の凋落などはその帰結ともいえるものではないのか。

戦後、平和憲法の下、戦争放棄した我が国は、「軍産複合体」化した戦前の国家体質を反省し、少なくとも表向きには軍事と経済活動を相容れないものとして切り分けてきた。いわゆる「死の商人」ビジネスとは一線を画してきたのだ。

この立場は我が国の立場としてこれからも堅持していかねばならない最も重要なものの一つだ。しかし、一連の安保関連法成立の裏で、ついにその歯止めも取り払われてしまったことには、ここであらためて警鐘を鳴らしておきたい。

行政の信頼は取り戻せるのか

一強多弱が続いたがゆえの傲慢な政治は、この国のあるべき姿を強引に捻じ曲げて来たが、ついに森友・加計学園問題や稲田元防衛大臣の日報隠蔽問題などを引き起こした。

発覚した一連の不祥事を覆い隠すためだけに、閣僚や高級官僚たちが、あるものを無いと偽り、発言したことを記憶にないとしらを切り、公文書を破棄したと口裏を合わせた。挙句の果てには、国会で不誠実な対応を貫き通した財務省の官僚が国税庁長官に昇進した。

これらを、国を挙げての「モラルハザード」と言わず何と言うのか。

一時の内閣支持率急落の真因は、行政の信頼を著しく失墜させた安倍総理自身に多くの国民が不信感を抱いたことにある。

内閣改造で閣僚たちを取り換えようが、優勢が伝えられる解散総選挙で再び圧倒的多数を得ようが、安倍総理が自ら招いた政治の劣化という問題は決して一件落着とはならない。

森友・加計学園問題に、一点の曇りも行政の歪もなかったと強弁し続けるのであれば、なぜ、安倍昭恵夫人や加計幸太郎氏は表に出てこないのであろうか。

本当にやましいことがないのであれば、正々堂々と野党の証人喚問要請にでも参考人招致要請にでも応じて、経緯を国民に説明すればいいだけだ。「丁寧に説明する」と言いながら決してそうしないこと自体がこれらの問題の胡散臭さを決定づけている。

特に加計幸太郎なる人物は、仮にも教育者の端くれであるのならば、自らの教育理念と獣医学部新設にかけた情熱や計画を国民に直接訴えかける最大のチャンスではないか。

逃げ隠れしていること自体、友人であることをいいことに、時の権力者の威光を利用して利益誘導に走ったことを自ら認めていると解釈されても仕方がないだろう。

このような姿勢は、教育者としての資質に悖るだけでなく、軍需産業に加担した戦前の経済人をも彷彿させるものだ。

安倍氏にしろ、自民党にしろ、加計氏にしろ、「驕れるものは久しからず」だ。自分たちの驕りによって日本の民主主義を著しく傷つけた代償は、いずれ必ず自分たちで払うことになるだろう。それが世の習いだ。

国民は、今こそ、5年弱に渡る安倍政権の功罪を冷静に見極め、この国をこれ以上誤った方向に導かないための最良の選択をしなければならない。当たり前の道理をごまかし、国民を愚弄し続ける強引な官邸主導政治は異常だ。

やれ「希望の党」だの「立憲民主党」だのと、野党もドタバタ続きでまともな選択肢がないのは苦しいが、せめてこの選挙がきっかけとなって、自民党の内部からも驕りを捨てたさまざまな批判勢力が台頭し、一強の暴走が減速することを期待したい。



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