2014年4月26日土曜日

「市場原理の浸透 ブラック化する、この国」 (『論壇時評』高橋源一郎(朝日新聞2014-04-24)) : 「経済的合理性をすべての行動の基準と考える新自由主義の原理は、わたしたちの「心の奥底」まで浸透しようとしている。」

市場原理の浸透 ブラック化する、この国
『論壇時評』高橋源一郎(朝日新聞2014-04-24)

定年より前に大学を辞める決断をしたわたしの同僚は、卒業式で、こんな挨拶をした。彼は学生たちに慕われる良き教員だった。

「卒業おめでとうとはいえません。なぜなら、あなたたちは、これから向かう社会で、あなたたちを、使い捨てできる便利な駒としか考えない者たちに数多く出会うからです。あなたたちは苦しみ、もがくでしょう。だから、そこでも生きていける智恵をあなたたちに教えてきたつもりです」

卒業生たちは静かに、食い入るように彼の顔を見つめて聴いていた。同じ機会を得たら、わたしも同じことをいっただろうか。

①大内裕和・上西充子・本田由紀・今野晴貴 座談会「ブラックバイトとは?」(POSSE・22号)

雑誌「POSSE」の座談会で、大内裕和は、平均的な大学で、学生たちの様子を見守ってきた一教員として、一見ささいに見える、こんなエピソードを紹介している(①)。

「多くの大学で起こっていることだと思いますが、ゼミの合宿やコンパを実施することがこの数年間とても難しくなっています。それは学生にアルバイトの予定が入っているからです。曜日固定制のバイトであればその曜日は絶対に動かせないですし、もう一方で直前までシフトが決まらないバイトの学生もいます。両者の予定を合わせることは容易ではありません」

「アルバイトの拘束力が年々増しているということ」に気づいた大内は、学生たちから体験を聞き出す。

「テスト前に休むことができないという事態は最近激増しています。普段勉強していない大学生は以前から大勢いましたが、テスト前とテスト期間の勉強で何とか挽回していました。この数年間は、テスト前とテスト期間にさえ休めないという学生が増えています」

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 なぜ、そうなったのか。学生たちが働かざるを得なくなったからだ。

 仕送り額は、1996年度から2012年度への16年で3割以上激減し、その一方で大半が無利子だった奨学金は、いまや、有利子の学生ローン化している。そんな、背に腹を代えられなくなった学生たちが赴く先は「かつて正規が担っていた労働を非正規がやらざるをえない」ほど劣化した労働市場なのである。

②特集「ブラック化する教育」(現代思想4月号)

③大内裕和・佐藤学・斎藤貴男 座談会「『教育再生』の再生のために」(同)

④青砥恭「『居場所としての学校』から飛び出して 高校中退と定時制高校から」(同)

「現代思想」の特集「ブラック化する教育」(②)を読んでいると、取り返しのつかないほど破壊されつつある教育の現場(小学校から大学まで)の実態が、はっきりと浮かび上がってくる。

「一定の学校を卒業すれば就職ができて、一定の生活ができるという関係そのものが崩れていきました。学力低下、学習意欲や規範意識の低下というかたちで噴出してきた現象は、教育問題というより労働問題だったのです」(大内裕和③)

「貧困の連鎖はとっくの昔から始まっています。階級社会は既にできあがってしまっているといってよいのではないでしょうか。・・・つまり、中途退学や不登校の生徒が貧困層に集中して現れているのです。こういった子たちを支援する制度がほとんどない」 (青砥恭④)

大学を出ることは、もうなにも保証しないし、そもそも、そこまでたどり着く可能性を最初から奪われた者たちがいる。それが若い人たちの現状だ。

かつて、人びとは、働けば生活が豊かになると信じた。上の学校に通えなかった親たちは、子どもたちに高等教育を与え、そのことで子どもたちは社会で職を得ることができた。だが、時代は変わった。経済界は、いつでも辞めさせることのできる「労働力」を求めた。新自由主義の名の下に、あらゆるものが市場原理に晒されることになった。教育も例外ではなかった。学生たちは、取り換えの利く駒の予備軍になった。「超過勤務手当もないのに・・・週当たり一二時間の超過勤務」の「ほとんどブラック企業化」(佐藤学③)した職場に置かれた教師も例外ではなかった。

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⑤鈴木大裕「教育を市場化した新自由主義改革 崩壊するアメリカ公教育の現場から」(Journalism4月号)

新自由主義の最先進国アメリカで、教育の市場化によって崩壊するアメリカ公教育の現場をつぶさに見てきた鈴木大裕は、いつの間にか「豊かなビジネスの土壌」になってしまった学校の新しいモデル、としてチャータースクールを紹介している(⑤)。だだっ広い部屋に無数の衝立(ついたて)で区切られたボックスがあり、子どもたちがヘッドホンをして、目の前のパソコンに向かっている。

「学校側は正規教員を減らし、時給15㌦(約1500円)の無免許のインストラクターが、一度に最高130人の生徒をモニターすることによって、1年間で約50万㌦を節約できるという。教員の半分は教員経験2年未満、75%は、たった5週間のトレーニングで非正規教員免許を得られるティーチ・フォー・アメリカ出身だ」

「この学校を熱心に支援するシリコンバレーの社長たち」は、もちろん、自分の息子たちは、この「庶民の学校」には入れないのである。これは、わたしたちの、遠くない未来の風景なのだろうか。

鈴木は、フランスの哲学者ミシェル・フーコーの考察に触れながら、こんな風に書いている・・・経済的合理性をすべての行動の基準と考える新自由主義の原理は、わたしたちの「心の奥底」まで浸透しようとしている。

わたしたちは自ら望んで「駒」になろうとしつつあるのかもしれない。わたしたちは、立ち向かわなければならないのだ。まず、わたしたち自身の内側と。

(おわり)

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